トレンドマイクロは2026年10月19日、緊急の記者説明会を開き、日本社会全体のサイバー耐性を高める「日本向けサイバーレジリエンス支援策」を発表した。個人向けの詐欺対策アプリの無償提供に加え、法人向けには最大100億円分の製品利用ライセンスを用意するという。同社は、AIを悪用した攻撃が国内で急速に広がっているとして、官民を挙げた対応を呼びかけた。
2026年の攻撃件数は9カ月で前年1年分を超過
説明会の冒頭に登壇したのは、代表取締役社長 兼 CEOのエバ・チェン氏である。同氏はまず、今年に入ってからの9カ月間で、日本における攻撃件数が既に昨年1年間の総数を上回ったと明らかにした。
10月第1週の7日間だけでも新たな大規模侵害が65件確認され、累計で約1億6,000万件のIDが窃取、漏えいしたとみられる。重複を含むとはいえ、日本の総人口を超える規模であり、攻撃の速度と範囲がこれまでと異なる段階に入ったといえる。
エバ・チェン氏が警戒するのは、盗まれたIDが次の攻撃の素材になる点である。ランサムウェア集団のQilin(キリン)とThe Gentlemen(ジェントルマン)が日本のIDをめぐって競合しており、前者は2024年に英国の国民保健サービス(NHS)を機能不全に陥れた集団だという。日本は豊かで接続性が高く、記録が整っているため悪用しやすいというのが同氏の見立てである。窃取された情報はフィッシングや詐欺メールの高度化に使われる。
企業ではIDを足がかりにシステムへログインし、トークンを悪用してAPIキーの侵害にまで連鎖するおそれがある。かつては時間と費用がかかるため大企業に限られていた標的型攻撃(APT)も、AIエージェントによる自動化で、より多くの組織を狙えるようになったと同社は見る。
攻撃におけるAIの使われ方
注目すべきは、AIの使われ方に関する説明である。AIは攻撃そのものだけでなく、窃取したIDを突き合わせて相関関係を見いだし、次の標的を絞り込む工程にも使われているという。チェン氏は、自身とTrendAIを司るレイチェル・ジン氏のやり取りを模倣したメールが届いた例を挙げ、攻撃者がAIで人間関係まで把握しつつある現状を示した。個人に対しては、誕生日や住所、氏名を含むパスワードの変更を勧めている。
法人の被害では、侵入から掌握、情報の悪用までがわずか4日というケースもある。従来は数年前に仕掛けられた攻撃が後から判明することもあったが、現在は攻撃のサイクルが大幅に短縮されているという。トレンドマイクロの分析では、攻撃の約4割がインターネットに公開されたサーバーを起点としており、被害企業がそのサーバーの存在自体を認識していない例も多いとのことだ。
「日本向けサイバーレジリエンス支援策」の意図とは
こうした状況を踏まえ、トレンドマイクロは「日本向けサイバーレジリエンス支援策」の提供に踏み切った。
個人、中小企業、法人組織では置かれた立場も課題も異なり、必要な対策も変わる。盗まれた運転免許証や顔写真を個人が変えることはできない以上、各層に合わせた支援が欠かせないというのがエバ・チェン氏の主張である。
同社は35年来、日本を拠点に個人から法人までを保護してきたとして、全社を挙げて取り組む姿勢を示した。同社はAI攻撃への備えを長年進めてきたが、顧客の準備はまだ追いついていないという。そこで、顧客の準備と防御基盤の近代化を加速させたい意図がある。
エバ・チェン氏はAIを大型旅客機に例える。既に空を飛んでいるのに、受け入れる空港や滑走路、管制が整っていないという。この支援策は製品の販売ではなく社会全体の基盤整備が目的だと述べ、各分野のリーダーに対し、集まって何ができるかを議論するよう呼びかけた。
個人・中小企業に向けて詐欺対策アプリを90日間無償で提供
続いて、トレンドマイクロによる個人・中小企業向けの施策をTrendLife 上席執行役員 バイスプレジデント コンシューマビジネス統轄の徳永信幸(とくながのぶゆき)氏が説明した。同社は現在、1,000万人以上の個人と、23万社以上の中小企業(約200万台の端末)を保護している。ただし、現状の攻撃を踏まえると、保護の対象を既存顧客に限らず日本全体に広げるべき状況だという。
個人向けには、スマートフォン向け詐欺対策アプリ「詐欺バスター」を90日間、無償で提供する。警察庁の発表では上半期の詐欺被害が約1,800億円、1日あたり約10億円にのぼり、情報流出がさらにリスクを高めていることが背景となる。
また、中小企業向けには、専門担当者がいなくても集中管理できるSaaS型セキュリティ「ウイルスバスター ビジネスセキュリティサービス」を60日間無償で提供する。LINE上で顧客を装う詐欺メッセージを検知する仕組みも準備中で、提供できる段階であらためて発表するとした。なお、詐欺の83%はLINE上で発生しているとのことである。
法人向けには最大100億円分のライセンスと人による支援を提供
法人向けの施策について説明を行ったのは、TrendAI 執行役員 コマーシャルマーケティング本部 本部長 エバンジェリストの福田俊介(ふくだしゅんすけ)氏だ。
その柱となるのは、最大100億円分の製品利用ライセンスの提供である。法人向けプラットフォーム「TrendAI Vision One」を通じて、エンドポイント、メール、クラウド、ネットワーク、AI環境のセキュリティ機能を利用できる。既存顧客の拡張だけでなく、未導入の大規模法人も対象に含めるという。
人による支援も2つ加わる。1つは、顧客の現場に入って技術支援を担うForward-deployed Engineers(FDE)で、リスクの可視化と優先順位付けを共に進める。もう1つは、専門家による現地対応と、マネージド検知・対応(MDR)である。個人から法人までの情報はつながっているため、漏えい後の詐欺対策も含めて一体で支援する点が強調された。
盗まれたIDが詐欺から企業へのランサムウェア攻撃へと連鎖する以上、個人、中小企業、大企業のどこか一つだけを守っても被害はなかなか抑えられない。トレンドマイクロの今回の支援策は、個人向けの無償提供から法人向けの最大100億円分のライセンスまでを一体で打ち出し、社会全体で備えを底上げしようとするものだ。AIを使った攻撃のスピードが増す中、自社や身近な人の備えをあらためて見直す契機としたい。







