日本医科大学学長・弦間昭彦 日本再生をどうするか?〈少子高齢化時代の医療人の育成と役割〉

「明治時代に1万人を超える医療人を世の中に輩出した」─。西洋医学に基づいた医師の育成に取り組んできた思想を強調するのは日本医科大学学長の弦間昭彦氏。同大学は国内最長の歴史を持つ私立医科大学で、野口英世氏や小口忠太氏など現代の医学界にも名を残す偉人も輩出してきた。超高齢社会の日本でますます重要性が増す医療人づくりにどう取り組んでいくのか。また、他大学や民間との連携の方向性とは。

 明治時代に西洋医を輩出

 ─ 少子化が進む一方で、超高齢社会の到来で医療の役割も大きくなっています。今日的な役割をどう捉えていますか。

 弦間 本学は1876年に設立された「済生学舎」をルーツとした国内最古の私立医科大学です。2026年には150周年という節目を迎えます。そもそも済生とは「広く民衆の病苦を済う」という意味になります。これは本学の学是である「克己殉公」にも通じるものになります。

「我が身を捨てて己に克ち、公に尽くす」という意味ですが、150周年を迎えるにあたっても、このレガシーはしっかり次に生かしていかなければなりません。本学のレガシーとは、開学した明治時代に1万人を超える医療人を世の中に輩出したという点です。

 ─ 人材がレガシーだと。

 弦間 ええ。近代国家として出発した当時の日本で、西洋医学に基づいた医師の育成は重要な課題でした。開国と共に様々な感染症が流行してきたこともあり、西洋医を増やさなければならなくなったからです。

 1899年(明治32年)に西洋医は約1万6000人いましたが、明治9年から明治36年までの間で済生学舎に合格した人は累計で1万1000人を数えます。ですから、西洋医の大半を済生学舎が占めていたのです。

 また、卒業生の中では有名な先生がたくさんいらっしゃいます。黄熱病の研究で知られる野口英世先生をはじめ、小口病の発見者である小口忠太先生や東京女子医科大学の創設者である吉岡彌生先生、日本人女性として初めてドイツの医学博士号を取得した宇良田唯先生などです。

 こういった方々を社会に輩出してきたという歴史は、まさに本学のレガシーと言えます。

 ─ 日本医科大学には複数の付属病院もあります。医療と教育を手掛ける中で、教育に関する方向性を聞かせてください。

 弦間 最も注力していることは「医科大学版テクノロジー革命」と表現しているように、新しいテクノロジーを率先して取り入れ、今後何ができるのか、あるいは今までできなかったことが新たなテクノロジーを導入することによって可能になるかどうかを模索することです。

 実は本学は医科大学版テクノロジー革命を2015年から標榜しており、その当時からICTをはじめ、先端技術を医学教育の現場に導入していました。ですから、コロナ禍の20年も学事歴通りに新学期を迎えることができたのです。具体的には、17年から全講義をeラーニング化していました。

 9割超を誇るストレート卒業率

 ─ どういった経緯でICT化を進めたのですか。

 弦間 一般的に学生は「262の法則」と言われます。勉強に熱心な学生が全体の2割を占め、普通の学生が6割、勉強に後ろ向きな学生が2割いると。教育はどうしても真ん中のレベルに合わせるものです。しかし、本学のような医療人を育成する大学は下の2もしっかりと育て上げる使命があります。

 そのため、本学の医学部は他の学部とは異なり、かなり教育内容が厳しくなっています。カリキュラムについていけなければ留年せざるを得なくなるわけですが、留年は非常に非効率です。我々もそれはできるだけ減らしたい。

 そうであるならば、全講義をeラーニング化することで、単位を落とした科目もしっかり補習できる環境を整えたのです。今では留年せずに卒業する卒業率は9割超です。

 ─ 9割超という数値は医大の中でも高いのですか。

 弦間 高いです。一方で上位者に関してはキャンパスに来なくても構わないといった制度も設けています。この「GPA上位者特別プログラム」は海外留学や研究室での研究自己研鑽プログラムを作成し、結果を報告してくれれば、講義への出席を免除するという制度になります。

 ─ 個人の学力に応じたプログラムを組んでいると。

 弦間 そうです。GPA上位者特別プログラムでは、現在は3年生の30人が対象になっているのですが、そのうちの17人は研究室で研究することを選択していますし、1人は海外留学を選んでいます。2年生でも2人がファイナンシャル・プランナーの資格を目指しています。

 医学を学びつつ金融などに明るい人材も生まれているということです。

 もちろん、医学レベルでも全国規模の学会で発表する5年生が毎年10人前後います。中には2年生の時点で発表した学生もいます。通常であれば、全国レベルの学会には医師になってから発表するケースが多く、汗びっしょりにもなります(笑)。しかし、本学の2年生はその時点でそれを経験したわけです。

 世間では若い学生のやる気が見られないと言われたりもしますが、中にはこのようにやる気に満ち溢れている学生も多くいるのです。こういった学生を伸ばしていくような教育環境を整えていかなければなりません。特別プログラムは5年前から始めたばかりなのですが、今から彼らの進路が楽しみです。

