デジタルハリウッド大学大学院教授、ヒットコンテンツ研究所の吉田就彦です。このコラム「吉田就彦の『ヒットの裏には「人」がいる』」では、さまざまなヒットの裏にいるビジネス・プロデューサーなどの「人」に注目して、ビジネスの仕掛け方やアイデア、発想の仕方などを通じて、現代のヒット事例を分析していくコラムです。

第12回目のテーマは、青い目をジャーナリストの目に変える - バラール氏が伝えたCOOL JAPAN

7月1日から4日まで行われたフランスにおけるJAPAN EXPOの盛り上がりは、動員数が過去最高の18万人を超えたともいわれ、今やCOOL JAPANはすっかりフランスなどヨーロッパでおなじみになりました。日本ではオタク文化といわれたアニメやコミック、ゲームなどのキャラクターが牽引して、海外でもコスプレブームを呼び、その影響で今も秋葉原は海外からの観光客が押し寄せている状況です。

それらの日本のサブカルチャーは、実はあるフランス人によってヨーロッパに伝えられたことから始まりました。その人物の名前は、エチエンヌ・バラールさん。日本にもう20年以上暮らしている現在46歳のジャーナリストです。

バラールさんは高校生のとき、語学が得意で外国の文化に興味があったことから、海外の情報を伝えるジャーナリストを目指そうと思い立ちました。そして映画好きでもあった彼は黒澤明や大島渚などの日本映画に触れ、戦後急成長した経済大国日本そのものにも興味を持ちました。パリ大学の東洋語学院日本語科に進学したことから日本文化センターに出入りして、ジャーナリストの見習いのようなことをしながら日本について勉強したといいます。

しかし、いくら日本を勉強しても行ったことがないのでは問題だということで、大学を卒業後すぐ日本にやってきました。1986年、22歳のときです。その際に、フランスの雑誌『ヌーベルオブセルバトル』に日本のことを書く仕事を見つけて書いた第1回目の原稿が、雑誌のカバーストーリーになるなど大きく取り上げられました。テーマは日本人の老後と海外移住、タイトルは「日本は老人を輸出する」というものでした。その記事が話題となったことで、バラールさんはラッキーにもジャーナリストとしての第1歩を日本でスタートすることができました。

そんなバラールさんは、日本のさまざまなことに興味を持ちました。もちろん、トヨタをはじめとした車産業、ソニーのような電機産業など、日本が世界に躍進していった時代を支えた産業のことや、社長と社員の年収差が欧米に比べて少ないなど、ある意味民主的な日本の社会構造の側面など、日本の今というものを追いかけました。

やがては朝日新聞の『アエラ』にかなり突っ込んだ本格的な記事を定期的に書くことになり、単なる外国人の特派員という記事作りから、日本に住むジャーナリストとしての視点も磨いていくことになりました。

そんな中で、日本を海外に伝えるためにバラールさんはひとつの効果的な方法を考えつきました。それは、映像の演出に長けている有名映画監督との共同作業で日本のことを伝えようとする試みです。

第1弾は、オタク文化をテーマに「ディ-バ」や「ベティブルー」で有名なジャン=ジャック・ベネックス監督と制作したフランスの国営放送で94年に放送された80分を超えるドキュメンタリー特番で、フランスのみならずヨーロッパ中に初めて日本のオタク文化を紹介することになりました。その後、日本のオタクについて書いた著書「オタク・ジャポニカ」をフランスで出版し、それは、日本のアニメやコミック、ゲームといたオタク系サブカルチャーのフランスにおけるバイブルとなりました。

2作目は、映画「デリカテッセン」で有名なマルク・キャロ監督で、いかに手塚治虫の「鉄腕アトム」が日本のロボット技術の発展に貢献したかを紹介しました。

このように、バラールさんは独自の目線で、しかも独自の方法で、フランスに、ひいてはヨーロッパに日本を紹介していったのです。特に、後にCOOL JAPANと言われるようになったアニメやコミック、ゲームといった日本のオタク文化の普及には多大な貢献があり、今日のヨーロッパにおける日本のサブカルブームの火付け役と言っても過言ではありません。

