龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第12回)営業研修で労使交渉とは

工場での実務研修の次は営業研修でした。ある先輩社員と東北エリアを同行していたときです。当時、家庭薬メーカーの営業担当者は、皆さん同じ宿に泊まっており、お決まりの宴会となったのです。

 お酒が入ると皆さん会社や仕事についての不平不満をぶちまけるようになり、それが段々と経営者批判になっていったのです。すると当社の先輩社員が「コイツは社長の息子だ」とバラしてしまい、労使交渉のような騒ぎになってしまいました。

 私も最初のうちは我慢していたのですが、ついに我慢の限界を超え、「経営者を舐めるな」と息巻いて大論争になってしまいました。ところがその中でも一番批判的だったのが当社の社員だったのですから、たまりません。

 夜も更けてきて、お休みになる人も出てきたので、私は外に出て、青森港に掛かる橋を1人で登り、吹雪になりそうな冷たい風に曝されながら、「自分は一体何をしているのだろう、これからどうしたら良いのだろう」と青函連絡船の灯を見ながら考え込んでいました。

 1時間ほどでしょうか、ハッと我に返り、宿に戻ると先輩社員は既に寝込んでいました。翌朝です。

 その先輩社員は完全に二日酔いでフラフラになっていたので、「先輩、私が運転しましょうか」と青森から田沢湖を抜けて秋田の問屋さんまで運転しました。

 当時はナビゲーションもなかったのですが、学生時代から演奏旅行に行くときは、キチンと時間通り現場に着けるよう、あらかじめ地図を読み込む習慣になっていたので、その経験が役立ちました。予定通り秋田の問屋さんに着いたのですが、隣で先輩社員は良くお休みになっておられました。

 今から考えると、業界の同業各社は、ほぼ同じ問屋さんを訪問するので出張時期を合わせて合流し、情報交換を行っていたのです。現在では交通手段も発達し、ネットもメールもあるので便利ですが、不便な時代なりに工夫していたのでしょう。古臭い業界の割には意外と合理的なのだと感心しました。

 今でも業界の担当者が集まると、「今度転勤だって?」「えっオレ聞いてないよ!」などと他の業界では考えられないほど、経営者から担当者まで同業各社が親密な関係で驚きました。これが、家庭薬業界全体の革新に役立つとは、このときは思いませんでした。

 しかし肝心の営業研修では全国どこの現場に行っても、問屋さんにお願いするばかりで、肝心の店頭管理ができていません。

 当時(1994年)、既に大きく台頭していたドラッグストアチェーンに対しても、当社は殆ど対応ができていなかったのです。三菱化成では原材料ビジネスだったため、一般消費財市場が把握できず、苦労したこともあったので、せっかくできる環境にありながら不思議でした。

 これが後日、営業部としては大きな問題となったのです。

龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第11回)CM制作秘話第2弾