米IBMは5月6日~7日、年次カンファレンス「IBM Think 2025」をボストンで開催した。初日トップの基調講演でCEOのArvind Krishna(アービンド・クリシュナ)氏は「Unlock the full value of enterprise AI」(エンタープライズAIの価値を最大限に引き出す)と題して、プレゼンテーションを行った。なお、期間中にAutomation(自動化)やAIエージェントなど、領域別も含めて7つの基調講演が実施されている。
「AIは“実験段階”から“ビジネス価値の創出”に本格的に移行した」 - クリシュナCEO
Think 2025の会場は、米ボストンのバックベイ地区に位置するBoston Hynes Convention Center。近隣には、米大リーグのBoston Red Soxが本拠地とするグリーンモンスター(レフトスタンド側にある高さ約11メートルの壁の通称)が有名な野球場「Fenway Park」(フェンウェイ・パーク)が徒歩20分圏内と、海からも至近なエリアだ。
登壇するなり冒頭に、クリシュナ氏は昨年(2024年)と今年(2025年)のAIに関して比較したところ、特に大きく変わったことと感じる点を以下のように話した。
「AIが“実験段階”から“ビジネス価値の創出”に本格的に移行したという点です。現在、人々は『どんなユースケースがあるのか?』『自社のビジネスをどうやってAIでスケールさせるのか?』といったことに真剣に取り組んでいます。これは非常に大きな変化です。いわゆるハイプ・サイクル(過度な期待の波)が落ち着き、実際の導入フェーズに入ったということです。つまり、AIの活用についてROI(投資対効果)やビジネス価値を真剣に考える段階に来ているのです。これは本当に大きく昨年とは異なる点です」(クリシュナ氏)
クリシュナ氏が多くの組織・企業と人々と話す中で、共通のテーマとして「生産性をもっと高めたい」ということが浮き彫りになったという。
同氏は「経済学者であるポール・クルーグマン氏の言葉を借りれば『生産性がすべてではない。しかし長期的にはすべてである』と言える。多くの経営者もこの言葉に共感されるでしょう。また、これに加えて求められているのがスピード。昨今では、あらゆることを従来以上に速く進めなければなりません」と指摘する。
さらに、コストの上昇やシステムの複雑化、データの分散、セキュリティなどの課題にも直面しており、企業の知的財産やデータの安全性に対する懸念は、今やかつてないほど大きくなっているとのことだ。
こうした課題に立ち向かううえで、人々を支えてくれる2つの重要なテクノロジーとして「AI」と「ハイブリッドクラウド」を挙げている。2つの技術は、スピード、生産性、コスト、セキュリティといったあらゆる課題に対処するための基盤となるという。
「今やテクノロジーは競争優位性の源泉となっています。なぜ、テクノロジーがそれほど重要なのか?それは、これらの課題に対して、どのようにテクノロジーを活用するかによって、企業の未来が大きく左右されるからです。つまり、企業のあらゆる業務に“インテリジェンス”(知能)を組み込み、自動化を進め、意思決定を迅速化し、物理的な拠点を増やすことなくビジネスをスケールさせることが、現代における成功の定義なのです。これを実現できる企業こそが、他社に対して優位に立つことができるのです」とクリシュナ氏は説く。
特定のユースケースに特化し、小型で目的に応じたモデルを構築する必要性
クリシュナ氏は、AIこそが現代における生産性の源泉であり、企業にとっての競争優位性の中心になるものだと考えているという。すべてのAIが同じように作られているわけではなく、すべてのAIが企業向けに設計されているわけでもないとも話す。
そのうえで、同氏は「なぜそう言えるのか?それは、企業が保有するデータの99%がまだAIによって活用されていないからです。この99%の価値を引き出すには、企業向けに最適化されたAIアプローチが必要です。そして、そのデータの価値を解き放つことができれば、企業にとっては非常に大きなビジネスチャンスとなります」と述べている。
汎用的な大規模モデルは有用ではあるものの、企業内にある膨大なデータの価値を引き出すには不十分だとの見立てと言うわけだ。成功するためには、特定のユースケースに特化し、小型で目的に応じたモデルを構築する必要があるという。こうしたモデルは、企業のデータを取り込み、それに基づいて機能するように設計されたものとなる。
