最近、見ないようにしているニュースがある。犬が人に噛みついてもニュースにならない、人が犬に噛みつけばニュースになると聞くが、同じような話だ。以前は必ず熟読していた。でも毎週のように同じ記事ばかりでは読む気にもならない。福島第一原発事故のことか? いや違う。こちらは真剣に読んでいる。実は日本企業のインド進出のことである。

一時的なムードに終わらなければ良いが

毎週のように日本企業のインド進出に関するニュースのタイトルを見る。しかし、筆者が見るのはタイトルだけ。正確に言うと、見るのではなくて目に入っているだけである。だからすぐに忘れてしまう。多分、最近の動きについては筆者よりこのコラムの読者の方が詳しいだろう。

筆者が初めてインドを訪問したのは1995年であるが、当時など「物好きが何をやっているのか」といった目で見られるのが関の山であった。それが今では「インド進出コンサルタント」もたくさん生まれ、こちらもブームになっている。どうも筆者の知っているインドとは別のインドが存在するのかとも思えるようになって来た。筆者ももう少し商才があれば「同じインド」と思えるのかもしれないが。

昨年のマンモハン・シン首相の来日とEPA締結を機に、日本企業のインド熱は異常な雰囲気となっている。このコラムの第8回「取るに足らない!?レアアースと引き換えに『水』インフラを確保するインド」と筆者の独自コラム「インドも中国もアメリカと同じ位の『ならず者』」でも書いたが、今回の原発事故でさらに拍車がかかったようである。

たしかにインドには巨大なマーケットが存在する。将来は中国に次ぐ、いや、もしかすると中国以上のマーケットになるかもしれない。そのインドに進出するのは当然である。しかも日本企業にとっては「スズキ」という絶好の成功事例がある。

中国では日本車はあまり見かけないが、インドの自動車業界では、スズキだけで50%近くのシェアを占めている。「スズキができるのなら……」中にはこのように考える経営者がいても不思議ではない。

問題はインド進出に対する経営者の覚悟である。日本でできないことがインドでできるわけがない。ビジネス環境も含め、何もかもが日本とは大違いである。

仮に自分のところがうまくいってても、政治・社会の影響をすぐに受ける。隣に進出した別の日系企業の労働争議が飛び火してくる場合もある。問題なく立ち上がった企業などどこにもない。うまくいかないのが普通である。繰り返しになるが、重要なのはそのような局面を迎えた時の経営者の覚悟である。

核実験が行われても、パキスタンとの紛争があっても、スズキはインドから撤退しなかった。いや、マルチスズキがスズキの子会社となったのは、つい最近のことである。スズキは撤退せずにインド政府と喧嘩しながら経営権を奪っていったのだ。

実は対印投資額は減っている

信じられないような話だが、これは事実である。ただし日本から見たインド投資ではない。世界全体から見た話である。

2010年度におけるインドへの海外直接投資(FDI)は前年と比べて実に30%近くも落ちた。その反動で今年度は持ち直してきているが、落ちた要因は何も変わっていない。小売業や保険業での外資規制の緩和が進まず、汚職や規制のハードル、改革の不足などが何も変わっていないからである。そんな状況下で日本企業だけが投資を増やしている状況なのだ。考えようによっては怖い話だ。

インド進出のリスク要因

政治リスクは中国よりもインドの方が高いだろう。パキスタンとの問題は別にしても、国内問題が多すぎる。毛派などはテロリストとして扱われているが、その実態は、ますます貧しくなる農民の抵抗である。

中国では生活が豊かになっている人たちが多数派であるが、インドでは逆である。中国は「法制度が整備されていなくて人治主義」と言われているが、インドは「(矛盾する)法がありすぎて人治主義」と言われている。あまりにも日本とは価値観が違いすぎる。

政府当局黙認(?)の中国のストライキと違って、すぐに爆発するインドのストライキ問題。州政府命令による中央政府に対するゼネスト。裁判の長期化。劣悪な環境のために日本人では生活できない……こんなことを書いていると原稿用紙が何枚あっても足りない。小売業に対する外資規制の緩和は、たしか今年には実現すると聞いていたが、現実問題として難しいだろう。外資が自由に動き出すと、小さな商店が次々につぶれてしまうからだ。

今回はこの2つだけを例としてあげておくことにしよう。

インドのことはインド人に聞け!?

これは、インド進出関連のセミナーなどでよく言われている話である。価値観、常識のまったく違う日本人が現地で物事を判断してもダメである。これは事実だ。しかし、インド人がインドのことをわかっているかというと、それは違う。難しすぎてインド人でもわからないことが多いのだ。

当社は2006年にインドに子会社を設立した。これは、手がけてから1年後に実現した。最初は親日団体の顧問の会計士に現地法人設立の協力を依頼した。何回も何回も書類を作り直した。やっと「これでOK」と言われたが、結局は政府から却下された。

親日団体の顧問の人だから、それなりに日本のことはわかっていたが、肝心の刻々と変わるインドの法制度についてわかっていなかったのだ。次に頼んだのは韓国企業のインド進出サポートを手がけている会計士だ。書類を特急で作って日本語文章1行の英訳が抜けてしまっていたが、とりあえず提出した。結果は10日で許可が下りた。英訳が1行抜けていることなどはどうでもよかった。これは、海外企業の現地法人設立のためのポイントを会計士が押さえていたからすぐに許可が下りたにすぎない。

州が変われば外国である

州の数だけ首相がいる。知事ではない。

インドは民族、人種、言語がまったく異なる州が集まった連邦国家である。当然ながら法制度も違う。共通点は1点のみ、カシミールを除いてヒンズー教徒が多数派であるということだけだ。しかし、ヒンズー教徒が政治権力を持っているわけではないし、経済の実験を握っているわけでもない。

筆者から見ても「難しい」と思える経済特区がある。それは、アーンドラ・プラデーシュ(AP)州のSri Cityである。筆者は2年前の9月、ほぼ造成が終わった段階でこの地を訪問した。

この経済特区は、チェンナイから車で75km(公式には55km)、タミル・ナードゥ州とアーンドラ・プラデーシュ州との州境を越えたところに建設されていた。

Sri Cityのロケーション

この経済特区はAP州政府の全面的な協力で建設された。だから土地の確保は完璧だった。5500エーカーの広さというのがどれだけの広さかはよくわからないが、敷地を車で一周するのに40分かかった。ここでは電力や水といったライフラインの整備もAP州政府が行うとのことであり、心配ないようだ。最大の問題は、地図を見ればわかるように、ここは「タミル・ナードゥ州のチェンナイ郊外」である。

港も空港もタミール側にあり、アクセス道路もタミール側だ。だから外国であるタミール州政府が動かないと意味がない。商品の移動もどうするのか。外国に商品を持ち込むのだから関税も発生する。州境にはチェックポストと呼ばれる税関があり、トラックなどは税関で手続きをしないと州境を越えることができない。筆者がこの税関を訪れた時も、チェックポストにはトラックの長蛇の列ができていた。

この経済特区にはすでに日本からコベルコ建機が進出しているようだが、先行きがどうなるか。

SriCityの広大な土地

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「(続)インド・中国IT見聞録」も掲載中。

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