「2025年の崖」を無事乗り越えたように思える日本企業だが、先進国の比較データで見ると、労働生産性は日本だけが2018年以降急降下しており、IT・デジタル化による付加価値創造力では46か国の平均を大きく下回っていることが分かる。これらのデータを示した、CIOLounge 正会員(元カシオ計算機 生産本部長)の矢澤篤志氏は「DXや基幹システムの再構築への投資をどう事業に活かし、付加価値にどう結び付けるかという戦略的な部分が機能していなかった」と指摘する。

12月17日に開催された「TECH+セミナー ERP 2025 Dec. 自社に適したERP実現へ Ⅴ」に同氏が登壇。カシオ計算機での経験を踏まえ、企業のERP導入を成功させるために必要なことについて解説した。

ERP導入における課題

講演冒頭で矢澤氏は、デジタル化を推進するときには、「バリューチェーンの流れに沿って解決すべき課題を考える必要がある」と話した。例えば売上向上のためにはマーケティングの強化や海外市場の開拓、サプライチェーン効率化のためにはPSI(生産・販売・在庫)の連携強化といったテーマが考えられる。また海外に事業体を抱える企業では、現地法人も含めて全体の経営状況を可視化し、連結経営管理や財務会計を強化することも重要なテーマとなるだろう。

  • 製造業における現状のテーマ

    製造業における現状のテーマ

こうしたテーマを遂行するにあたり、多くの企業では3つの問題があるために基幹システムの刷新がうまくいかないのだと同氏は話す。それは目的のずれ、組織の壁、人材・文化の問題だ。

まず、起点となるべき目的がずれていると、多くのデジタル投資を行ってもその効果は現場の効率化にとどまってしまう。実際、経営、事業戦略に沿わない目的で導入したり、ERPが適していない領域に導入したりした事例も数多くあるそうだ。そして経営トップが変革のビジョンを打ち出しても、具体的なプロセスレベルの課題や実行方法に関与しないと、業務が根本的に変わらない。これが組織の壁だ。さらに、2000年前後に基幹システムを再構築してきた世代が退職しているため、IT、戦略、ビジネスの3要素を兼ね備えた人材が不足しているということも、多くの企業で深刻な問題となっている。

ERPを導入するにあたって重要なのは、まず起点、つまり起案の段階だ。ここでシステム導入の目的や目標を明確にしなければならない。そしてどんな価値や効果を狙うのかを考えて要件としてまとめ、施策を入れ込むためには、プロセスオーナーが起点段階から深く関わることが必要になるのだ。

ERP導入が有効なのはグローバル企業

そもそも、ERP導入が有効となるのはどんな場合か。ERP導入の目的を、経営主導か部門主導か、業務視点かIT視点かの4象限で考えてみよう。例えば経営主導で業務視点であれば、グローバル経営のリスクの可視化、グローバルな需給在庫管理の強化などが目標になり、ERP導入が有効だ。一方、同じ業務プロセス視点でも部門主導になると、開発リードタイム短縮や調達コスト削減といったERPでカバーしにくい分野が目標になるため、導入は妥当ではない。また、IT部門としてはITの老朽化を解決したいところだが、そこでERPを導入しても経営の目的とはリンクしない。さらに、日本国内を中心にビジネスを展開する企業の場合、長年培ってきた独自の商習慣や現場主導のプロセスが、ERPの標準モデルと乖離しているケースが多く見られる。このギャップを埋めるための「業務の標準化」に踏み込まないまま導入を進めることは、プロジェクト難航の大きな要因となってしまう。

  • ERP導入の目的を示す4象限

    ERP導入の目的を示す4象限

「ERPが真価を発揮するのは、グローバルでのプロセス統合やガバナンス強化を通じて、新たな価値を創造しようとする場面です。一方で、日本独自の商習慣への対応が不可欠であったり、これまでつくり上げたプロセスそのものに競争優位の源泉があったりする場合には、無理に『業務の標準化』を前提とするERPを選択するのではなく、その強みを活かせる最適なIT投資の在り方を模索すべきだと考えます」(矢澤氏)

