ここ2週間ぐらいをかけて、近くの公立学校をいくつか取材した。Appleが教育テーマのスペシャルイベントを開催し、米K-12 (幼稚園~高校)市場における「Chromebook対iPad」の競争が激化したためだ。学校がデジタルデバイスの採用を判断するポイント、本当に子どもに使わせたいデバイス、脱テキストブック、BYODの問題など面白い話をたくさん聞けたが、今回の取材を通じて最も印象に残っているのは、幼稚園や小学校で子ども達にAR (拡張現実)アプリが爆ウケしていたことだ。

例えば、フラッシュカードと連動するARアプリを使っていた。「Monkey」と書かれたフラッシュカードにiPadを向けるとカードからサルが歩き出してきて、その単語が意味するサルをビジュアルで確認できる。「サルの食べ物と言えば…」で「Banana」と書かれたカードをサルのカードに横に並べると、カードからバナナが出てきて、そこにサルが寄ってきて食べてしまう。子ども達は大興奮である。

  • 「Queen Bee」のカードの横に「Flower」のカードを置くと、ハチが花に飛んでいく

ARに関して早熟な日本では、スマートフォンをかざしたら恐竜や動物が飛び出す図鑑が数年前からあったので、「それってスゴいの?」と思うかもしれない。米国では「AR」と言って通じたのはシリコンバレー界隈のみ、一般的には「ポケモンGO」が出てくるまで、AR (Augmented Reality)をイメージできる人は少なかった。そんな状況だったから、公立学校でARアプリに子どもが熱中しているのは隔世の感である。

それを見ていて思い出したのが、Appleの昨年の7~9月期決算発表のカファンレンスコールにおけるTime Cook氏 (CEO)のARに関するコメントだ。

「(ARは) 人々を孤立させず、人々の活動を豊かにしてくれる」

昨年11月に聞いた時は同意できなかった。ARを重要なテクノロジーと見なすのは分かる。だが、一方で「人々を孤立させるもの=VR (仮想現実)」に否定的なのはどうだろう。VRヘッドセットをかぶってVRの世界に浸っていると不健康な感じがするのは否定しない。実際そう思ってしまう。だからといって、「孤立するからダメ」と言ってしまうと仮想技術の可能性を狭めてはしまわないだろうか。

現時点でAppleのARソリューションはiPhoneやiPadをかざして使うARである。すでに数多く存在するiOSデバイスを使用でき、最初からたくさんの人たちが体験できるというメリットがある。しかし、iOSデバイスを手に持ち続けるスタイルで長時間の使用は無理だ。公衆の場でもやりにくい。AppleはAR開発においてユーザー体験を最優先し、ウエアラブル端末はまだ時期尚早という姿勢だが、そんな悠長なことを言っていたらGoogleやMicrosoft、Oculusに置いていかれるんじゃないか……と思った。

しかし、今回の取材でARアプリに熱中する子ども達を見て考えを改めた。すぐ手に取って使えるから子ども達はARアプリを使う。また、フラッシュカードから動物が出てきたり、「はらぺこあおむし」のあおむしがリンゴを食べる様子をクラスメートと一緒に楽しめるからARアプリに熱中する。ヘッドセットをかぶって一人で見ていてもすぐに飽きてしまうだろう。

取材の後、Appleのカファンレンスコールを聞き直してみたら、Cook氏は次のようにも述べていた。

「可能ならK-12に戻ってもう一度授業を受けたいと思うぐらい、これらの(AR)アプリはクラスルームのゲームチェンジャーである」

その時はARと教育について意識していなかったから聞き流してしまったが、今ならこの言葉の意味がよく分かる。大人達にとって本当に役立つ体験を作るには今日のAR技術はまだシンプル過ぎる。ARの可能性は教育に限られるものではないが、人々の活動を豊かにするARが最も浸透しやすいのが教育であり、Appleが考えるARの可能性が一足早く教室で開花しようとしている。

AppleはApple Parkのビジターセンターで、iPadを通して模型を見るとApple Parkの構造解説が表示されるARデモを用意している。iPadだから複数の人でのぞき込める。訪れた人たちは皆、一緒に訪れた人またはAppleのスタッフと会話しながらワイワイとデモを楽しんでいる。体験してみると分かるが、何が楽しいって、誰かと楽しめるのが楽しいのだ。

  • Apple ParkビジターセンターのARデモ

正直なところ、「人々を孤立させる」のが誤った仮想技術の使い方と断定するのは今も抵抗がある。しかし、Appleの徹底したプライバシー保護の取り組みもそうだった。FBIとの対立に発展した時には強い逆風にさらされたし、機械学習開発において不利と言われ、賛同する声はあってもIT企業の戦略としてなかなか理解してもらえなかった。しかしながら、端末における機械学習処理が重視されるようになり、またFacebookの利用者データ漏洩が社会問題化する中で、Appleのプライバシー保護に対する評価が変わってきている。