パワハラ・セクハラ被害を防ぐ第一線に立つ産業医・朝長健太からの提言【ガバナンスと産業医の関係】

どこまでがパワハラ・セクハラなのか─。

企業の多くが健康経営を目指す中、身体的な健康管理だけでなく、精神的な健康管理も求められるようになっている。パワハラ・セクハラ被害が増加する中、経営者はガバナンスの観点から、どんな予防策を講じることが最適なのか。産業医として数々の企業で対応策や予防措置を講じてきた産業予防医業機構社長の朝長健太氏に直撃した。

パワハラは昔からあった

 ─ フジテレビのアナウンサーにまつわる事件など、パワハラやセクハラといったハラスメントは企業経営者にとっても無視できない経営課題になっています。産業医である朝長さんから見たハラスメントに関する現状認識を聞かせてください。

 朝長 私が担当している企業の中でそのような事案は出てきていませんが、上司によるパワハラの疑いで従業員にストレスが溜まってストレスチェック(セルフケアや必要に応じて医師の面接指導を受けるために行う検査)の数値が上がってくるパワハラ類似案件が多いです。

 産業医として上司とその部下の両方と面談すると、上司本人には明らかに悪意があるわけではありません。

 

 例えば、「〇〇さん、××してください」と言えば済む話が、「〇〇さん、××しておいて」といった乱暴な言い方になると、言われた部下はその発言を攻撃的な発言として受け止めるケースが多いのです。

 もちろん、育ってきた環境によると言えばそれまでなのですが、企業にパワハラを防止するための措置を義務付けた、いわゆる「パワハラ防止法」が施行され、大企業だけでなく中小企業でもパワハラ防止措置が義務化されました。

 では、会社としてどのような手を打てばよいのか。どこも迷っているのが現状です。このとき最も気を付けなくてはならないのは「揚げ足取り」です。

 ─ というと?

 朝長 上司が「君はパワハラと思うかもしれないけど、自分の時代はこうだった。この仕事をやってもらわないといけないとお願いしただけです」といった言い方ですね。

 ただ注意すべきことは、仕事をするように言われたという事実で部下がストレスを感じてしまうというケースも起こり得ることです。感じ方は人によって千差万別です。

 そもそもパワハラの定義には業務を逸脱した場合の攻撃的な言動が含まれているのですが、強く言われてストレスに感じた時点で、たとえ業務を逸脱していなくても部下からはパワハラと言われてしまうと。それだけ昭和の世代と今の世代とでは大きなギャップがあるのです。

 したがって、パワハラ対策で一番重要なのは、このギャップをどう埋めるかということになります。そこで私が担当している企業では良好事例が書かれているハウツー本を会社で購入し、回し読みをしながら良好事例の共有化を図ってもらっています。

 良好事例とは、上司が部下に対しての言い方をこれまでの言い方からこう言い換えましょうといった事例のことです。この積み重ねしかありません。

 

─ パワハラのような事案は昔からあったと思うのですが、パワハラという言葉が登場してから社会問題化しましたね。

 朝長 ええ。起きている現象は昔から変わっていません。むしろ昔より改善されています。ところが、自分が嫌だと感じることを言語化するツールとして、ハラスメントという言葉が生まれ、非常に便利になってしまったのではないでしょうか。

 言葉が生まれて皆が今まで感じていたことを言語化するようになってきたと言えるでしょうね。

情報提供と対策がポイント

 ─ 言語化されたことで誰もが意識するようになったと。

 朝長 そうです。言語化された以上、国としても対策をせざるを得なくなったのです。そして、国が会社に対してパワハラ対策を義務付けるようになったのですが、そのポイントは2つ。

 1つは情報提供。もう1つが訴えがあったときの対策です。この2つが義務付けられています。

 

 ですから経営者は会社としてのパワハラ対策を情報発信し、相談窓口を設置する。相談が来た場合は素早く早期対応して再発防止を講じることが責務です。その際、先ほど申し上げたように良好事例を参考にしながら解決するのが一番好ましいです。

 

 ─ 企業では定期検診を行っていますが、ストレスで悩む人にはどんな傾向がありますか。

 

 朝長 私の場合は定期健診で異常があったときに個別で面談をするのですが、ストレスを感じている人は食事の量が増えて血糖値などの数値が上がっているケースが多いです。逆に食が細るケースは病院に行くことを勧めています。

 食べられる人はエネルギーを摂取できているという点でまだ大丈夫なのですが、食べられない人は注意が必要です。身体にエネルギーが入ってこないからです。

 

─ 大企業と中小企業との対策の差は感じますか。

 

 朝長 特に中小企業の場合は、何をしていいか分からないというケースが多いです。総務の担当者が国の資料を読んでも何をすべきかが分からず、他にも仕事があって結果として対応が後手になる。ですから、産業医の仕事はそういった部分をしっかりフォローすることになります。

 産業医は従業員数が1000人以上の会社では常駐が義務付けられますが、中小企業は従業員数が50人未満だと努力義務となり、設置している会社数は少ない。

 ただ、リスクは今後高まってきます。その中で産業医の仕事には「一次予防」「二次予防」「三次予防」があります。

 三次予防は悪化の予防なので、ほぼ治療に近いです。二次予防は早期発見・早期対応で、まさにパワハラの相談窓口に訴えがあった場合やストレスチェックで病気が疑われる場合、ストレスを訴えている場合などの対応になります。先ほどの良好事例の共有は一次予防です。

