これまで2回にわたって、「昨今の防衛力整備では機敏さが求められる。そこではミッション・エンジニアリングやデジタル・エンジニアリングが重要になる」という話を書いてきた。
そのトリガーは、アンシス・ジャパンが6月25日に都内で開催した、防衛産業向けのDXに関するセミナー。今回はその関連の話の締めくくりとして、ミッション・エンジニアリングやデジタル・エンジニアリングを実現するための環境作りについて取り上げてみる。→連載「軍事とIT」のこれまでの回はこちらを参照。
GNSSへの妨害が多発している
連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」の第445回で、GPS(Global Positioning System)に代表されるGNSS(Global Navigation Satellite System)への妨害が原因で、定期便の運行が中断に追い込まれた事例を取り上げた。GNSSは、精確に緯度・経度・高度・速度を知ることができる便利なツールだが、それゆえに攻撃目標にもされやすい。
ことに無人ヴィークルの運用に際しては、自律的かつ精確に測位できる手段は不可欠だから、GNSSが多用される。すると、その無人ヴィークルのオペレーションを邪魔しようと考えたときに、GNSSに対する妨害・欺瞞は手っ取り早い手段となる。
だからここ数年ほど、ロシアの近隣ではGNSSに対する妨害が多発している。中国が何かやらかそうとした場合にも、同じことが起きると予想される。そこで、GNSSに対する妨害・欺瞞に対して、いかにして立ち向かうかが課題になっている。
その一例として、アンシス・ジャパンのセミナーで紹介されたのが、ロケーションマインド(LocationMind Inc.)と、同社から独立発足したサイフィク(CYPHIC Inc.)のソリューション。
ロケーションマインドでは、GNSSの信号真正性を検証する仕組みをQZSSに実装し、信号認証という仕組みで、すでに商用としてリリースしている。
さらに、サイフィクではGNSSのスプーフィング対策として、妨害の検知、あるいは妨害源への対策を講ずるためのシステム構築や、電子戦装備品の開発を進めている状況にある。高機動車ぐらいの車両があれば載せられる、可搬性を備えた製品になるという。
電波の状況をモデリングする
こうした仕組みを実現するには、衛星から地上に向けて放たれる本物の電波と、誰かさんの妨害装置から放たれる妨害電波あるいは欺瞞電波の区別をつける必要がある。
ところが、「正常ではない」状態を検出するためには、まず「正常な状態」が分かっていなければならない。といって、さまざまな現場に受信機や測定装置を持ち込んで調べるのは負担が大きい。それに、建物や植生などの状況は一定ではない。
ところが、頭上から飛んでくる電波がどのように伝搬するかは、モデリングとシミュレーションで把握する方法もある。あくまで物理法則に則った話になるからだ。それならいちいち「現場計測」をする必要はないし、手近なところに存在しない状況を再現することもできる。
理屈の上では、市街地で高い建物が櫛比している場所におけるマルチパス(頭上からダイレクトに入射する電波と、近隣の建物などで反射して異なる角度から入ってくる電波の両方を受信してしまう現象)の発生やその影響も、モデルを作って計算できる。ただし、精緻に計算しようとすると、それだけ計算量が増えてしまうのだが。
その、電子戦領域のモデリングを行うツールとして、例えばアンシスのモデリング/シミュレーション用ソフトウェア「Ansys STK(Systems Tool Kit)」がある。これは、DSEI Japanでも展示・説明が行われていた製品だ。
こうしたツールはGNSSだけでなく、合成開口レーダー(SAR : Synthetic Aperture Radar)の映像解析を、人工知能 (AI : Artificial Intelligence) にやらせるような場面でも役に立つ。信頼できるデータ・セットを用意するために活用できるのだ。
オンプレミスでは負担が大きいのでAWSで
普通、何かの機能を実現するソフトウェアを走らせようとした場合、まず考えるのはオンプレミス、つまり手元にサーバPCなど、所要のハードウェア環境を構築して、そこで走らせる方法であろう。
ところがこれは、ハードウェアの調達だけでなく、その後の設置・運用・維持管理についても費用がかかる話。それに、やってみてうまく行かなかったときの経済的・時間的なロスも無視できない。不確定要素が多いチャレンジには向かない可能性がある。
そこで、「Ansys STK」などを、AWS(Amazon Web Services)で走らせることにした、という話がアンシスのセミナーで紹介された。自前でハードウェアを持つわけではないし、利用に応じて課金するシステムだから、初期費用や投資リスクを抑えられる利点がある。
ただし注意しないといけない点もあって、それがソフトウェアのライセンスだという。利用形態によってはライセンス違反になる可能性があるからだ。そこは運用に工夫をして、ライセンス違反にならない仕組みを整えたとの話であった。
ミッション・エンジニアリングのためのクラウドという発想は?
これは特定の企業が自社のために、クラウド環境を活用してミッション・エンジニアリングの基盤を整えたという話だった。それが有用性を発揮できるのであれば、業界で共用できるようなクラウド・ベースのモデリング/シミュレーション環境を用意できないか、なんてことを考えた。
高機能・高忠実度のモデリングやシミュレーションを行える環境を整備するのは、相応に大きなリソースを必要とする話で、規模が小さい企業にとっては負担が大きくなる可能性が懸念される。
それなら、防衛産業界向けにモデリングやシミュレーションの機能を提供するクラウド基盤を構築して、そこで必要なシミュレーションを走らせる代わりに、利用状況に応じて課金する。
そんな仕掛けができたら、ミッション・エンジニアリングを普及させて、活用を増やす役に立たないだろうか。という素人の思いつきである。さて。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第5弾『軍用センサー EO/IRセンサーとソナー (わかりやすい防衛テクノロジー) 』が刊行された。