実際、モデルの精度に関して現在では、小型モデルの方が大型モデルよりも高精度になってきている。また、知的財産の観点では小型モデルのオープン性が重要になる。というのも特定の業界や分野に特化したモデルを構築するには、小型モデルの方が適しているからだ。
クリシュナ氏は将来的に3000億や5000億といった超大規模モデルとは対照的に、パラメータ数が30億、80億、130億、200億といったモデルが主流になると予測している。
同氏は「こうした小型モデルにはどんな利点があるのでしょうか?それは、高い精度を持ち、処理速度が速いとともにモデルの実行コストが大幅に低く、実行場所を柔軟に選べるという点です。これらを実現するために、当社はLLM(大規模言語モデル)の『Granite』に投資し、拡充しているのです。これは大型モデルの代替ではなく、補完的な存在です。大型モデルと組み合わせて使うことで、企業のニーズに合わせた最適なAIを構築できるのです」と説明する。
テクノロジーのコストが下がれば下がるほど、解決可能な課題の幅が広がり、チャンスが増えると同氏は考えており、これがまさにテクノロジーがたどってきた進化のカーブだという。一例として、1990年代のストレージやコンピューティングのコストは高価であった一方で、今では当時より飛躍的に安価なコストで済むようになっている点を挙げている。
そして、同氏は「コストが下がると多くの製品やサービスにテクノロジーを適用できるようになり、これこそが成功するテクノロジーが常にたどる道筋。私たちはこれを“テクノロジーの民主化”、つまり“誰もが使えるようにすること”と表現することがあります。コストが下がることで、多くの人々がアクセスできるようになるのです。『AIは高価で巨大でなければならない』というコンピュータサイエンスの“法則”があるとすれば、それに挑戦するのが私たちのエンジニアリングの使命です。これは単なる言葉ではなく、実際にGraniteをはじめとしたモデル開発という形で具現化されています」と、IBMとしての信念を語った。
現在、IBMが最も注力する「エンタープライズAI」
こうした、IBMの考えをもとにフォーカスしている領域は「エンタープライズAI」だ。今回、その第一弾として従来から提供している、AIでデジタルレイバー(自動化ツールやAIを利用して作成されたソフトウェアロボット)をオーケストレーションする「IBM watsonx Orchestrate」の製品群とエージェント群が発表された。
これにより、すべてのユーザー向けのノーコードからプロコードまで、あらゆるフレームワーク上に構築されたエージェントの統合、カスタマイズ、デプロイを容易にするツールで5分以内に独自のエージェント構築が可能。人事、営業、調達などの領域特化型の事前構築済みエージェントに加え、Web調査や計算などのより簡易なアクションを実行するユーティリティー・エージェントも搭載している。
Adobe、AWS、Microsoft、Oracle、Salesforce(Agentforce)、ServiceNow、Workdayなどのプロバイダーが提供する80以上の主要なエンタープライズ・アプリケーションとの統合し、ワークフローの計画やベンダー間の適切なAIツールへのタスクのルーティングなど、複雑なプロジェクトに必要なマルチエージェント、マルチ・ツールの調整を処理するエージェントオーケストレーションを可能としている。
また、IBMだけでなく、Box、MasterCard、Oracle、Salesforce、ServiceNowなどのパートナー企業が提供する150以上のエージェントにもアクセス可能な「Agent Catalog」を発表。たとえば、Oracleの人事エージェントは給与計算や採用業務を支援し、Salesforceの営業支援エージェントは見込み顧客の発掘をサポート。Slackユーザーであれば、Slackマーケットプレイスから直接HRエージェントにアクセスすることもできるという。
同氏は「これらすべてが連携することで、AIエージェントがアプリケーション開発のあり方を根本から変えていくと確信しています。今後4年間で10億件もの新しいアプリケーションが開発されることが見込まれており、うち3分の1、あるいはそれ以上がエージェントを基盤としたものになると予測されています。エージェントが自律的に動き回り、企業の生産性を大きく高めてくれるのです」と期待を口にした。
