
「ディレクターというスタンスでヒューマン・ドキュメンタリーを作ってきたというイメージが強い」─。映像やゲーム、Web、広告・出版、医療などのプロフェッショナル人材を提供するクリーク・アンド・リバー社の創業者で会長の井川幸広氏は会社設立35年を振り返る。医師職業紹介や水耕栽培の会社を立ち上げるなど、幅広い領域で新たな仕組みづくりに挑んできた井川氏。その原動力になったものとは。
大企業経営から ベンチャー企業経営へ
─ 井川さんは2020年に東京ニュービジネス協議会の会長に就任し、5年目を迎えています。日本企業の可能性をどう感じますか。
井川 可能性は結構あると思います。例えば企業には事業承継というテーマがあります。去年1年間、当社に持ち込まれた事業承継の案件は約230件。この中には、後任となるしっかりした1人のトップリーダーを出せれば、もっと成長するという会社がたくさんありました。
そこでそのトップリーダーをクリーク・アンド・リバー社が持つ人的ネットワークで見つけることができれば、10社でも50社でも100社でも存続し、成長させることができると考え、2022年に「C&Rインキュベーション・ラボ」という会社を設立して事業承継の取り組みを始めているんです。
─ 他にも事業承継の取り組みを行っているケースはありますが、特筆すべき点とは。
井川 例えば東証プライムに上場している企業の取締役は大企業ではなく、ベンチャー企業でトップとして仕事をしたいという人たちも結構いるのです。
実際、当社の調べでは、ベンチャー企業の経営に向いているのではないかという人たちが全取締役の約3割を占めていると見ています。
C&Rグループはクライアント5万社とプロフェッショナル40万人をネットワークしていますので、そういう人たちにはそれらの営業資産を活用してもらいながら、事業承継の案件を一緒になって事業計画をつくる。
当社もリスクをとって、経営に参画し、その会社を成長させていくと。そういったモデルを展開し始めているところです。実際に行動も始めています。
─ どんなケースですか。
井川 トラックやバスの日野自動車社長・会長を務めた下義生さんが同社退職後、当社の事業に共感してくれまして、今は当社が出資する、社員が十数名のバイオベンチャーの社長をしています。
やはり大企業を経営した手腕もあって見事な采配を振るっています。そういった柔軟な発想を持った人はいるんです。
─ 下さんはどんな点に関心を示したのですか。
井川 私が下さんにお会いした際、「下さんは外食に興味はありませんか?」と切り出すと、下さんは「面白そうだよね」と。もちろん、下さんに外食企業の経験はありません。
それでもご本人は高い関心を寄せるのです。大企業とベンチャーの経営は若干違います。ですが、そういった違いを含めて成功している経営者もいます。そこで、そういった人たちと一緒にアカデミーをつくりたいと考えているんです。
上場企業の取締役の約7割は任期が1年。ですから、毎年のように次のステージとしてベンチャー企業の社長をやりたいという人が出てくるのではないかと。そういった人たちを集めていきます。
現在、アカデミー講師の候補者は10名ほどいます。この講師陣は、皆さん大企業から中小零細企業へ社長として転職されて、実績を上げている方々です。
─ 経営者でも次のステージを考えることは新鮮だと。
井川 そう思います。売上高50億円の会社の売上高を100億円にすることは、あまり難しくない。1人のトップマネジメントがいればです。プロの経営者を発掘し、育てることを仕組化できれば、世の中にある事業承継という社会課題の解決にもつなげることができるでしょう。
国内最大規模の 医療ネットワーク
─ クリーク・アンド・リバー社は昔から定年のない仕組みをつくろうとしていましたね。
井川 はい。創業当初からそう思っていました。というのも、ディレクターやドクター、弁護士といった職種には定年退職がありません。自分で定年を決める職種なのです。それなのに、年齢で区切る会社が多い。
経営者もそうです。もっとこういう人たちの知恵と経験は生かせるはずです。ですから我々も事業承継で受け取った会社には定年という制度をなくしていこうと動いています。
定年を迎えたといっても元気な人はたくさんいます。ある会社のトップが70歳を越えたところで当社がその会社を預かり、そのトップにはベンチャーの経営に携わってもらってもいいわけです。そういったことが当たり前のように起きる世界を、どんどん事業承継しながらつくっていきたいと思っています。
─ もともとクリエーターだった井川さんならではの視点ですね。
井川 そうですね。これは病院でも同じです。地域診療を担うクリニックも後継ぎ不在で悩んでいます。もし、そういったクリニックがなくなってしまうと、地域医療が崩壊してしまう。
しかし、若いドクターの中には、最後は自分のクリニックをやりたいという人が少なからずいるんです。クリニックの院長が元気なときに、そういったやる気のある若いドクターに経営を学んでもらい、バトンタッチしていけば、地域医療の維持につながります。
─ こういったネットワークを持っているのですか。
井川 ええ。ドクターなどの紹介事業を手掛ける「メディカル・プリンシプル社」という会社があり、同社は約17・5万人の医師と医学生、約1・8万の医療施設をネットワークしています。
