龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第8回)クレーム対応

 三菱化成(現三菱ケミカル)時代の後半は本社事業部での海外対応と国内の販売会社の兼務でした。ドイツのハノーファーでIT関係の展示会があり、現地で対応していたときです。

 三菱化成がコダック社からコンピュータのメディア部門を買収したのですが、あまりに突然の発表だったので、現地のブースに先方の社員が押しかけて来て騒然となったことがありました。

 しかもその後、現地販売会社の飲み会に巻き込まれ、私の社章を見ると「ヤパーノ!ミツビシ!」とビールを一気に1㍑飲まされました。

 事業部の海外担当は当時、週に4時間、社内での英会話レッスンが必修科目でした。カセットテープで渡されたCBSの番組「60ミニッツ」の音源を聞いて書き出すのが宿題だったのですが、米語風になまった発音を聞くのが大変でした。

 やってみると意外と聞けたのは、やはり音楽家の耳だったからでしょうか。最後にはクラスから表彰されました。恐らく余りに低いレベルからの上昇率が高かったためでしょう。

 国内の販売会社では当時、パソコンの創成期にNEC社製のPC9801シリーズやマッキントッシュの発展と共に、フロッピーディスクの売り上げも上がっていきました。

 しかし、当時のパソコン市場はまだ発展途上であり、パソコン関連のクレームは本体やソフト、メディアの組み合わせも無限大のため、どうしてもメディアが悪者にされてしまいます。

 結果的に当時のソフトである一太郎や花子、マルチプランやロータス123など、高度なユーザー対応を迫られることになったのです。

 当時のパソコンメディアにはトラブルがつきもので、エラーが出たフロッピーディスクが送られて来ると、分析した結果、代替品をお送りするのですが、あるとき、どうしてもクレーム品も送り返すように強い要求がありました。

 既に消えてしまったのだから意味が無いと申し上げると、エラーを起こしたディスクを自分の手で八つ裂きにしないと気が済まない、といった案件までありました。記録メディアの世界は、それ程までに信頼性を要求されるのです。

 後日、これらの経験は大いに役に立ちました。

 ユーザー調査の結果、当時のブランドでは過去の品質クレームが邪魔して、なかなかブランドシェアが上がらなかったのですが、本社事業部で三菱商標委員会の担当であったことから、メディア分野で専有権のあった三菱電機と交渉し、三菱化成製のメディアに信頼の証であるスリーダイヤモンドを付加する使用権を獲得したのです。

 秋葉原の店頭にスリーダイヤモンドの付いた製品が並んだときには、さすがに感動しました。

 IT関連では多くの経験を積み重ねた結果、後年当社に戻ったときには私が社内で一番のエキスパートであり、結果として中小企業でありながら一気にIT化を推進することができたのです。

龍角散・藤井隆太の『私の社長30年史』(第7回)またも音楽の経験が