
次期社長に小川一登氏を選んだ理由
「優れたリーダーシップと幅広い国際経験は、当社が次なる時代へ歩を進める上で欠くことのできない資質であると考えた」
キヤノン会長兼社長の御手洗冨士夫氏の次期社長・小川一登氏に対する評価である。
冨山和彦の【わたしの一冊】『社内政治の科学 経営学の研究成果』
キヤノンは今年1月末、新社長に小川一登氏(1958年=昭和33年4月生まれ、現取締役副社長)が就任する人事を発表。正式には、3月27日に開催される株主総会後の取締役会で選任される予定。御手洗氏(1935年=昭和10年9月生まれ)は23歳下の小川氏を次期社長に選んだ理由について、小川氏の〝優れたリーダーシップと幅広い国際経験〟を会見の場で挙げた。
同社は、全売上(2025年12月期は約4兆6247億円)のうち、79%を海外売上が占めるグローバル企業で、全世界に17万人余の従業員を抱える。御手洗氏はグローバル経営の要諦について、「その国や地域の歴史風土や習慣、文化に合った経営が大切」と語ってきた。
御手洗氏自身、1966年(昭和41年)、30歳の時に米国市場開拓を命ぜられ渡米。キヤノンUSAの社長を務め、1989年(昭和64年、平成元年)、53歳で帰国するまでの23年間を米国で過ごした。
当時の日本は終身雇用制、米国は実力主義・成果主義で雇用形態は全く違っていたが、「日本には日本の良さがあり、また米国には米国の良さがある」として、その国や地域に合った経営を取り入れた経営を展開してきた。
カメラ事業からスタートしたキヤノンだが、米国市場進出にあたっては、旧ヤシカ、ニコン、ミノルタ(現コニカミノルタ)などの後塵を拝し、一度は撤退を余儀なくされることも経験。叔父で創業者の御手洗毅氏(1901-1984)から米国駐在を命じられた若き日の御手洗氏も販路開拓に苦労した。
キヤノンはカメラの電子化にもいち早く着手。1970年代半ばに自動で焦点を合わせることができる『AE-1』を発売し米国市場でトップシェアを獲得。イノベーション経営だ。
その後もイノベーションで新事業領域を開拓し続け、今では、半導体露光装置、ネットワークカメラ、商業印刷、医療機器などを手がける日本を代表するグローバル企業となった。
こうした自らの経験もあって、御手洗氏は経営者のリーダーシップとグローバル経営の重要性を強調。今回の新社長人事で小川氏が選ばれたのも、そうした経営観があってのことであろう。
御手洗氏自身は1995年(平成7年)社長に就任。2006年3月会長兼社長になり、以降、2人の社長が選任されたが、在任中に当時の社長が亡くなるなどの不測の事態が起き、社長を兼任する状況が続いた。この間、経団連(日本経済団体連合会)会長を2006年5月から2010年5月まで務めている。
この時期は、1990年代初めのバブル経済崩壊から日本経済は低迷、いわゆるデフレに突入し、また金融界の再編成が進み、日本経済をいかに再生させるかが重要な課題であった。また、2008年には、世界的な金融危機、リーマン・ショックが起き、世界経済も大きく揺さぶられた。日本国内は人口減、少子化・高齢化が国民の間でも意識され始め、地方の衰退も顕著になっていった。
御手洗氏は〝道州制〟の必要性を訴えるなど、日本再生のために奔走したが、肝腎の政治が不安定化し、日本の再生がうまく進められない状況であった。
御手洗氏が経団連会長を務めた4年の間に、政界では自由民主党の小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏、麻生太郎氏、そして民主党の鳩山由紀夫氏と5人の首相が登場。政治と経済が一体となって日本再生を図らなければいけない時に、1年足らずで首相が次々と入れ替わるという不安定な状況。
「政治が安定しなければ、経済は安定しない」という現実を御手洗氏も痛感させられた。
世界が〝分断と対立〟状況にある今、企業経営のカジ取り、日本の立ち位置について、どう考えているのか―─。