作家・倉本聰が直言「いったい日本人はどうなってしまったのか」

SNSが持つ「匿名性」

 ─ トランプ第2次政権が発足し、パレスチナ自治区のガザを所有する考えを示すなど、世界が分断・分裂の時代を迎えています。一方で国内に目を向けると、倉本さんと縁のあるフジテレビでガバナンスの問題が世間を賑わせています。まずは今の世相をどう見ていますか。

 倉本 フジテレビの記者会見を見ていて思うのは、同社はもちろん、メディアも含めて日本がルールも何もなくなってしまった国になってしまったように感じました。これは日本だけに限らないかもしれません。トランプさんや中国に代表されるように、世界中でルールが消えてしまった。そんな気がします。

 ─ 2025年は戦後80年の節目です。どうしてルールが消えてしまうような国になってしまったのでしょうか。

 倉本 僕が一番致命的だと思うのがSNSです。SNSが持つ「匿名性」だと思います。僕はインターネットをやらないですし、できません。そもそもコンピュータに触れたこともないので、SNSのLINEやらツイッター(現X)やらフェイスブックといわれても、どういうものかは分かりません。

 ただ、永年、ものを書く仕事に携わってきて分かったことは「文は武器だ」ということです。愛や悲しみの文を書くなら構いませんが、怒りや憎しみで文章を書くときには、文字は兇器となって人を刺します。そうした文章を書くときは、筆者を明確にしなければいけないと思うのです。筆者が明らかになっていれば、その筆者が弁明でも謝罪でも返すことができます。

 しかし、筆者が匿名である場合には、誰が書いたものかは分かりませんから、全世界から誹謗された気にもなりますし、たちまち心にもズンと響いてしまう。僕の友人には匿名の記述に心が傷つけられてしまい、危うく自殺しかけた者までいます。

 ─ 発言に対して責任を持つという思想がなくなったと。

 倉本 ええ。匿名による誹謗中傷は極めて卑怯にして卑劣な行為だと思うのです。やるものにとっては軽い気持ちなのかもしれませんが、やられた者は極めて傷つきます。

 かつて警察から僕に連絡が入り、「あなたの殺人予告がネット上にアップされたから注意して下さい」と警告されたことがあったのですが、冗談だと思っても家族共々イヤな日々を過ごしました。それでもネット上で赤の他人と交信しようとする人がいることに、俄かには信じられない想いです。

 ですから、先のフジテレビの会見でも言いたい放題、好き勝手に物事を言うような質問者が出てきたのでしょう。SNSが当たり前のように社会に普及してきたことで、そういった人間が育ってきてしまうのです。そんなことをやり始めてしまえば、もう無政府状態になってしまう。

テレビ界の常識が当たり前に

 ─ 自分たちの分をわきまえないということもありますか。

 倉本 あると思いますね。倫理観という観点で言えば、フジテレビの経営幹部がどこまで国民にしっかり説明するか。間違ったことに対しては、しっかり謝罪する。それは人間が持つ道徳、礼儀、作法だと思います。そういった倫理観というものが失われていると感じています。

 僕もテレビの世界に身を置いているので分かるのですが、テレビ局にはテレビ業界の常識があります。いろいろ報道で言われているような行為が、ある種、テレビ業界の常識となっているのです。常識になっているということは、自分たちにとっては当たり前のことになっている。

 今回の女性アナウンサーの扱い方にしても、アナウンサーであっても他の企業と同じように彼女たちも職場で働いている女性です。職場内で女性と親しくなることは当たり前です。上司が気に入った女性と付き合うようなことがあっても別におかしなことではありません。

 ただ、営業と称して接待させることはおかしい。それがテレビ業界の常識であるならば、テレビ局という女郎屋(遊女を抱え、客を取らせることを商売とした家)になってしまったという感じがします。それはテレビ界ではなく花柳界です。

 ─ これは世相なのか、テレビ界だけのことでしょうか。

 倉本 世相もあるかもしれません。企業の重役の人たちは毎晩、料亭やバーに足を運びます。そこには女性がいるでしょう。そういった光景が重役たちには当たり前になっている。

 僕は行きませんけど、かつての夜の東京・銀座の景色を見ていたら、たくさんの経営者の姿が見られました。一方で文壇の関係者が常連として集まる文壇バーのような文化的なつながりをつくってくれる場所も風土も失われつつあります。ですから、「遊び」の世界も本当に下品になってしまったわけです。

京都の女将が言った「旦那」

 ─ 品性がなくなってきたとも言えるかもしれません。

 倉本 実は僕は花柳界が好きで京都の祇園などによく行きます。そこであるとき、祇園の古い女将からこう言われたのです。

「お金のある方は今でもおいやす。せやけど芸の判るお人が消えてしまいました。ただのお金持ち。そういう人は旦那とは言えまへん。佐治さんは最後の旦那どしたなぁ」と。

 佐治さんとは当時のサントリーの経営者・佐治敬三さんのことです。昔、テレビコマーシャルが輝いていた時代に、猿がウォークマンをうっとりきいている作品や力士の高見山が軽快にタップを踏んで踊るといったコマーシャルが流れていました。

 今のように、お笑いタレントがただ媚びて道化を演じるようなものではなく、コマーシャルが1つの文化として成立していた時代です。殊にサントリーのコマーシャルは秀抜な垢ぬけたユーモアと格調の高さがあったように思います。

