今や中国のバンガロールとも言われるほど、日本向けアウトソーシング基地として有名になった中国・大連市に筆者が移ってきてもうすぐ三年になる。それまでは日本のベンダーで発注者の立場からオフショア開発に携わっていたが、今度は受注者の立場でオフショア開発を見ているわけだ。

たまたま中国資本の大手ソフトウェア企業で働く機会をいただけることになり、それで大連に赴いたのだが、それにしても「何を好き好んで日本の発注者からやいのやいの言われる立場になったのか」と思う方もいらっしゃるだろう。

オフショア開発とオブジェクト指向の関係

日本在住時には筆者はオブジェクト指向プログラミング関連の研究開発をしていたが、それが今はオフショア開発をテーマとして取り組んでいる。オブジェクト指向とオフショア開発の間に、なんの関係があるだろうか? 実は大アリである。切り口は違うながら、どちらもソフトウェアの作り方に関する分野だ。そこに接点がある。

日本のソフトウェア産業は、カスタムメードのシステム開発に高度に依存しており、ローカル色の強い産業だ。そこで一般的となっているソフトウェア開発体制はあまり現代的とは言えないが、それでも発注者と協力会社との間の信頼に基づく長期的な取引関係や終身雇用による知識・経験の蓄積、そしてローカル集団ならではのチームワークの良さで回ってきた側面がある。しかしこれが逆に作用して、新しい、現代的なソフトウェア開発体制の導入を阻む壁にもなっているのだ。

10年以上存続している企業はほんの一握り

オフショア開発では今までと同じやり方で効果を出すことはできない。

具体的に述べよう。現場レベルで見て、例えば中国の特定のソフトウェア企業の特定部門と10年も付き合いがあるというケースは極めて稀だし、そもそも1万3,000社ある中国ソフトウェア企業の中で10年以上存続しているところはほんの一握りにすぎない。取引関係は必ずしも長期的ではないのだ。また、中国のソフトウェア企業の約8割で、従業員の離職率が10%以上である(さらに、約5割で20%以上!)。したがって、発注者は、大半の従業員が長期間同じ企業に勤めることによる知識・経験の蓄積を前提として中国ソフトウェア企業と付き合うことはできるとは限らない(入社3年目までの従業員が特に辞めやすい)。中国以外の主なオフショア開発発注先でも事情は多かれ少なかれ同じだ。

こうした状況の中、現場はオフショア開発を始めて数年内に結果を出すことを経営者から求められる。日本の協力会社への発注と同じようにオフショア企業と付き合っていたのではすぐに身動きできなくなることは想像に難くない。むしろ、ローカル産業の中での今までのソフトウェア開発のやり方を、オフショア開発に積極的に適応させていくことが必要だ。だからこそ、オフショア開発の推進に当たっては、現代的なソフトウェア開発取引慣行への移行、ソフトウェア・エンジニアリングの適用、先進的なソフトウェア開発プロセス、コミュニケーションやコラボレーションをスムーズにするテクノロジーの導入などが真剣に論じられる。

そう考えると、ソフトウェア開発の最前線がオフショア開発にあるといっても過言ではない。実際、IBMなどは地球上のいくつもの地点にチームを分散させてソフトウェア開発を行うための開発環境の研究開発を行っており、「グローバルソフトウェア開発」や「分散ソフトウェア開発」はソフトウェア・エンジニアリングの最新の研究テーマにもなっている。ソフトウェア開発の現場や経営者の方々にも、筆者は機会のあるごとに「オフショア開発をきっかけと捉えてソフトウェア開発プロセスの改革に前向きに取り組んでいただきたい」とお願いしているし、新しいことを試して結果を出すのにオフショア開発ほどいいフィールドはないと実感している。

発展に沸く中国 - 中国人材の活用が競争力向上の鍵

それにしてもわずか三年足らずの間にも私のいる大連、特にソフトウェア企業が密集する「大連ソフトウェアパーク」はずいぶん発展した。いま中国は発展に沸いている。テレビのニュース番組を見れば「発展」という言葉を何度となく耳にするほどだ(そういえば中国政府の最新のスローガンも「科学的発展観」である)。中国のソフトウェア産業も同じように発展しているが、そのレベルを高めていく過程では外国企業、わけても日本企業とのパートナーシップが重要な役割を演じることになるというのが中国側の理解のしかたである。一方、今後不足するソフトウェア人材の供給を外国に依存せざるをえない日本のソフトウェア産業にとって、中国のソフトウェア人材の活用戦略は各企業の競争力を左右するキーファクターとなっていくに違いない。経営者の方も、現場の方も、恐れを抱かずに積極的にオフショア開発に取り組んでいただきたいというのが筆者の願いである。

日中オフショア開発市場規模推移 - 統計/推計によって値が大きくことなるため、いくつかの値を比較しやすい図にした

次回からはより具体的に、日中オフショア開発を事例として、その歩んできた道、現在の課題、これからの方向性を、周辺事情の紹介を交えながら述べたいと思う。

著者プロフィール

細谷竜一。1995年、Temple University(米国)卒業。1997年、University of Illinois at Urbana-Champaign(米国)コンピュータ科学科修士課程修了し、1998年、東芝入社。東芝ソリューション SI技術開発センターを経て、現在、大連ソフトウェアパークにある某大手ソフトウェア企業で勤務する。学生時代はオブジェクト指向やデザインパターンなどの研究に従事。GoFの一人、Ralph E.Johnson氏の講義を受けた経験も。卒業後も、パターンワーキンググループの幹事を務めるなど、研究活動に積極的に取り組んでいる。

オフショア開発については、『システム開発ジャーナル Vo.1』の「特集2 オフショア開発最前線」でもアジア各国の最新事情が、実際のプロジェクトを経験したマネージャらによって解説されている。そちらもぜひ参照されたい。