
プラス、マイナス両面が…
AI(人工知能)など最先端技術や機器の登場は、人々の生活に快適さや便利さといったプラス面をもたらすが、同時に社会に不安や恐怖を与えるマイナス面も生む。
タイとの国境沿いのミャンマーから、インターネットや電話を使って、高齢者に言葉巧みに近づき、預金をおろさせて詐取したり、若い世代に結婚を匂わせ、金を騙し取る〝ロマンス詐欺〟という手法まであるそうで、よく考えだすものだとつくづく思う。
昔から、人を騙す悪い人間はいたが、知り合いなどに、「こんな話を持ちかけられたが、どう思うか」と相談すれば、「それは危ないね。騙されているんじゃないの」と助言を受けることができた。
地域コミュニティがしっかりし、隣近所との付き合いも濃く、互いに相談ができた。”人と人とのつながり”が弱まってきているという時代背景が犯罪を増長させているのかもしれない。
世代交代は30年単位で起きるとされるが、団塊の世代(戦後1947年から1949年に生まれた世代)に属する筆者からすると、昨今の様々な出来事に、「時代が変わった」と強く感じさせられる。
人と人のつながりを
人と人のつながり――。筆者が南九州から上京し、大学に入ったのは1966年(昭和41年)。当時の急行列車で東京まで25~26時間かかる〝難行〟の上京だったが、途中から乗車する人たちとの〝ふるさと自慢〟も面白く、筆者にとっては楽しい旅だった。
大学は学園紛争が始まり、入学してすぐ、〝ストライキ〟に入り、講義が無くなるなど、荒れた学園生活がスタート。海の向こうの米西海岸、ドイツ、フランスなどの大学も荒れていた。
しかし、そんな中でも、全国各地から集まって来た同級生や先輩、後輩と、それぞれ訛のある言葉でよく議論し合うのは楽しかった。
今の若い世代からは、『昭和』はやや揶揄ぎみに語られるが、人と人のつながりがもっと濃厚だったと思う。
大学に通いやすい西武新宿線沿線ということで、筆者は練馬区下石神井の弁護士さん宅に下宿。三畳一間と狭い部屋だったが、両隣に一関(岩手)、浜松(静岡)出身の学友がおり、1人は映画制作、もう1人は中国研究にいそしみ、わたしは新聞記者志望と、それぞれ進路希望は違ったが、国際情勢から、当時の小説、フォークソングなどを題材に、多岐にわたる領域の問題を深夜まで話し合った。
浜松出身の学友は、実家がウナギ養殖業を営んでおり、帰省するたびに、焼いたウナギを土産に持って来てくれた。彼の親父さんの温情に感謝しながら、腹いっぱい食したウナギの味は今でも忘れられない。
自国第一主義の先行きは…
自国第一主義は、自分の国さえ良ければ─―ということから始まるが、国も人も自分(自国)一人では生きていけない。トランプ氏がその事に早く気が付いてくれればいいのだが、当分、混乱は続くという覚悟が求められそうだ。
米トランプ大統領の側近、イーロン・マスク氏の国の規制撤廃は基本的にはいいとして、問題はそのやり方だ。有無を言わせず、政府諸機関の人員削減をはじめ、欧州各国の政治を混乱に落とすような発言に、EU(欧州連合)の各首脳は反発。マスク氏のテスラ車の不買運動まで誘発。同社株の下落やX(旧ツイッター)も経営で打撃を受けて、事態は流動的。
無用の対立はマイナス面のほうが大きく、相手に一定の敬意を払いつつ、言いたい事を言い合う。その中で人と人のつながりで問題解決に向かい合いたいものだ。
日本生産性本部会長の茂木友三郎さん(1935年=昭和10年生まれ、キッコーマン取締役名誉会長)は若き頃、米国に留学。コロンビア大学大学院でMBA(経営学修士号)を取得された(1961)。米国が繁栄し、自由主義・民主主義の先達として米国が振る舞っていた1950年代末から60年代初めにかけての留学。その頃、中産階級の豊かさも実感したという。
「ニュージャージー州のフォード工場の組み立て現場で働く様子を見ました。おじさんたちが生き生きと働き、手を振って歓迎してくれてね」
その製造業が没落し、サービス業が勃興していった米国。サービス業は一般的に製造業よりは所得も低い。これも米国の余裕を失わさせている一因かもしれない。
また、茂木さんは留学中、鍵を落とし、途方に暮れたことがある。そうしていたら、電話が掛かってきて、「あなたの鍵を拾った。うちを訪ねてくれ」と黒人の家庭から電話連絡を受けた。
先方の家はニューヨーク市のブルックリン地区。少し治安面で不安なので、白人学生と連れそって、その家を訪ねた。鍵ケースに、茂木さんの電話番号が書いてあったので連絡した。
「日曜日の朝、そのお宅を訪ねたら、すごくいい人なんですよ。もう綺麗な住宅でね。お茶とケーキもいただいて、米国は豊かだなと、その時つくづく思いましたね」と茂木さんは述懐。
中間層の存在が社会を安定させる。そんな事を感じさせる茂木さんのエピソードだ。