そんなバラールさんが、なぜフランスなどヨーロッパに日本のオタク文化を拡げることができたかは、インターナショナルマーケットへ日本が出ていく際の大きなヒントを我々に投げかけます。

当初バラールさんが、フランスの雑誌への記事を書いていたときに求められていた感覚は、フランス人の目線からの奇異な現状レポートでした。彼がジャーナリストとして普通に面白いことを提案しても没になってしまうということが多くありました。ある意味では、そのフランス雑誌にとって、都合がいい記事が採用されるというフラストレーションが貯まる感覚を味わったといいます。

しかし、バラールさんには伝えたい本質がありました。その本質とは、今日本でなにが起きているかということの本当の姿です。オタク文化にしてもそれがなぜ起こっているかという背景、つまりジャーナリストとしてのバラールさんの目が捉えた日本という今です。

その日本の今を捉えるバラールさんの目は、単に青い目から見た日本ではなく、時代が動いている、リアルな日本の社会現象を捉えようとしたジャーナリストの目です。そのバラールさんの目の存在こそが、オタク文化の本質をフランスに伝え、その本質に興味と共感を持つ若者に対して影響を与え、オタクをCOOLなものにしたに違いないのです。

すなわち、私が提唱しているプロデューサーの7つの能力のうちの「理解力」の発揮で、物事の本質をいかに捉えるかというバラールさんのジャーナリストの目が、今の大ブームを起こしたと言ってもいいのです。

このように、海外に向けて日本の商品や製品、サービスを展開していく場合は、日本からの閉じた一方的な情報伝達の意識ではなく、その本質をいかに相手の国に伝えられるかが重要なマーケティングの視点と言えるのです。

執筆者プロフィール

吉田就彦 YOSHIDA Narihiko

ヒットコンテンツ研究所 代表取締役社長。ポニーキャニオンにて、音楽、映画、ビデオ、ゲーム、マルチメディアなどの制作、宣伝業務に20年間従事。「チェッカーズ」や「だんご3兄弟」のヒットを生む。退職後ネットベンチャーのデジタルガレージ 取締役副社長に転職。現在はデジタル関連のコンサルティングを行なっているかたわら、デジタルハリウッド大学大学院教授として人材教育にも携わっている。ヒットコンテンツブログ更新中。著書に『ヒット学─コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則』(ダイヤモンド社)、『アイデアをカタチにする仕事術 - ビジネス・プロデューサーの7つの能力』(東洋経済新報社)など。テレビ東京の経済ドキュメント番組「時創人」では番組ナビゲーターを務めた。

「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」とは…

アイデアをカタチにする仕事術として、「デジタル化」「フラット化」「ブローバル化」の時代のビジネス・スタイルでは、ビジョンを「0-1創造」し、自らが個として自立して、周りを巻き込んで様々なビジネス要素を「融合」し、そのビジョンを「1-100実現」する「プロデュース力」が求められる。その「プロデュース力」は、「発見力」「理解力」「目標力」「組織力」「働きかけ力」「柔軟力」「完結力」の7つの能力により構成される。

「ヒット学」とは…

「ヒット学」では、ヒットの要因を「時代のニーズ」「企画」「マーケティング」「製作」「デリバリー」の5要因とそれを構成する「必然性」「欲求充足」「タイミング」「サービス度」などの20の要因キーワードで分析。その要因を基に「ミスマッチのコラボレーション」など、6つのヒット法則によりヒットのメカニズムを説明している。プロデューサーが「人」と「ヒットの芽(ヒット・シグナル)」を「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」によりマネージして、上記要因や法則を組み合わせてヒットを生み出す。