今回、ご登場いただいたのはお茶の水女子大学 基幹研究院 自然科学系 教授の小林一郎氏。小林氏は1980年代からAIの研究に携わる人物であり、大西氏の学生時代の恩師でもある。
対談では、今3度目を迎えている”AIブーム”の歴史をひもときながら、日本におけるAI研究の現状と今後のAI人材育成についてたっぷりと語っていただいた。
これまでの”AIブーム”はどうだった?
大西氏:小林先生、お久しぶりです! 長年AIを研究されている小林先生に、まずは以前のAIブームのお話からお伺いしたいです。
小林氏:大西さんもご存じの通り、現在のAIブームは3回目と言われています。最初は1950年代から始まり、2回目が70年代後半から80年代、そして現在です。もっとも、AIブームと言ってもそれぞれの時代で”質”が違います。
大西氏:最初のブームはどのように始まったのですか?
小林氏:最初は計算機に対する期待から始まりました。要するに、「計算機を追求すると、いつか知能に到達できるんじゃないか」と考えたわけです。知能を置き換えるものこそが計算機なのではないか、と。
大西氏:なるほど。でもそれはうまくいかなかったわけですよね。
小林氏:ええ。人の知能を目指す研究は1950年代当時も出てきていましたが、実際にはうまくいきませんでした。計算機の能力でゲームなどは進歩しましたが、知能には近づけなかったんです。第1次ブーム終焉の大きな決め手となったきっかけは、パーセプトロンの限界を指摘されたことにあったと言われています。
大西氏:パーセプトロンって、ニューラルネットワークの一種で、現在の機械学習の基礎とも言える考え方ですよね。当時はかなり盛り上がったと聞いていますが、そういう意味ではうまくいかなかったんですね。
それで、一度は失敗したAIが80年代に再びブームになったのはなぜですか?
小林氏:70年代後半からの第2次AIブームのカギになったのが「エキスパートシステム」です。各分野の専門知識をベースに問題解決にあたるシステムで、「知識」をベースに「推論」するという2つの独立した機能で構成されています。
「これを使えば素人でも専門家レベルの問題解決能力が発揮できる!」ということで、にわかに盛り上がったんです。国が主体になってAIの研究を始め、企業もこぞって導入を進めました。私がAIの研究を始めたのもちょうどこの頃です。
大西氏:エキスパートシステムのことは私も文献などで知っていましたが、先生はその頃から携わっていらしたんですね! でも、せっかく盛り上がったのに、このブームも終焉を迎えてしまったんですよね。
小林氏:ええ。エキスパートシステムでは知識をベースに推論するわけですが、結局仕組み自体は”作り込み”にすぎなかったんですね。
大西氏:AIが自分で判断しているわけではないですものね。
小林氏:そうです。データ入力の手間もさることながら、コンピュータに判断の基準も教えてやる必要がありますし、複雑な業務になると例外も多々発生するので対応しなければなりません。そうした作業を網羅することが難しかったんですね。それに、コンピュータが現在のように大量のデータを処理できるマシンパワーも当時はありませんでした。そういう事情が重なって、徐々に勢いが衰えていったんです。
大西氏:歯がゆいですね。もう少しで何とかなりそうなのに……。
小林氏:その後、人工知能、いわゆる「人のような知能」をつくるのではなく、”人の知能を拡張する”という方向に技術が進歩していくことになります。ちょうどインターネットが普及し始めたこともあり、世界中の情報にアクセスできるようになったので、技術の発展も進みました。
大西氏:そして今が、第3次AIブームですね。マシンパワーは昔とは比較にならないほど強化されましたし、機械学習やディープラーニングといった手法も登場して、AIが自分で考えることが可能になっています。まさに、過去のブームで難しかったところを突破しているわけですよね。
小林氏:そうですね。現在のAIブームで出てきた技術は、ディープラーニング以外にもたくさんあります。これからはディープラーニングを含むそういった技術が社会のインフラ技術となっていくでしょう。
AIはインフラの中に自然に組み込まれるようになって、いずれブームは終わっても社会の本質的なところに生かされていくはずです。
AI研究を取り巻く空気は昔と今でどう変わったか?
大西氏:小林先生は80年代の第2次AIブームから研究をスタートされたということですが、具体的にはどのような研究をされてきたのか、改めて教えていただけますか。
小林氏:私は大学院の頃から人工知能を研究していて、ファジー理論が専門でした。ファジー理論とは”曖昧性”のことで、AI以外にもさまざまな分野で活用されています。
人工知能と言うと論理的なモノというイメージがあると思いますが、私はそこに人の感覚に近い曖昧性を持ち込む研究をしていたわけです。
大西氏:当時の研究としてはちょっと特殊な気がしますね。
小林氏:AIの研究者とは少し違ったところにいたのは事実ですね。だからこそ、一般的なAI研究者とは少し距離をおいて、AIの世界を見ることができていたと思います。
大西氏:失敗を繰り返してきたAIの研究ですが、現在に至るターニングポイントはいつ頃だったんですか?
小林氏:やはり、インターネットが普及してきた1990年代後半くらいだったと思います。その頃から大量のデータを機械学習で使えるようになりました。もう1つのターニングポイントは、最近の話になりますが、ディープラーニングの登場でしょうね。教師あり学習でモデルが詳細にわかっていなくても極めて高い精度を出してしまう。人には観測できない、解釈できないモデルで答えを出せるのは画期的でした。
大西氏:やっぱりインターネットのインパクトは大きいんですね。昔よりも研究や開発のスピードも飛躍的に上がっている気がします。
小林氏:流れは早くなっています。ただ、「1つの方向に流れている」という印象も受けています。昔はAIの研究をしながら「知能とは何か?」ということを考える時間がありました。哲学書を読み、言葉と知能の関係を考えながら進めていたわけです。今思えば、牧歌的な時代でした。
今はペースが早く、チームで動き、戦略的に成果を上げることが求められるようになりました。良い面もありますが、じっくり考える時間は減った印象がありますね。
>>後編に続きます。