
後藤忠治さんの幼少期
幼少期の原体験は、その後の人生に大きな影響を与える。
セントラルスポーツの創業者会長・後藤忠治さん(1941年=昭和16年12月生まれ)は東京・葛飾区柴又の生まれ。近くに江戸川が流れ、少年時代にそこで泳ぎをおぼえた。
のちに日本大学水泳部で体を鍛え、第1回東京五輪では日本代表として、400メートルリレーで4位入賞。メダルは取れなかったものの、〝水泳ニッポン〟の名を世界にとどろかせた功績は大きい。
後藤さんは小学生の時、江戸川で泳いで、溺れた体験がある。
「溺れそうになって、誰かに助けてもらったんですが、その時に、アッ、自分はこれで死ぬんだなと思いましたね」と氏は述懐。
「自分で深みにはまっちゃったんです。そして、上を見たら、キラキラ水面が光っていて、これで死ぬんだなと思いましたよ」
まだ完全に泳ぎ方を知らないので、「人間の心理として、まず呼吸をしたいから頭を上にするので、なおさら体が潜ってしまうんです。体が横になれば浮くし、大丈夫なんですがね」と後藤さん。
まさに九死に一生を得る体験とはこのこと。この時、誰かが助けてくれなければ、後の五輪選手、そして日本初の本格的なフィットネスクラブ(1969年創業)も誕生しなかった。
強さと優しさ―─。世の中を牽引するリーダーにはこの2つの要素がある。 「手乗りスズメ(雀)を飼ったりもしていました」と後藤さんは少年期を振り返る。
家の屋根の下に雀が巣をつくり、小スズメを育てていた。後藤少年はその内の1羽を〝貰って〟きて、エサをやり飼うことにした。すると、小スズメは目が開き成長し、飛ぶようになっても、後藤さんの所に帰ってきたのだという。こうした幼少期の原体験は、経営者として幾多の試練を乗り越えてきた後藤さんの〝人となり〟を形成しているのだと思う。