
高市早苗内閣が発足して約2カ月が経ったが、65%~75%という高い支持率を追い風にして順風満帆すぎる船出だったといえる。2026年は国際秩序、国内情勢がさらに複雑化しそうで、政権運営に不安材料がないわけではない。首相(自民党総裁)の高市が様々なジンクスや格言を吹き飛ばし、長期政権の足場を固めることができるのか。カギを握る「若い世代」を惹きつける高市の構想力と発信力、そして何より実行力が問われる年になりそうだ。
若者のプレッシャー
「若い方々が政治に興味を持っていただくきっかけになるなら、とても嬉しい」
高市は2025年12月9日、新たな総合経済対策の裏付けとなる歳出総額18兆3000億円規模の25年度補正予算案の実質審議が始まった衆院予算委員会で、そう語った。いわゆる「サナ活」についての感想を尋ねられたことへの答弁だった。
「サナ活」とは、若い世代がアイドルやアニメキャラクター、スポーツ選手らを応援する活動「推し活」の政治家版だ。特に若い女性の間で、高市の洋服や持ち物を買い求めることが「サナ活」と呼ばれ、ブームになっているという。
高市は「私が持っているカバン、ペンとかを買う方もいると聞くが、こと洋服に関してはそんなにたくさん持っているわけではないので、結構プレッシャーになっている」と本音を吐露。そして、こう訴えた。
「私が危機管理投資だ、成長投資だと言っているのは、次の世代への責任を果たしたい。今も不安があるけれど、未来への不安がすごく大きい。これを希望に変えていきたい。成長する日本をちゃんと次の世代に送りたい。若い方々にしっかりそれを見守っていただきたいし、ご意見もたまわりたい」
高市が首相に就任した25年10月21日から約2カ月が経つが、高市内閣の支持率は歴代内閣でも屈指の高さを維持している。就任直後は「ご祝儀相場」と呼ばれるように、支持率は高い傾向にあるが、程なく下落することが多い。
ところが高市内閣は発足して約1カ月後の主要新聞社の世論調査をみると、朝日新聞=69%(11月15、16日実施)▽読売新聞=72%(21~23日実施)▽毎日新聞=65%(22、23日実施)▽産経新聞=75.2%(22、23日実施)▽日経新聞=75%(28~30日実施)─などと下落するどころか、軒並み上昇した。
高支持率を続けるのは、「サナ活」ブームが示すように、若年層の支持が広がっているからにほかならない。これまで政治への関心の薄かった層だといえる。
なかなか日本の針路、自分たちの未来像が見えてこない現状を思い切って変えて欲しいと「期待」しているからだろう。急激な変化を敬遠し、これまでの継続を重視しがちな高齢層とは異なる感覚といえる。
26年間も続いてきた自民党と公明党との連立が解消され、高市が率いる自民党が日本維新の会を新たな連立パートナーに選んだことは、時代が変わったことを若者たちに印象づけたはず。
また、高市が「責任ある積極財政」を掲げて、財政規律を重視して国の借金を減らすことより、借金が増えることを覚悟してでも経済成長を優先させる姿勢も、未来に期待を寄せる若者の共感を得たといえる。
揚げ足取りに嫌気
高市にとって初めてとなる野党党首との党首討論が11月26日に開かれた。立憲民主党代表の野田佳彦は、台湾有事が存立危機事態になり得るとした高市の衆院予算委員会での答弁に中国が反発していることを追及した。
「首相の発言は事前に政府内や自民党内で調整をした上での発言ではなかったと思う。同盟国のアメリカは台湾について『曖昧戦略』をとってきた。日本も同一歩調で行くべきところを、日本だけ具体的に姿勢を明らかにしていくことは国益を損なう。独断専行だったのではないか」とただした。
高市は「(予算委員会で)具体的な事例を挙げて聞かれたので、その範囲で私は誠実にお答えをしたつもりだ。ただ、(存立危機事態は)実際に発生した事態の個別具体的な状況に即して政府が全ての状況を総合して判断する」と、従来の政府見解を繰り返した。
野田は党首討論後、「従来の見解を上書きするような答えだった。事実上の撤回をしたと受け止めた」と語り、追及の矛を収めた。というのも、予算委員会で高市から台湾有事を巡る答弁を引き出したのは立憲民主党議員で、その後、交流サイト(SNS)などでは「誘導質問だった」「しつこい追及だ」という質問議員への非難が渦巻いた。高市の支持層がかみついた格好だったといえる。
ただ、野田は党首討論で野党にとっての新たな追及材料を引き出していた。野田は与野党が国会提出している企業・団体献金を見直す政治資金規正法改正案に関して「この国会で通したいと思っている。首相の見解をうかがう」と指摘。これに対し高市が「そんなことよりも、ぜひ(国会議員)定数の削減をやりましょうよ」と応じたからだ。