 ─ 一次予防として良好事例の共有以外に朝長さんはどんなアドバイスをするのですか。

 朝長 まずは予防という考え方をしっかり情報発信することを進言します。予防は危険予知から始まります。危険には2軸あり、まずは危険の重大さが1軸目です。

 最悪の場合は人の命が失われる可能性もあるからです。お酒を飲んで解消できる一時的なストレスなのか、それとも慢性的なストレスなのか。後者の場合は発病するリスクがる。この重症度の見極めが大切です。

 

 2軸目が発生確率です。攻撃的な言葉を毎日のように聞かされていたら、当然ストレスも溜まります。

 たとえ厳しい言葉も1回だけなら指導や励ましと捉えられて済むかもしれませんが、毎回のように言われると、病気を発症してしまう発生確率は格段に上がっていきます。

 この危険の重大さと発生確率をそれぞれ減らすことが予防になります。ストレスチェックで気になる数値のある人がいたら面談する。食事ができなかったり、眠れないといった症状は出ていないかを確認し、症状が出ていたら病院に行って重大性を回避するように努めます。

 加えて、その人がいる職場の上司や人事からも、どのような言い方をしていたのかをヒアリングします。その際、攻撃的な言い方をしていた場合には改めてもらうようにアドバイスしますし、それでも言い方を変えず、事故につながる可能性のある人には産業医として勧告します。

優秀な営業マンが総務で苦戦

 ─ 中にはどうしても過去の経験があって態度が硬化したままの人もいるでしょうね。

 朝長 ええ。私の経験でこんなことがありました。ある会社の営業の方で、非常に優秀だという触れ込みの人が総務部に異動しました。ところが異動後、上司から徹底的に怒られてしまう。「もっと良くしろ。もっと分かりやすくしろ」といった具合に怒鳴られていたそうです。

 ストレスチェックの後、その人が相談に来ました。話を聞くと、その人が優秀だと評価されていたのは、営業先でお客様にどう会社の製品を訴求するかという仕事ぶりでした。お客様にとってどう分かりやすくするかといったアイデアを捻ることが得意だったわけです。

 ところが総務だと、分かりやすくするとは、より詳細にすること。営業であれば3行の文章で終わせることを、総務だとむしろ行数を増やし、解説する文章も加えなければならない。つまり、同じ「分かりやすさ」という言葉の意味が部署によって違っていたというわけです。

 ─ 食い違いがあったと。

 朝長 はい。ですから本人もストレスを感じていたわけです。私は営業と総務の両方から話を聞くことができる立場にいたので、そういったボタンの掛け違いが分かりました。

 営業の上司はその営業出身者に将来に向けた様々な経験を積んで欲しいと考えていましたし、総務の上司もそう聞いていたので一生懸命、指導をしていたのです。そのボタンの掛け違いが解消されて認識が合致すると、その営業出身者の成績もグンと伸びました。

 ─ 対話が大事だという事例ですね。これも踏まえ、産業医の存在意義をどう考えますか。

 朝長 ハラスメントをしっかり予防できれば、その人は本当に元気に働ける。逆にハラスメントを防ぐことができず、その人がもし会社を休んでしまったら、会社にとっては機会損失につながります。

 

 人件費などの費用も勘案すれば、その機会損失は金額換算で1000万円は超えてしまうでしょう。

 

 その人が会社を休み、それを補うために同じ部署の他の人や上司の仕事量も増えてしまうからです。さらには休んでしまった人の復職に向けた訓練や準備などにもコストがかかります。

 こういった意味でも、しっかりした予防をし、誰もが元気に働ける環境をつくることが何よりも大事になります。産業医はそれを実現するためのお手伝いをする存在だと思います。

 ですから、経営者には健康管理の質をもう1回、見直してもらいたいと思いますね。「健康経営」を標榜しているのに、人事面で大変なことになっている会社が増えてきています。

 健康管理の質が低いからでしょう。そうすると、健康管理の効果もなく、結果として人件費に跳ね返ってきてしまいます。

海外の物差しにも耐えられる

 ─ 女性を活用する企業が増えてきていますから、もっと気を配る必要がありますね。

 朝長 セクハラする人の問題として、まずは本人の美意識と道徳が今の世の中に合っていないケースが多いように思います。ですから、本人もそれを自覚しなければなりません。

 もちろん、会社によっても全く違うと思いますが、男性が多い職場においての1つの発言でも捉え方は全く違ってきます。1本の物差しでは解決できないものなのです。

 だからこそ、その場その場に合った良好事例を社員に伝えて共有し、その良好事例の積み重ねによって、それぞれの美意識を改善していくと。そうすれば、社会に対しても、しっかりと胸張って誇れる会社になれると思います。

 特に今回のフジテレビの件については、海外の美意識の物差しが多分に働いているように感じます。

 

 海外の美意識は日本の美意識と比べても明らかに厳しいです。日本で問題がある会社と取引していたとなれば、海外での取引に影響が出てくるかもしれません。

 ただそれは海外の物差しです。ですから、海外の物差しにも、きちんと耐えられるようにPDCA(計画、実行、測定・評価、対策)で改善していくしかありません。これは一朝一夕ではなく、日々の積み重ねなのです。