医師は国内では毎年約1万人規模で増えるのですが、医学生のうちの大半がメディカル・プリンシプル社に会員登録しています。
─ なぜですか。
井川 イベントを開催しているからです。医師免許を取った後に、臨床研修指定病院で研修を受けなければいけないのですが、それに関連するイベントを同社が開催し、そこには医師免許を取得した若手医師のほとんどが参加します。それが強力なドクターネットワークにつながっています。
─ これは日本最大ですか。
井川 はい。研修病院合同説明会の参加規模でいうと、業界最大級です。そしてメディカル・プリンシプル社はクリーク・アンド・リバー社を創業した7年後につくった会社で、もともとは3人でスタートしました。
今では、同社の社員約400人が北海道から沖縄まで全国16カ所の支社から各医療機関の医師とコミュニケーションをとっていて、営業利益もしっかり出しており、上場もできるほどに成長しました。
─ グループ会社は何社あるのですか。
井川 32社です。ゼロから立ち上げた会社が19社で、他の13社はM&Aでグループ入りをした会社です。その大半が頼まれての出資ですが、任せられる経営者がいなかったなど事業承継の背景はいろいろです。
人生をかけて育ててきた会社を手放すことを思うと、同じ創業経営者として寂しくなると同時に、その責任も重い。当社としては、その創業者の想いを受け、社名はそのまま受け継ぐようにしています。そのほかに注目しているのは「コネクトアラウンド」という会社です。
農業と障がい者を融合
─ どんな会社ですか。
井川 農業系ベンチャーで、AIやIoT、最新の水耕栽培の先進技術を活かした6次化スマート農業を実現し、農業を大きく変えようとしています。
─ どのような経緯で、この事業を始めたのですか。
井川 約20年前にクリーク・アンド・リバー社に新卒で入社した明治大学大学院農学研究科の出身者である浅井司が22年に同社を立ち上げたんです。
当社はクリエイティブな会社だと言っていたのですが、入社後もAIやIoTを活用した農業モデルの可能性をずっと研究していました。それで満を持して事業計画書を私に持ってきて、大型農業施設と小型農業施設を2つ同時にやりたいんだと。
─ 直談判ですね。
井川 ええ。彼女の事業計画書によれば、小型農業施設は商店街の空き店舗を活用できると。そこで栽培した野菜を近隣の住宅や飲食店に販売できれば、採った瞬間の一番おいしいタイミングで提供できるというわけです。野菜を使ったお弁当も作れます。
さらに、野菜の生産やお弁当の製造では、障がいのある方に戦力として活躍してもらう。そんな計画でしたね。
例えば都心の駅の近くなどにそういった拠点ができれば、障がいのある方も含め、みんな通いやすい。そして、障がいの特性に応じて、業務を指示する業務体制を整えました。
神奈川県川崎市のJR南武線の武蔵新城駅から徒歩5分の所にある商店街の一角に「FUN EAT MAKERS 武蔵新城」という6次化農業カフェを開店しています。
─ 大型農業施設とは。
井川 福島県大熊町という原子力発電所のある街に農・食・滞在の複合施設「FUN EAT MAKERS in Okuma」を建築中です。
ここは震災復興という意味でも国家プロジェクトになっており、リーフ水耕栽培施設や年間24㌧のトマトが生産できる農業施設をはじめ、セントラルキッチン、レストランや物産・地域交流スペースなどが今年6月頃に完成する予定になっています。
近隣には、起業家コミュニティのある大熊町のシェアワークスペースなどもあります。例えば大熊町に住めば、兼業クリエーターのような形で農業とクリエイティブの仕事を両立することはもちろん、農業とクリエイティブを融合した、より革新的な仕事として成立させることができるようになります。
障がいのある方々は、自分たちが作った野菜が販売され、お客様がおいしいと言って食べてくれる姿を見て、その喜びに社会の一員になったというプライドを育み出しています。
彼らの商品に何のハンディキャップもありません。彼らのお弁当は、福祉の枠ではなく、一般商品として、麻布台ヒルズでも販売しています。味が認められた証です。
ドキュメンタリーを 作り続ける
─ 味で選ばれたわけですね。井川さんのこれまでの歩みを振り返ると?
井川 私は起業したというよりも、ディレクターというスタンスで事業ドキュメンタリーを作ってきたというイメージが強いんです。自分の中で映画を事業に置き換えて演出している感覚です。
ただ、会社の経営はエンドマークのない映画で、なおかつ、ハッピーエンドで終わらないと視聴者から拍手も湧かないし、視聴率も上がらない。ですから、ハッピーエンドをずっと繰り返していかなければなりません。
その結果、32社のグループ会社ができたと。
振り返れば、資金繰りには結構苦労しました。友だちから借りては、それを返してという繰り返しです。ただ、1日たりとも返す日程を守らなかったことはありません。必ず返していました。
それが後に銀行からも借りられる信用につながっていったのではないかと思います。
ビジネスが継続してハッピーエンドになるためには「ロマンと算盤」の両方が大事になります。でも、ロマンが少し先行する感じがしますね。このバランスを今後も大事にしていきたいと思っています。(了)
クリーク・アンド・リバー社会長・井川幸広「約40万人のクリエイティブな人たちと 常に新しい付加価値を生み出していきたい」《第1回》