今回のテーマは「怒りに対する発散方法」である。

できればムカつかずに生きたい。そう願って止まないが、心は年々狭くなる一方である。よく「年を取って丸くなった」と言うが、あれは怒る体力がなくなってきているだけじゃないかと思う。ただの元気がないおっさんを「落ち着いていて素敵」と錯覚するのと同じだ。

生まれた時から心の広さは四畳半ぐらいしかなかったが、現在ではマイクロビキニぐらいの面積になっている。しかし、心のままに周囲に怒りをぶつければ周りが対処してくれるのは、乳児か二兆円持っている人ぐらいのものだろう。

多くの場合、怒りは我慢しなければならない。肩がぶつかったからといってイチイチ相手を殴っていては 、こっちの拳が粉砕骨折するからだ。それに、生身の人間に怒りをぶつけると、当然ながら反撃なり反論をしてくる場合がある上に、殴り返して来た相手の拳が超合金だったら、さらなる痛手を負うリスクがある。

こうした危険を避けようとした結果生まれるのが、怒りを発生させた当人ではなく、絶対反論できない相手に怒りをぶつけるクレーマーだ。こういった人たちは、肩がぶつかった相手がカーネル・サンダース人形なら容赦なく暴行するが、カーネル・サンダース(本人)だった場合は「あっすみません…」と小声で謝るのだ。何せ相手はサンダースだ。雷雲を召喚し、消し炭にされる恐れがある。

普段怒らない人が怒ると……

大人になると、「自分を怒らせた相手に怒りを伝える」ということ自体レアケースになってくる。大体、自分に自信がない人間というのは己の怒りにすら自信がなく、仮に感情のままに相手に怒りをぶつけ謝罪させるに至ったとしても、クールダウンの後必ず「私の怒りは正当なものであっただろうか」「自分に怒る権利はあったんだろうか」という反省会が始まり、「怒るんじゃなかった」という結論になるのである。

このような「怒りの賢者モード」が辛いので、普段どれだけ怒りを覚えても、相手にそれを伝えることはあまりない。しかし、年に一度くらいは、顔面白塗りに懐中電灯をくくりつけ、弾倉をたすき掛けにした自害覚悟の八つ墓村ルックで「この怒り!ぶつけずには死ねない!」と怒りにいくこともある。 だが、怒りなれていない人間が怒る姿というのは、残念ながら滑稽になりがちなのだ。

こちらとて、怒りをぶつけると言っても、「バカ!バカ!ウンコ!」とか言いたいわけではない。理路整然とこちらが怒っているわけを説明し、しかるべき謝罪を受けたいだけなのである。

しかし、緊張しているため、とにかくどもる。「ぼぼぼぼ僕は怒ってるんだな」、みたいな感じになる。挙げ句、事前に言おうと思っていたことの大半を忘れるため、しばらくしたら無言になってしまう。相手もとりあえずこちらの言い分を聞こうとしているため、訪れるのは完全なる沈黙だ。八つ墓村ルックで突撃してきた奴が、突然「おこなんだからね!わかってよ!」と彼氏の前でムクれる女子高生のようになるのである。とても三十過ぎの大人が話し合いをする姿ではなく、相手のタマは一切取ってないが、とりあえず自害だけはしたくなる。

大人らしいスマートな「怒り方」

そもそも怒りという感情は、ぶつける・ぶつけないにかかわらず、あまり人に見せて良い物ではない。集団の中に一人でも不機嫌な人間がいれば空気が悪くなり、志気に関わるため、そういったものを人前でまき散らすのは品がない行為だとみられてしまう。つまり、正しい大人の怒りの発散方法は、一人で怒りの炎が消えるまで怒りまくることなのだ。

まず、大人の女性なら一着はあつらえているであろうトゲ肩パッドつき革ジャンをまとい、頭はモヒカンまたは「怒」というタトゥーを入れたスキンヘッドに整え、エレキギターで縦横無尽に部屋にあるすべての物を破壊し尽くしながら叫べば良い。この時叫ぶ言葉は、残念ながらマイナビニュースでは5億%NGなものなのだが、語感としては「不惑」が近い。「不惑――――!」と叫びながら、ウィスキーを口に含み、ライターで火を噴いて終了だ。それでも怒りが収まらなかったらTシャツに着替え、「アンコール!」と叫んで、もう一度エレキギターで部屋の物を念入りに破壊しよう。

この方法は、二兆円程度の資産を持つ石油王であれば問題なく行えるのだが、普通のOLなどがイラっと来るたびに部屋のものを破壊していたら後片付けが大変だし、アパートなどで暴れたら、結局他人の迷惑になってしまう。

狭い日本、思う存分暴れられる場所というのは稀である。こんな時、ドラゴンボールのZ戦士たちが戦う時に使う、あの都合の良い謎の荒野があれば良いのだが。

怒りを鎮火するための異なるメソッド

よって私は、怒りという感情が生まれたら、別の感情で消すことにしている。それは「萌え」だ。3次元で生まれた喜怒哀楽を3次元でカバーするというのは、腹痛を紛らわすために両腕を折るみたいなことで、痛みが倍増する恐れがある。

具体的なことを言うと、耐えがたき憤怒や悲しみに襲われた時には乙女ゲーム(イケメンを落とす恋愛シュミレーション)をやるようにしている。イケメンを一人落とす頃には、不思議と怒りや悲しみが消えていくのだ。そのぐらい、私にとって萌えというのは、全ての感情を超越したものなのである。

しかし、逆に言うと、萌えで消えない怒りがあったら、それはもう我慢する必要すらないような気がしている。もしそういった事態になったら、懐中電灯や弾倉と言わず、着火済みのダイナマイトを巻いて相手の元に走って行こうと思う。

萌えすら凌駕する怒りなのだ、もう悔いはないだろう。


<作者プロフィール>
カレー沢暴力
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は11月24日(火)昼掲載予定です。