続いて、取り上げたのは「Integration」(統合)についてだ。組織・企業では、さまざまな業務フローやデータソースをどのようにつなぎ合わせるのかに苦心している。そのため、次に発表したものが「webMethods Hybrid Integration」となる。
AIを活用するには、業務フローやデータ、部門ごとのサイロ(孤立したシステム)を横断的に統合する必要があり、APIの呼び出しやファイル転送、B2Bの業務フローなど、あらゆる要素を単一のプラットフォームでつなぎ合わせることがwebMethods Hybrid Integrationの役割だ。
同ソリューションは、すべてを一元化することでスピード、システムの複雑性の解消をもたらし、第三者機関の調査では176%のROI(投資対効果)や、30~70%の導入スピードの向上が報告されたという。
AIの未来は“オープン”であるべき
クリシュナ氏は「企業向けAIの未来は“オープン”であるべきだと信じています。そのため、Graniteはオープンソース化しており、ユーザーが自由に活用し、自分の知的財産として扱えるようにしています。また、watsonxには他のオープンソースモデルも多数組み込まれており、Metaの『Llama』とも連携しています」と話す。
また、同氏は「オープン性、柔軟性により、コストとパフォーマンスの両面で、ユーザーに大きなコントロールを提供できるのです。つまり、目的に合った最適なモデルを選べるということです。ただし、AIはそれ単体では機能しません。AIは必ず“データ”にアクセスする必要があります。そして、そのデータはあらゆる場所に存在しています」と続ける。
ここで言うあらゆる場所とは、パブリッククラウド、そのほかのクラウド、オンプレミス(自社サーバ)環境を指し、分散した環境をまたいでAIを活用するには、横断できる柔軟なデータ基盤が必要となり、IBMではそのようなAI基盤の構築に取り組んでいる。クリシュナ氏はAIとハイブリッドクラウドは切り離せない存在であり、ハイブリッドクラウドこそが企業全体にわたってAIの価値を引き出すための基盤となるとの見解を示している。
クリシュナ氏は「クラウド、オンプレミス、エッジなど複数の環境にまたがるデータを活用するには横断的に扱える仕組みが必要です。このことこそがHashiCorpを買収した理由の1つです。HashiCorpは、すべての環境に対してセキュアかつ高度に自動化された単一の運用モデルを提供しています。そして、当社はRed Hat OpenShiftへの継続的な投資も行っています。OpenShiftは、複数の環境をまたいでアプリケーションを展開・運用するための重要な基盤です」とアピールしていた。
「IBM watsonx Data」の新機能
こうした環境を横断するデータを扱うために、同社ではAI&データプラットフォーム「IBM watsonx」の3つのコンポーネントのうちの1つである「IBM watsonx Data」に関する発表をアナウンスした。
最新バージョンでは、オープンなデータレイクハウスと統合データファブリック機能を備え、データの取り込みが容易になるだけでなく、データの来歴(リネージ)追跡も可能としている。
そこで、今四半期中には、異なるフォーマットやパイプラインにまたがるデータを単一のインターフェースで管理できる「watsonx Data Integration」と、AIを再帰的に適用することで、ユーザーが意識しなくても深い洞察を得られる「同Intelligence」の2つの機能をリリースする予定。
さらに、今四半期中にDataStaxの買収完了を目指しており、ベクター検索機能をwatsonxに統合できるようになることに加え、Metaとの連携ではwatsonxをLlamaスタックに対応したAPIプロバイダーとして提供を予定している。
IBM社内におけるAIの事例
一方、冒頭にクリシュナ氏が発言した「AIは実験段階から、ビジネス価値の創出へと移行した」について、IBM自身もその変化を体現しているようだ。
過去2年間で、同社はAIと自動化を社内に適用することで、35億ドル(約5,400億円)のコスト削減を実現しており、これは単なる推定値ではなく、実際に財務報告書に記載されている確かな数字だという。では、どのようにして実現したのだろうか?
