来年、米国は大統領選挙の年だ。さすがに4年前と同じような情報操作の影響は避けられるだろうと多くの人が信じている。だが、予備選まで4カ月を切った待ったなしの状況なのに、米国ではネットにおける政治広告の取り扱いを巡って紛糾している。

今年の7月に、トランプ陣営がFacebookで配信した政治広告動画が問題視された。「フロリダ州のTraceyさん」「ワシントン州のThomasさん」といった一般の人達が登場してトランプ大統領の功績を褒め称える。今の米国に満足する"支持者"を集めたビデオに見えるが、実は有料の動画素材を使った映像だ。つまり、出演者は全て俳優であり、映像の「フロリダ州のTraceyさん」は実在しない。コメントは本物だというし、画面左下の方に小さく「俳優による描写」と注意書きされているからフェイクではない。だが、見た人の多くが実際の支持者がコメントしていると思ってしまう演出に批判の声が上がった。

米国の選挙にからんだ政治広告は、誇張した表現、誤解をまねくような演出、ライバル批判がめずらしくない。新聞やTVは数多くの選挙を経験し、政治広告に関するガイドラインを確立しているが、ネットでの影響は未知数だ。TV向けと同じような広告であっても、ターゲティングされるネットではミスリーディングを招く可能性がある。

大きなトラブルに発展するリスクをオンラインメディアが避ける確実な方法は、政治広告を拒否することだ。TikTokのように「プラットフォームの体験にフィットしない」として政治広告を配信しない判断を下した企業もある。だが、多くのオンライン企業は政治広告との距離を模索している。例えば、Facebookは「詐欺的、虚偽またはミスリーディングなコンテンツ」を含む広告について「禁じる」としていたのを、サードパーティのファクトチェッカーなどから指摘された広告を禁じるように規約を変更した。あいまいな基準で全てを禁じるのではなく、拒否の理由を明確にしたとも受け止められる。だが、変更に対して"疑わしきは罰せず"、「トランプのウソを容認する変更」という批判の声も上がっている。

Facebookこそ政治広告を拒否して信頼を取り戻さなければならないのに、なぜこんな疑われることをしているかというと、今回の大統領選キャンペーンは全体でデジタル広告だけで10億ドルを超える見通しであり、今年だけですでにFacebookとGoogleに6000万ドルもの費用が注ぎ込まれているからだ。

ネットの力でオバマ政権が誕生し、そしてトランプ政権も誕生した。8年前に回帰するのがネットのあるべき姿と期待したいが、なんだか雲行きは怪しい。

と、考えていたら、8年前への回帰が"必然ではない"ことを裏付けるような騒動が起こった。ヒューストン・ロケッツに対する中国からのバッシングだ。

中国の壁を越える情報操作

ロケッツというと今週、昨シーズンの覇者トロント・ラプターズと2019~20年シーズンの開幕戦を日本で戦ったのでご存じの方も多いと思う。そのロケッツが米国で大きなトラブルに巻き込まれている。

きっかけはゼネラルマネジャー (GM) Daryl Morey氏が4日に投稿した「自由のために戦おう。香港と共に立ち上がろう」というツイートだった。これが中国のトラの尾を踏み、国営中国中央テレビ (CCTV)やTencentが即座にロケッツの試合の放送中止を発表、中国の複数のスポンサー企業がロケッツとの協力関係を断つと表明するなど、瞬く間に反発が拡大した。

Morey氏はすぐにツイートを削除して謝罪。NBAもすぐに同氏の謝罪を紹介し、問題の発言は個人的なツイートであり、ロケッツやNBAの立場を示すものではないと説明。その上で表現の自由と中国の価値観の両方を尊重するとした。中国はNBAのドル箱市場であり、中でもかつて中国人センター・姚明 (ヤオ・ミン)が所属していたロケッツは中国で高い人気を誇る。

そんなNBAに、今度は保守派の米国議員を筆頭に米国から怒りの声が上がった。テキサス州選出の元下院議員ベト・オルーク氏は「NBAが謝罪すべきなのはただ1つ、金銭的利益を人権より優先したこと。なんという恥知らずだ」とコメントしている。

この騒動は多くの人に、1998年のビル・クリントン大統領の中国行脚を思い出させた。同大統領は訪中した際に、さまざまな中国人とふれ合いながら米国の価値観や理想を伝えた。中国のネット検閲に関しても、自由なインターネットを操作することなど不可能であり、いずれ開放への道が開けるという見通しを示した。これはクリントン大統領が楽観的すぎたのではなく、誰もが予想していたことだ。2010年にGoogleが中国市場から撤退したが、それもいずれ中国のネット環境が変わると期待した上で切った切り札だったと思う。

ところが、クリントン訪中から20年、大統領が語ったような自由で民主的な中国のネット環境は実現していない。それどころか、米国で中国の価値観が尊重される事態になっている。米国の価値観から見たら"悪化"である。例えば、日本や米国でも人気の高いショート動画投稿サービスTikTok (中国ByteDanceが提供)で「rockets」と検索すると、NBAのヒューストン・ロケッツの動画が結果に表示される。だが、ロケッツの中国語表記である「火箭」で検索すると、女の子の動画が結果トップでロケッツの動画は出てこない。これはロケッツを"Rockets"と表記するのが一般的だからというわけではなく、中国語で「勇士」と検索するとゴールデンステート・ウォリアーズの動画がトップにリストされる。つまり、TikTokから火箭 (ロケッツ)が消えるような情報操作された環境が中国の壁を越えて世界に広がっているのだ。

  • 「rockets」と「火箭」、米国で同じロケッツについてTikTokで検索しても英語と中国語で結果が異なる

この問題についてBen Thompson氏が、グローバルなネットにおける価値観の相違、モラルと経済について的を射た指摘をしている。

「最も大きな変化はマインドセットだ。第1に、インターネットは摩擦を減らす非道徳的な力であって、(信じられたような)必然的な力ではない。第2に、異なる文化は根本的に異なる価値観を持つことがある。第3に、価値観が維持されるならば、それらは経済な問題を絡み合わせる要因になり、けん引するものではない。クリントンが間違っていたのは、お金はテクノロジと同様に非道徳的だということだ。もし私たちがそれを最も重んじたら、私たちの道徳は必然的に消えてしまうだろう」