19日に米Appleが「iBooks 2 for iPad」と「iBooks Author」を発表し、テキストブック市場への本格参入を果たした。が、教育関係者からは好意的な感想が聞こえてくるものの、ネット上では少なからず逆風を浴びている。iBooks 2向けのメディアリッチな電子ブック形式はWeb標準を土台に"独自"拡張したものであり、またiBooks Authorで作成した電子ブックの有料販売をiBookstore経由のみとするように同ツールのエンドユーザーライセンス契約で制限している。Appleらしいといえば、Appleらしいが、教科書でもユーザーを囲い込む戦略はいかがなものかというわけだ。Appleは本当に教育を変えようとしているのか、それとも教育を食い物にしようとしているのか……答えはiBookstoreに並ぶ大手教科書出版社の教科書の「ほとんどが14.99ドル以下」という価格に表れている。
iBooks版の教科書には「重い教科書から解放される」とか、「メディアリッチな素晴らしい教科書になる」、または「いつでも新品」というような売り文句が並ぶが、学生の時に高い教科書代に苦しめられた身としては"14.99ドル以下"という価格が衝撃だった。例えば、19日にiBookstoreで発売開始になった教科書にPearsonの「Biology (Miller & Levine)」(14.99ドル)が含まれるが、Amazon.comでハードカバー版を購入すると75ドル(1月24日時点)である。価格だけでもiBooks版の教科書が現れたインパクトは大きい。
しかし、なぜこれまで価格破壊が起きなかったテキストブック市場で、Appleは14.99ドル以下という価格を実現できたのだろうか?
McGraw-Hill CEOのTerry McGraw氏によると、予算が限られた米国の公立学校は平均して5年に一度、教科書出版社から教科書を購入している。つまり、75ドルの教科書から得られる出版社の売上げは1年あたり15ドルになる。もし全生徒がiPadを持つようになるならば、デジタル版を1冊15ドルに設定すると、これまでと同じ予算枠ですべての生徒に新品同然の教科書が行き渡る。5年間で紙の教科書はボロボロになり、中身の情報も古くなるから生徒や教師が得るメリットは大きい。一方で、教科書出版社はこれまでの売上げを維持できる。
ただ、クローズドな仕組みでなければ、教科書出版社は教科書の値下げに同意しなかったはずだ。理由はレンタルや古本など、価格の高い教科書の周りで発達してきたサービスの存在である。デイトナ州立大学が2年間にわたって学生の教科書の使い方を調査したところ、電子版の教科書を使っている学生は1ドルしか節約できなかったという。これまでも電子書籍版の方が価格は安かったが、新品の所有にこだわらなければ、レンタルなどを活用することで印刷版の教科書でも出費を抑えられる。特にインターネットを通じて古本をやり取りできるようになってから、最新版の教科書を購入する学生が減少するばかりで、レンタル・古本販売対策が教科書出版社の課題になっていた。電子書籍もオープンなままだとレンタルや古本販売の対象になり得るが、iBookstore限定で学生に直接配信する仕組みなら、教科書出版社がレンタルや古本販売に売上げを蝕まれる心配はなく、出版社が大幅な値下げに踏み切れる。
出版産業がAmazonに奪われる!?
たしかにiPadだけではなく、あらゆるタブレットで、メディアリッチな素晴らしい教科書が同じように読めるのが理想である。だが、教科書が安くならなければ、公立学校の予算不足や、公立学校でボロボロの教科書が使い回される問題は解決しない。Appleのやり方は独占的ではあるが、少なくとも現状において学生・教師・教科書出版社のすべてが恩恵を受けられる仕組みになっている。
同じクローズドな電子書籍プラットフォームでも、Amazonは出版社との対立を深めつつある。そんなAmazonへの危機感も、教育出版社がAppleとの提携に踏み出した要因と考えられる。
PandoDailyの創設者で著作家でもあるSarah Lacy氏の「出版業者の告白: Amazonのターゲットになった我々は殺される」というブログ書き込みが、先週後半にネット上で話題になった。匿名の出版業者からのEメールを紹介したもので、その出版業者は以下のようにAmazonによって米国の出版産業が食いつぶされると語っている。
「Amazonは本を、他の目的(Primeの契約やカスタマーデータの収集)を果たすための目玉商品としていると、われわれの誰もが見なしている」。小売価格の50%程度で仕入れた書籍を、Amazonは5割以上も値引いて販売し、BordersやBarnes and Nobleなど大手を含む書店を打ち負かしてきた。そして今度は電子書籍プラットフォームを以て、出版市場に進行してきた。背景には近年、出版社が才能を発掘して地道に育てるのを怠り、有名人やタレントの本などで安易にベストセラーを作り続けてきた問題がある。前金を投じて権利を獲得する競争を出版社同士が演じており、そこにAmazonが割って入ってきた。「(書籍市場が縮小する中) 今や書籍に100万ドルを投じることはできなくなった。しかしAmazonは他の出版社を追い出すという目的のためだけに、年間2000万ドルの出版事業の赤字を厭わないだろう」としている。あり得ない額の前金を武器に、作品をAmazonのプラットフォームに取り込む。「Amazonが本を購入する唯一の場であり、そして本を出版する唯一の場になるまで、資金に窮するこの産業に金をばらまき続ける。それが彼らのやり方なのだろう」と指摘する。
Amazonが本当に出版産業を席巻しようとしているのかは分からない。ただ、出版社が「電子書籍へのシフト」と「キビしい未来」を痛感しているのは事実である。そんな危機を招いた原因は、Amazonの台頭ではなく、作家が育たず、教科書(本)が高すぎるというような状況を放置しつづけてきた出版社自身にある。
だから教科書出版社が今回、新しい教科書を誰もが手にできそうな「14.99ドル以下」という価格を打ち出したのは評価すべきことだ。Appleのプラットフォームはクローズドだが、私企業である同社がオープンさを維持しないからといって批判するのはお門違いだ。教育市場でAppleに独走されたくなければ、AmazonやBarnes and NobleもApple以上に消費者が満足でき、出版産業が成長を見通せるソリューションを示せば良いのだ。もし高品質かつオープンで価格も安いソリューションが登場したら、誰もiBooks版の教科書を購入しなくなる。Appleのやり方はともかくとして、この競争がすべての人にとって望ましいものであることに異論を挟む人はいないだろう。