Fast CompanyのCo.DISIGNに掲載された「Will Apple's Tacky Software-Design Philosophy Cause A Revolt?」(Appleの趣味の悪いソフトウエア・デザイン理念で反乱が起きる?)という記事をきっかけに、「AppleがSkeuomorphismデザインを積極的に採用する傾向はいかがなものか?」という議論がわき起こっている。
記事によると、Apple社内でiOS開発を率いるScott Forstall氏がSkeuomorphismの採用を推進している。ただし、デザインチームのボスJonathan Ive氏を含む多くの幹部は否定的で、社内でもSkeuomorphismを巡る激しい議論が続いているという。
Skeuomorphismとは耳にしたことがない言葉だと思うが、パソコンやWebにおいては現実のオブジェクトをエミュレートしたものを用いたユーザーインタフェース(UI)を指す。例えば、OS Xの「カレンダー」は本物のカレンダーのような見た目で、トラックパッドでスワイプするとめくられるようなアニメーションと共に次の月に移動する。本物のカレンダーの質感と特徴を模しているから、誰でもひと目で、それがカレンダーソフトだと判るし、本物のカレンダーをめくったことがあれば、すぐにカレンダー(ソフト)を使えるようになる。
カレンダーのような見た目で、カレンダーようにめくれるOS Xの「カレンダー」。カレンダーを綴じている部分の皮のような素材は、Steve Jobs氏のビジネスジェットに使われていた皮のテクスチャを再現したものだという |
iOSの「ボイスメモ」のUIはマイクとVUメーターになっている。レコーダーを使ったことがある人なら悩むことなく、すぐに操作できる |
このSkeuomorphismに対するネガティブな意見は、2つに大別できる。1つは装飾過剰、趣味が悪いという意見。記事で紹介されているAppleでシニアUIデザイナーだったという人物は「ビジュアルによる自慰行為」と切り捨てている。「こんなにホンモノっぽくビジュアルレンダリングできるんだぜぇ~と、デザイナーが筋肉を誇示しているようなもの」としている。
もう1つはSkeuomorphismの効果を認めながらも、Skeuomorphismがトレンド化していることを懸念する声だ。Skeuomorphismデザインは、親しみやすく、使ったことがあるかのように操作できるUIを実現する。ただし、それは全てに当てはまるものではない。現実のオブジェクトを模しているからこそ、逆の結果になってしまうこともある。
例えば、ローロデックス(Rolodex : 回転式の名刺ホルダー)を模したアドレス帳ソフトだ。ローロデックスは90年代ぐらいまで、米国のどこのオフィスにもあったが、最近は見かけなくなった。理由はパソコンや電話にコンタクト情報を収めて、ローロデックスよりも素早く取り出せるようになったからだ。それなのに、わざわざソフトウエアでローロデックスを再現して、ばたばたと回転させながらコンタクト情報を探すのでは、むしろ不便である。必ずしも、現実のオブジェクトの使い勝手が良いとは限らないのだ。
中途半端なSkeuomorphismもトラブルを招く。OS Xの「連絡先」はアドレス帳のような見た目である。だから、カレンダーと同じようにめくれると思ってスワイプすると、何も起きない。普通にスクロール&クリックなのだ。アドレス帳を模した見た目ならば、アドレス帳から想像する操作方法で操作できないと、逆にユーザーは困惑する。
また本物を模しても親しみを持ってもらえるとは限らない。例えば、電話アプリにダイヤル式の電話のUIを用いても、それに親しみを持つのはダイヤル式電話を経験した世代だけだ。最近の子供はダイヤルを回す操作に戸惑うだろうし、それが電話だと分かる可能性すら低い。
Skeuomorphismは橋渡し役として効果的だが……
筆者もKindleアプリでページめくりのアニメーションを無効にしている。だから、過剰という意見は理解できる。それでもiBooksが登場した時に、iBooksというアプリを理解してもらうためにページめくりは効果的だったと思うし、紙の書籍を読んできた人たちに電子書籍を身近な存在にしたと思う。
「書籍のような見た目+ページめくり」のようなSkeuomorphismは、アプリの使い方を伝えるマニュアルのような役割も担う。いまSkeuomorphism不要論が広がっているのは、スマートフォンやタブレットなどタッチデバイスを多くの人が操作できるようになり、もはやマニュアル的な過剰なSkeuomorphismを不要と思う人が増えてきたからではないだろうか。だがAppleはこれから、パソコンやモバイルデバイスにあまり関心のない普通の人たちに受け入れてもらう方法を考えなければならない。その点でiOSを手がけるForstall氏はSkeuomorphismに積極的なのかもしれない。
Co.DISIGNの記事は、Skeuomorphismに熱心なAppleに批判的で、情報を機能的に示すMicrosoftのMetro UIこそ将来を見据えた斬新なアプローチとしている。ページめくりのようなSkeuomorphismは橋渡しのUIとして効果が高い。だが極端な話、将来電子書籍が当たり前になれば、ページをめくるという操作に人々は違和感を覚えるようになるだろう。エミュレーションは所詮エミュレーションであり、いつかは本物が定着する。Metro UIが、その本物なのか。Windows RTやWindows Phone 8に、ごく一般的な消費者がどのように触れ、どのように使いこなすか興味深いところである。
個人的にはタッチデバイスの普及と共に、Skeuomorphismがもてはやされた時期を過ぎて幻滅期を迎えたような印象を受けている。Skeuomorphismは目的を設定して、そのためにエミュレートすべきものを慎重に選択しなければならない。戦略性が問われるUIだ。その問題点と課題が浮き彫りになってきたのが現在であり、こうしてUIに関心を持つ人たちの間で議論が深められれば、やがてSkeuomorphismを効果的に使いこなすデザイナーが増え、回復期・安定期を迎えるのではないだろうか。
Appleも無闇やたらにSkeuomorphismデザインを増やしているのではなく、例えばSiriのカードのように、着実にテクニックを磨いている。このコラムが読まれる頃には、iOS 6の配信が始まっているだろう。アップデートされた方は、Skeuomorphismデザインを意識しながら使ってみると、新たな発見があるかと思う。