同社は一連の取り組みを「クライアント・ゼロ(Client Zero)」と位置付け、最初の顧客ではなく、「最初の顧客の前」=自分たち自身を意味しているとのことだ。
カスタマーサポートでは、ケースの要約処理にAIを活用し、四半期あたり12万5000時間を削減したほか、人事業務ではその約2倍の時間を削減。また、調達業務ではサプライチェーンにおけるコンプライアンス対応にAIを活用し、数十万時間単位の効率化が図れたという。
同氏は「AIを自社に適用することで、企業は大きな価値を引き出すことができます。その反面、多くの人がAIのリスクについて懸念を抱いています。たとえば、ハルシネーション(事実と異なる出力)やバイアス(偏り)の問題です。私の考えでは、まずは社内向けにコントロールしやすい領域からAIを導入すれば、リスクも自社の管理下に置くことができます。そこから生産性の高い領域へと広げていくのです。当社では、コーディング支援や企業全体のリスク分析にもAIを活用していますが、これらはより慎重な設計と検証が必要です」と提示している。
既存のやり方を前提にせず、ゼロベースで再設計することが重要
そして、クリシュナ氏はエンタープライズAIの価値を最大限に引き出すには、適切なインフラが不可欠だと念を押す。そのうえで、鍵になるのが最新のメインフレーム「IBM z17」と、5月6日(Think 2025 初日)に発表された「IBM LinuxONE 5」だ。
同システムは、IBMがメインフレーム上のLinuxも重視していることから、第2世代のTelumプロセッサを搭載し、1日あたり4500億回の推論処理が可能なほか、IBMの「Spire AIアクセラレーター」でwatsonxのエージェントやアシスタントを高速に実行できるなど、ハードウェア基盤やセキュリティ機能などはIBM zと同じ技術を適用している。
こうした革新を支えるために、同社は米国で1500億ドル規模のR&D(研究開発)および製造投資を発表しており、次のフロンティアは量子コンピュータと位置付けている。AIは「過去のデータから学ぶ」技術だが、量子は「未来を予測する」ものであり、分子の相互作用、新素材の特性、金融リスクの最適化など、従来のコンピューティングでは、不可能だった問題の解決が期待されている。
そのうえで、クリシュナ氏は「『量子コンピュータは20年先の話だ』と言う人もいますが、IBMはすでに75台の量子コンピュータを構築し、そのうち13台はクラウド経由で利用可能です。私たちは、今後4~5年以内に量子コンピュータが実用的な優位性を発揮すると見ています」と、その将来性について言及した。すでに、250以上の企業・大学がIBMと連携し、EVバッテリー用素材、石油・ガス用潤滑剤、腐食防止素材、脳腫瘍治療薬などの研究に量子を活用しているという。
クリシュナ氏は「今この瞬間に起きていることは、単なる技術の進化ではありません。AI、ハイブリッドクラウド、量子コンピューティングを活用することで、ビジネスの根本的な変革が可能になります。これからのビジネスには『速さ』だけでなく『賢さ』が求められます。単にコストを削減するのではなく、テクノロジーで価値を創出し、収益を伸ばすことが重要です」と今後のビジネスが根本的に変わっていくだろうとの認識だ。
そして、最後に「価値創造の多くは人間とAIの協働によって生まれ、テクノロジーは単に業務を自動化するためのものではなく、ビジネスの可能性を広げるための鍵なのです。AIの力を活用することで、業務フローやプロセスそのものを再構築する必要があります。従来の人手によるプロセスを見直し、人間が行っていた多くのステップをAIと自動化で置き換えるべきです。既存のやり方を前提にせず、ゼロベースで再設計することが重要なのです」と述べ、プレゼンテーションを締めくくった。