ChatGPTの登場以来、AIの進歩は目覚ましく、企業でもその活用は進んでいる。しかし、業務で本格活用するとなると、一筋縄ではいかないという話も聞く。

日本生命保険も生成AIの本格活用に乗り出しているが、試行錯誤を繰り返しているようだ。同社のDX戦略企画部 上席専門部 矢野智郎氏が、Amazon Web Servicesジャパンが今年6月に開催した年次イベント「AWS Summit Japan 2025」において、日本生命の次世代型お客様サービスの構築~生成AI活用で生保基幹業務を革新~」というテーマの下、講演を行った。

矢野氏の講演から、日本生命保険の生成AI活用の取り組みをひも解いてみたい。

  • 日本生命保険 DX戦略企画部 上席専門部 矢野智郎氏

    日本生命保険 DX戦略企画部 上席専門部 矢野智郎氏

業務・システムの品質に対する要求水準の高さに応えるために

日本生命保険は、昨年から始まった中期経営計画において、DX(デジタルトランスフォーメーション)戦略を掲げており、データ・先端技術を活用した新たな取り組みを通じ、DXの推進を図っている。

同社のDXの対象となる中核業務は契約事務だ。矢野氏は、同社の契約事務の特徴について、次のように説明した。

「海外の生命保険会社とも付き合いがあるが、特筆すべき彼らとの差は品質への要求水準が高いこと。この水準は国としても、業界としても高い。そのため、われわれはその水準に応えることを目指している」

となると当然、システムの品質に対する要求水準も高くなっており、データセンターも開発も自前で行っている。そのため、クラウドに全面移行という話にはなかなかならず、新しく構築するシステムにクラウドを活用しているとのことだ。

システム化が難しかった業務に生成AIを適用

こうした状況の下、DXを進めるにあたり、業務の棚卸しが行われた。矢野氏は、「定型業務は誰がやっても同じ品質となるべきだが、非定型業務は方法や結果がまちまち。そこで、定型業務をオートメーションすることを考えた」と説明。

そして、生成AIをどう活用しようかと考えた時、「これまでシステムを使おうと思っていなかった分野に活用しよう。ここでユースケースを探っていこうとなった」と、矢野氏は語った。

あわせて、定型業務のうち投資対効果の面でシステム化が難しかった少量多品種の定型業務にも生成AIを適用することにした。

その実現に向けては、文献を生成AIが活用できる構造にする必要があったことから、LLMの活用がスタートした。

RAGを使ってみるも、精度の低さに失望

日本生命保険では、2023年6月から生成AIの汎用的な活用のPoC(Proof of Concept:概念実証)を実施した。限られたメンバーで生成AIのSaaSを活用して定型業務でどこまで使えるかを試したところ、かなり評判がよかったという。

PoCを経た後、2024年5月から生成AIを活用したチャットシステム「N-Chat」の本格展開が始まった。「N-Chat」はセキュアな環境を整備したうえで、本社のイントラネットからシングルサインオンが可能な生成AIを活用したものだ。

翌月の6月からは、業務に適したプロンプトやテンプレートの開発、RAG機能の実装など、機能拡張が開始された。矢野氏は、当時の生成AIの活用状況について次のように語った。

「ChatGPTは使っている部門にムラがあった。IT部門や海外部門は翻訳やコーディングなどにたくさん使っていたが、使っていない部門はまったく使っていなかった。RAGを使ってみたが、その精度の低さに『こんなもんか』とがっかりした」

  • 日本生命の生成AI活用の流れ

    日本生命の生成AI活用の流れ

矢野氏はRAGを活用する上での問題点として「Excel方眼紙」を挙げた。方眼紙のように利用しているExcelシートは、横幅と縦幅のセルがシート単位でまちまちなど、RAGと相性が悪かったという。

こうした事情から「RAGに失望感があった」矢野氏だが、昨年に発表された豪レゾリューションライフの買収を進める中で、同社がRAGを活用する中で97%の成果を出していることを知った。

  • RAGが苦手な「Excel方眼紙」の処理に手こずる

    RAGが苦手な「Excel方眼紙」の処理に手こずる

買収先レゾリューションライフのAI活用に目から鱗

レゾリューションライフは先進技術・手法を活用して、コスト削減を実現しているほか、有人事務を効率化するためAI活用を積極的に進めていた。同社のシステムはすべてクラウド上に構築しており、AWSでミドルウェアを開発してソースコードベースで移行しているという。

レゾリューションライフは、多数の商品種類を考慮した文書検索にRAGを活用している。生命保険会社においてはいかに速く的確に契約や手続きに適した文献を探すかが悩みとなるが、レゾリューションライフは独自構造のRAGを構築することで97%の有効回答を実現している。

具体的には、紙文書やPDFファイルなどの文書の取り込みに対応しているほか、ベクターエンベディングに加えて独自方式で文書所法を管理している。回答の根拠となった参照情報はすべて一覧もしくは原典で確認可能だ。

  • レゾリューションライフのAI活用の仕組み

    レゾリューションライフのAI活用の仕組み

日本生命保険はRAGの回答精度を上げるため、レゾリューションライフからハッカソンで実証実験をしてはどうかという申し出もあり、今年2月にハッカソンを行った。

ハッカソンではレゾリューションライフが構築した英語環境をAWS上にテスト環境としてコピーし、日本語による業務の対応を行った。対象の文書数は約100個で、中にはExcel方眼紙も含まれていた。モデルはAnthropicのClaudeを利用した。その結果、以下のような成果が得られたという。

  • 日本語環境の稼働を確認
  • Excel方眼紙を含む日本生命保険の文書の取り込みに成功
  • 90%の有効回答を確認(追加対応の余地あり)
  • 事務領域の積極的な参画

矢野氏はハッカソンの成果について、「日本語を使うことに不安があったが、『いけるんじゃないか。RAGを高度化できるんじゃない』という気持ちになった」と語っていた。

RAGの精度が上がれば、生成AI活用の展望が開ける

矢野氏は、今度の展開としてAWSによるSaaS化がカギになると述べた。個別テナントに文書を持つようにすることで、グループ会社にテナントを複製して横展開することを狙う。

「生成AIを活用できる土台を構築したので、これからはユースケースを作るのではなく、みんなで使い方を考えたい」と矢野氏。

なお、矢野氏は「私見も入るが」と前置きしたうえで、「どの会社もDXに苦労しているのではないか」と語った。そして、DXがうまくいかない理由について、次のように説明した。

「どの会社もデジタライズは結構進んでいる。しかし、新しい価値観を作ろうとなったとき、現業の枠組みでどうにかするという話になり、結局、大型現業案件じゃないかということになりがち」

そうした中、現業の外側でやれることとして、RPAやデータ活用が挙がってくるという。そこに、生成AIが位置づけられるようになると、「現業と喧嘩しない形で本当の意味でも変革が実現できるのではないかと思う」と矢野氏は語った。

そして、「生成AI活用のカギは精度を上げること。これが実現すると新たな展望が開けるのではないかと考えている」と述べ、矢野氏は講演を締めくくった。