
先日、海外売上比率が50%を超え、着実に黒字を生み出しているスタートアップ経営者数名と、グローバル企業の経営者数名と会食をする機会を得た。若いスタートアップのリーダーたちは、その立ち上げ当初から海外に拠点を置き、日本で成功してから世界へ、という従来のステップを踏んでいない。彼らは、同じ商材や同じプロダクトで世界を狙うのであれば、国ごとに段階的に展開する必然性はないと言い切った。
最初から世界を同時多発的に攻める──その発想が、事業のスピードとスケールを決定づけていた。
興味深かったのは、彼らが語った事業内容よりも、その視線の向け先である。会食に参加した全員に共通していたのは、事業の成功や会社の成長だけではなく、その先にある「大きな目的」を明確に持っていたことだ。
一人の経営者は、世界中に存在する国境をもっと薄くしたい、と言った。誰もが等しく情報にアクセスできる世界をつくりたいのだと。その言葉には、ビジネスを超えた価値観と、未来への静かな決意が滲んでいた。
別の経営者は、日本を強くしたい、と語った。日本の技術で世界に貢献したい、日本のものづくりに新しい産業を生み出したい──そんな言葉が、次々に自然と口をついて出てきた。
彼らに共通していたのは、会社という枠を超えて「どの未来をつくりたいのか」を語れることである。そこには、一企業の経営者というよりも、社会の未来を担おうとする〝創造者〟としての姿があった。
リーダーの視座とは、事業をどれだけ大きくするかではなく、事業を通して何を実現したいのかを語れるかどうかに表れるのだろう。視座が高い人は、目の前の数字に追われるのではなく、数字の先にある「意味」に手を伸ばしている。
視野が広い人は、自社だけではなく産業全体や国の未来を見据えている。そして視線が深いリーダーは、社会という大きな文脈の中に、自らの存在と事業を位置づけることができる。AI(人工知能)が知の領域を急速に拡大する時代にあっても、この〝視座の高さ〟は決して代替されない。むしろ、AIが情報を処理するほどに、リーダーに必要なのは「どこを見るか」「何に意味を与えるか」という、人間にしかできない役割なのだと思う。
視座は、未来を引き寄せる力である。今回出会ったスタートアップのリーダーたちの言葉は、意志ある視座こそが世界を動かす原動力なのだと静かに教えてくれた。そこにこそ、リーダーがリーダーたる所以があるのではないだろうか。