ソフトバンクの孫正義氏が命名したとされる経営手法「タイムマシン経営」。日本よりもITやビジネスが進んでいる米国、特にシリコンバレーからすでに成功しているサービスやビジネスモデルを”輸入”し、日本で展開するという方法である。

このタイムマシン経営に対して、「逆・タイムマシン経営」を提唱するのが、一橋ビジネススクール 国際企業戦略専攻 教授の楠木建氏だ。

2月15日に開催されたWebセミナー「withコロナの成長に向けたデジタライゼーションと経営」では、この楠木氏が基調講演に登壇し、逆・タイムマシン経営論について解説した。

「同時代性の罠」に気づくには?

逆・タイムマシン経営――つまり、未来から現在を考えるのではなく、過去から現在、そして未来を考えようという発想だ。

例えば、今なら次のような言葉がホットイシュー(話題)として取り上げられがちである。

  • 今こそ激動期
  • ポストコロナのニューノーマル
  • DXに乗り遅れるな
  • ジョブ型採用で働き方改革

楠木氏はこれらのホットイシューについて、「同時代性の罠」が隠されていると指摘する。

「過去のメディアの記事や言説を振り返ってみましょう。例えば、45年前の日経ビジネスに『揺らぐ日本的経営』という記事が掲載されています。つまり、メディアによれば『日本的経営』は半世紀にわたって崩壊を続けていることになります。逆に言えば、半世紀経っても崩壊しきっていないのです。どれだけ盤石なのか、という話です(笑)」(楠木氏)

楠木建氏

一橋ビジネススクール 国際企業戦略専攻 教授の楠木建氏

これがまさに「同時代性の罠」である。言説の正しさは同時代に生きている限りわからない。後から振り返ることで、「同時代のノイズ」が除去され、冷静な視点で見られるようになるのだ。いわば、時間の経過による”デトックス”である。

楠木氏は特に「新聞や雑誌は10年寝かせて読む」ことを推奨している。なぜなら、言説が出てきた当時の状況や文脈を踏まえて論理的に考察できるからだ。

楠木氏はさらに「過去はすぐに忘れられる。そこから見える面白さもある」と続ける。

例として挙げるのが、戦前のシャンプーの広告である。今でこそ毎日シャンプーを使って洗髪することは当たり前になっているが、実はほんの50年前まではそうではなかった。戦前のシャンプーの広告には「せめて月2回は!」というキャッチコピーが掲載されており、戦後になってもまだ「夏の髪洗いは5日に1度!」と言われる程度だった。日本人が毎日シャンプーをし始めたのは、実に1970年代に入ってからのこと。信じられないと言う人もいるだろう。そう思うのは、私たちが過去をすぐに忘れてしまうからなのだ。

もう1つの例が「400万台クラブ」だ。1998年頃、自動車業界では盛んにこの言葉が飛び交っていた。

きっかけとなったのは独ダイムラーと米クライスラーの大型合併だ。トップ自動車メーカー同士の合併は業界に衝撃を与え、「自動車業界はグローバル化が進み競争が激しくなる。だから、生産台数が400万台を超えていないと経営が苦しくなる」という言説が生まれた。

この言説に従って、当時はさまざまな動きが起こった。例えば米フォードはボルボ、ジャガー、ランドローバーといったブランドを傘下に置く「PAG」構想を打ち出し、米GMはスズキやいすゞに出資を行った。欧州ではフォルクスワーゲンとBMWによるロールスロイスの買収騒動が持ち上がった。

「フィアットやプジョー・シトロエン、さらにBMWやVWも安泰ではない」「生き残れるのは4大メーカーだけであり、ホンダは1つのミスが命取りになる」といった言説もまことしやかに囁かれていた。

では結果はどうだったのだろうか。ふたを開けてみれば、400万台クラブは幻想に終わった。当時250万台規模だったホンダは自主独立を続けており、GMはスズキやいすゞとの提携を解消、フォードはPAGを解体した。400万台クラブの発端となったダイムラークライスラーも解体され、リーマンショックを経てクライスラーは破綻することになった。

楠木氏は400万台クラブを振り返り、「論理の不在」という言葉で説明する。

「規模の経済は重要ですが、それは競争力を構成する1つの要素にすぎません。もともと400万台という数字に論理的根拠はなかったのです」(楠木氏)

大企業の経営者をも惑わせた同時代性の罠。陥らないためにはどうすればいいのだろうか。