野党側は、まず公明党代表の斉藤鉄夫が「企業・団体献金の規制は『そんなこと』なのか。そこに政治改革への取り組み姿勢に疑問を感じざるを得ない」とかみついたのをはじめ、「『政治と金』の問題はもう決着がついたと思っているのか」「政治資金問題を軽視した発言だ」などと一斉に反発した。
さすがに、高市は「内閣総理大臣(与党党首)側からも質問できる委員会なので、申し上げたかった話に転換を図りたかったということで、定数の問題の方が重要かとか、政治資金の問題の方が重要かとかではない」などと釈明。政治資金規正法改正案と自民、日本維新の会両党が提出した衆院議員定数削減法案の対応は国会に委ねることで収束を図った。
そうした中で、国民民主党幹事長の榛葉賀津也は11月28日の記者会見で、高市の「そんなことよりも」発言を批判する他の野党勢力に対し「揚げ足を取る政治はやるべきではない」と苦言を呈した。
早くから政党活動にSNSを取り入れ、若者に浸透してきた国民民主党の幹部だけに、「スキャンダル追及」一辺倒で敵失につけ込む政治手法では、若者の共感は得られないと判断したようだ。榛葉は続けて「高市さんはそういう政治家ではない。意図があって言った言葉ではないと思いますから、すべての問題に真摯に取り組むべきだと思います」とも強調した。
若い世代に推され、高い支持率を維持している高市を野党勢はなかなか突き崩せそうにない。そうした状況から、自民党内には「国会議員の定数削減を掲げ、『国民民主党とも連立を組むから国民の信を問う』といって衆院解散・総選挙に打って出ればいい」と早期解散を望む声も広がりつつある。
政界ジンクスの影
高市政権に不安材料がないわけではない。
衆院は11月28日、衆院会派「改革の会」が解散し、所属していた衆院議員の斉木武志、守島正、阿部弘樹の3人が会派「自民党・無所属の会」に入会したと発表した。これで与党は衆院過半数の233議席となり、「少数与党」を脱することになった。
法案審議などの国会運営で優位に立つことができ、高市に追い風が吹くとみられたが、自民と維新の関係が微妙になった。3人は9月に維新を離脱した議員だったからだ。しかも、3人の与党入りを維新サイドに根回ししていなかったため、自民党に対する不信感が広がった。
維新代表の吉村洋文(大阪府知事)は12月1日、政府与党連絡会議後、記者団に「鈴木俊一・自民党幹事長からもう少し丁寧に話をすればよかった、という話があった。このことについて、私はそれ以上コメントすることはありません」と淡々と語った。
しかも、維新が「党是」と位置付ける国会議員の定数削減では、自民党と維新は衆院定数(465)の約1割を削減する法案を提出したものの、審議入りすら見通せない状況となり、「定数削減ができないときに、高市早苗首相は衆院解散をすべきだと思う」(維新前代表の馬場伸幸)などと反発した。
12月17日の会期末に向けて自民党と維新の温度差が広がり、連立解消に至れば高市政権も失速し、永田町は大きく混乱する。
永田町のジンクスで「関西出身の首相は短命」というのがある。一般的に関西地方は大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀の2府4県を指すが、過去の首相で関西出身者は、東久邇宮稔彦(京都府)と幣原喜重郎(大阪府)、宇野宗佑(滋賀県)の3人。奈良県出身の高市が4人目だ。
首相在職日数は東久邇宮が1945年8月17日~10月9日の54日で、幣原は45年10月9日~46年5月22日の226日、宇野も89年6月3日~8月10日の69日。いずれも短命内閣だ。自民党関係者は「高市政権は大丈夫だ。小泉純一郎政権や第2次安倍晋三政権のときと似ている。年を越せば長期政権が見えてくるだろう」と語る。
下落に転じる?
2026年の干支は「丙午」。株式市場の干支にまつわる相場格言では「辰巳天井、午尻下がり」とされる。26年は「株価が天井を打って下落に転じやすい年」なのだ。
実際、36年前の1990年は、巳年(89年)の大納会で3万8915円87銭の史上最高値を付けた株価が、バブル崩壊とともに一気に暴落している。
株式相場では「山高ければ谷深し」という格言もある。内閣支持率と株式相場を重ね合わせることはできないが、高市を推す若い世代には高市に対する漠然とした「期待」が大きいことからも、「責任ある積極財政」に基づく成長戦略や「秩序ある共生社会」を掲げた外国人政策、「防衛力の強化」のための防衛費増額前倒しといった「高市カラー」の政策を確実に推し進めなければ、期待は一瞬にして失望に変わりかねない。
高市本人が「未来への不安を希望に変えたい」と訴えるように、戦争や紛争が続き世界秩序が不安定化し、生成AI(人工知能)の登場などで日常生活も急速に変化する中で、人口減少と少子化・高齢化が進む日本をどう再生させ、次世代に引き継ぐのか。
若い世代の未来を見据えた大きなビジョンを描き、ひとつずつ形にしていくことが、長期政権への第一歩になりそうだ。(敬称略)