 ─ 海外留学する学生にも期待が集まりそうですね。

 弦間 はい。実は来年、海外での臨床実習を希望する学生が20人います。これまでは10人程度でした。上位者には大学から補助します。海外での臨床実習は本学が提携している米国のハワイ大学やジョージ・ワシントン大学、英国のサウサンプトン大学などになります。

 ちなみに、来年からは米国のスタンフォード大学とジョンズ・ホプキンス大学も加わります。

 ─ 海外の知見に触れて学生の視野も広がりそうですね。

 弦間 そうですね。ただ、危惧されるのは、そういった優秀な学生たちが、米国の医療機関に就職してしまう可能性が高まるのではないかという点です。ただ、海外の大学で著名な教授と接すること自体は決して悪いことではありません。早稲田大学などと提携したのも、そういった背景があります。

 早大や理科大とも提携

 ─ 早稲田大学、東京理科大学と提携しているわけですが、両大学との提携の骨子とは何ですか。

 弦間 医学部教育では医師の国家試験に合格することだけを目標とするのではなく、学問としても医学に興味を持ち、卒業後の医学研究への動機づけや意欲を養うことも重要になります。

 特にAIやロボット、VR(仮想現実)、モニタリング技術などのテクノロジーが大きく進歩する中で、それらと研究の早い段階から触れる必要があります。

 その点、早稲田大学と東京理科大学とは「医工連携」を進めることが可能になります。早稲田大学とはAIやロボット技術を用いた遠隔医療に関する共同研究などを行っていますし、東京理科大学と医学統計学やビッグデータ、バイオマテリアルなどの共同研究があります。

 ─ 領域が違う人たちとの出会いになりませんか。

 弦間 その通りです。お互いの考え方を融合させることも可能でしょう。

 例えば、画期的な技術があるのに、それを活かす方法が分からない。あるいは、こちらはこんなことがやりたいと思っていても、方法が分からないということがあっても、コミュニケーションをとることによって社会実装につなげることができるかもしれませんからね。

 ─ 先ほどAIが出てきましたが、AI時代における医療人の役割とは何でしょうか。

 弦間 現在、学生がAIを用いた術前子宮体癌検出のための新規病理診断サポートモデルの開発を行うなど研究しており、AIによって医療の世界も前進すると思うのですが、それと同時にAI時代に医師は何を望まれるかという大きなテーマがあります。

 例えば、細かい知識や記憶の維持ではAIには勝てないと思います。むしろ、そういった領域ではAIを利用していく必要があります。その代わり、人として判断することは人にしかできません。患者さんの価値観や人生観はそれぞれ違います。そういった多様性を理解するのは人です。

 医療は患者さんの置かれている状況を踏まえて診療をしなければなりません。そこを人に代わってAIが代用するのは、当分先の話だと思います。ですから本学でも「ヒューマニティ教育」に力を入れているのです。そこで25年4月から早稲田大学の人文科学系科目の単位互換を開始しています。

 ─ 哲学や心理学ですか。

 弦間 はい。単科大学である本学からすると、どうしてもこの領域の人事配置は強くはありませんからね。1年生125人中、五十数人が早稲田大学の哲学や心理学を専攻しています。

 ─ 一方で産業界との連携はどのように進めますか。

 弦間 様々な企業と多方面にわたる共同研究を行っています。これは今後も展開していきたいと思っています。

 その中で例えば、高精度なVRコンテンツとVR空間のユーザー行動を解析する機能を開発し、VRプラットフォームを提供するジョリーグッドという会社と本学の付属病院高度救命救急センターが医療人教育専用VRシステムを共同開発しました。

 ─ どのようなものですか。

 弦間 例えば人工心肺(ECMO)などを搭載したドクターカーの車内に高精度360度カメラを設置し、病院側がリアルタイムに搬送患者の容態や処置を映像で確認することが可能になっています。

 このシステムによって病院内に待機する医師やスタッフが搬送患者さんの容態を事前に把握することで、受入れ準備も整えることができます。その画像を用いて、そのような状態のVRコンテンツを作製し、教育を行っています。

 医師を志した理由とは?

 ─ 最先端テクノロジーを医療現場・教育にもいち早く導入していくという姿勢になりますね。弦間さんはがん研究が専門ですが、なぜ医師を選んだのですか。

 弦間 父が山梨県で開業医をしていました。そんな父に患者さんが感謝をしている姿をよく見ていました。医者とは素晴らしい仕事なんだなと幼心に感じたことをよく覚えています。それが医師を志すことにつながっていきました。

 ─ がんセンターに行くきっかけは何だったのですか。

 弦間 私は1983年に日本医科大学医学部を卒業して国立がんセンター研究所病理部で研修に携わることになったのですが、まず病理を専攻したのは自分で診断もできるようになりたいと思ったからです。

 ただ、がんという病気は遺伝子の病気であるということも分かってきていたので、すでに学問として確立している病理にいくか、まだ道の領域が多い遺伝子の研究の道に進むかで悩んでいました。

 そんな中で仁井谷久暢先生(故人・元日本医科大学常務理事・元付属病院長)が、がんセンターから本学にいらっしゃったのです。仁井谷先生に相談すると、がんセンターで病理と遺伝子の両方を研究している先生をご紹介いただきました。私としては両方を勉強できるわけですから非常に嬉しかったですね。

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