ERP導入のメリットについて、矢澤氏は自身が関わってきたカシオ計算機の事例を紹介した。同社では1997年から2006年にかけて、海外の全生産・販売拠点、本社や国内販売システムを共通のERPで統一し、全拠点の基幹業務をERPに置き換えた。データはETLツールで全社のデータウェアハウスに同期させ、各部門はそのデータを使いながら業務の仮説検証を行うかたちだ。サプライチェーンをコントロールする部門はこのデータを使い、ERP以外のツールにより需給調整や生産計画を最適化。本社では財務・経営管理部門がそれぞれ財務会計と管理会計を分析し、それを基に経営会議を行う。

「経営面でもデータ中心に迅速な判断ができる。これがERP導入の大きな成果です」(矢澤氏)

ERP導入成功のカギとなる5つの実践知

では、ERP導入によって新たな価値を確実に得るために必要なのは何か。矢澤氏は、組織、コミュニケーション、経営基盤という3つの架け橋と、システム構成の最適化、そしてERP領域の内製化という5つの施策を挙げる。

組織の架け橋:プロセス・オーナーシップの確立

矢澤氏の言う架け橋とは、経営と現場とITをつなぐものであり、組織の架け橋はプロセス・オーナーシップをしっかりつくることを指す。プロセスオーナーを司令塔に据えたうえで、営業、生産、会計など各プロセスを統括する責任者をプロジェクトオーナーとし、各プロジェクトの投資と成果の状況を経営会議で報告させる。各事業領域では業務に精通したエース級メンバーの選出も必要だ。最低でも2年はERP導入プロジェクト専任とし、上流工程でのプロセス設計から拠点での導入まで一貫して対応させることが望ましい。

コミュニケーションの架け橋:詳細な設計図

コミュニケーションの架け橋となるのは、詳細な設計図だ。ERPの標準フローでは日本特有の多段階承認フローなど現場業務に合わないところもあり、載せきれない業務も多い。こうした業務についてはERP外で設計して連携させる設計が必要だ。そこで矢澤氏が推奨するのが、国際標準の表記法であるBPMN(Business Process Model and Notation)を活用することだ。BPMNであれば、多段階で業務プロセスを描けるし、業務部門とIT部門の両者が互いにプロセスを描いていける。ユーザーインターフェイスや業務フロー、外部連携サービスなどERP外の領域も事前に描いておき、ローコードやノーコードのツール、SaaSなどのサービスで補完すればよい。

経営基盤を統一する価値創造の架け橋

多数のグループ会社にERPを展開する場合には、導入方針を徹底することが重要だ。例えばサプライチェーンの効率化を目的とするなら、PSI情報を一元把握するために、アイテムコードやビジネスユニットを全社で統一する。会計のガバナンス強化が目的であれば、伝票を逐次入力するなど、業務実行のたびに会計に反映するようオペレーションを改めて、グループ各社のモノとカネの動きの整合性を日次で確保する。グループ会社間では基幹業務プロセスと勘定科目を完全に統一する。このように経営基盤を統一することが価値創造の架け橋となるため、経営トップまたはプロセスオーナーが方針を定めることが重要なのだ。

システム構成の最適化

IT部門においては、ERP導入を機にマネジメントを変更する必要がある。多くの日本企業では購買や生産、販売は業務を完全に変えることが難しいため、会計を中心にERPを導入することが多い。しかし投資効果を最大化するためには、ERPがカバーする購買、生産、販売領域にも導入するべきだと矢澤氏は指摘する。そのためにはFit to Standardの考え方で、業務プロセスをシステムに合わせる必要があるし、合わない業務があれば、前述のようにERPと連携する外部システムを設計しなければならない。それはIT部門しかできないことである。

ERPの内製化

ERPの導入や開発を外部ベンダー任せにする企業も多いが、それでは自社ならではのシステムにできず、コストもかさむため、内製化することが望ましい。カシオ計算機では実際に、初期段階ではSIベンダーやコンサルタント主導で導入、伴走してもらいながら自社IT部門が導入プロセスに携わって自社の標準システムを構築し、その後は自力でグループ会社に展開していった。これによって費用も期間も大幅に圧縮することができたそうだ。

「ERP導入をきっかけに、新たな業務範囲のところまで内製化していくところも、CIO、IT部門長にとっての重要なテーマです」(矢澤氏)