 ─ その女将の発言の真意はどんなものなのですか。

 倉本 佐治さんには、しっかりした文化への態度・姿勢がありました。こういう経営者の優れたセンスが、どんどん消えていきつつあるのです。

 当時の同社の社内には優れたクリエーターである開高健さんや山口瞳さん、柳原良平さんといった逸材を抱え、「やってみなはれ」という自由な発想で宣伝という、それまで人があまり注目しなかった分野に新風を吹き込みました。

 当時ヨーロッパで言われ始めていた1つの定義。「真の文明国家とは、経済、環境、文化という3つの柱が鼎となって、バランスよく国を支えている姿」というものをいち早く受信されていたことに、その根源があったように思います。

 僕も一時期、佐治さんとはお付き合いさせていただいたことがあるのですが、とにかく佐治さんの明るくて豪放な性格、そして、文化に対する並々ならぬ関心と傾倒には、いつも脱帽させられたものです。日本の文化は、佐治さんのような旦那という名の、外国で言うところのパトロンに相当するお金持ちによって支えられてきたのではないかと僕は思っているのです。

 ─ 単なるお金を持って遊ぶ人だけが真の旦那ではなく、文化や芸術にも造詣のある人を指しているのですね。

 倉本 ええ。女将からすれば、舞妓の芸をきちんと理解し、知っていただいているからこそ、それを見た旦那が「あなたなあ、あそこの踊りはまだ修行が足りないんじゃないか」とアドバイスができる。そういう芸のさじ加減も理解しているようでないと、旦那とは言わないと。彼女はそう言うんです。そしてその女将は佐治さんで旦那の時代は終わったと嘆いていました。

 ─ そういった京文化に代表される風情を我々日本人が背負っているということをもう一度見直さないといけませんね。世の中全体の品格が落ちてきたということにもつながります。

 倉本 そうです。品格がないのです。日本のテレビは一体いつからこんなに品格を落としてしまったのでしょうか。昔はPTAが青少年への教育上の悪影響を憂えて俗悪な番組を炙り出し、リストアップした時代もありましたが、今やもうそんなことを通り越して、あたかもこの国をどこまで下げられるかと競い合うかのように、言葉・行動・態度・礼儀がこの国の良俗を破壊し、それを海外にまで宣伝しているように感じます。

 海外に出てまで我が物顔に非礼な行動をとるタレントや裸になって笑いをとるお笑い芸人などの悪ふざけをよく観ますが、それを平気で許容し、放送するテレビ局の姿勢には問題があるのではないでしょうか。料理番組でも料理を食べるときに左手を使わなかったり、根本的なマナーも知らないタレントが料理番組で「おいしい」と言っているわけです。それをディレクターも注意しないのでしょう。

 ─ 自由な振舞いの中にも一定の規律、決まり事があると。

 倉本 はい。さらに言えば、僕が深刻に思うのが言葉の乱れです。今の日本人の言葉づかいは地に堕ちてしまったように思います。テレビで流れてくるドラマ上の会話やコマーシャルに使われる若者たちのしゃべり言葉が、あまりにもひどい。上流言葉を使いなさいとは言いませんが、妙齢の女性でも「ヤベエ」「スゲエ」「~じゃねえよ」とか、眉をしかめるような下卑た男言葉を堂々と使っています。

何でも手に入る時代になったが

 ─ 世の中の言葉遣いが乱暴になっており、それを認める風潮があるということですね。

 倉本 ええ。そういう言葉づかいを受け入れてしまう視聴者がいて、それを面白がる制作者がいて、いつのまにか、そうしたヤクザな言葉が平然と市民権を持ってしまっています。こういった言葉づかいで匿名性を持った形で、SNSで世の中に発信されることが、時として人を自殺に追い込んだり、人の足を引っ張ることにつながったりしているのです。

 昨年11月の兵庫県知事選後に県議を辞職し、自殺した県議の事件がありましたが、これもSNSが一因にあると思うのです。かつて日本語は俳句や詩歌や三十一文字やら、先人たちが営々と築き上げてきた美しい大和言葉の伝統がありました。それが今は完全に下卑た流行語で破壊されています。

 ─ 1つのSNSの発言で国民が引っ張られてしまう世の中になってしまっています。

 倉本 誹謗中傷という嫌な伝染病がはびこっていますが、SNSに代表される文明の利器がどんどん増えて、それにあたかも比例するかのように性悪人間が一挙に増加してしまっています。放っとけばいいような些細なことでも、さも一大事であるかのように情報網を使って世の中に喧伝し、それに飛びつく人が声をあげてしまうのです。

 ─ 我々の生き方を今一度見直すべきですね。

 倉本 そうですね。敗戦から80年が経ち、科学は著しく進歩を遂げ、僕たちの暮らしはガラッと変わりました。何でも手に入る時代となったわけですが、一方で、僕たちはその空しい豊饒の中で、暇をもてあそび、暇つぶしがないかと考えて人の悪口を言うことを思いついてしまう。自分が偉い人になったように錯覚し、正義の戦士になったかのように思い込み、人の欠陥を見つけ出し、ここぞとばかりに大声をあげて快感に浸っているのです。

 確かに豊かに輝いてきたのは喜ばしいことではありますが、今一度、ここで立ち止まって考えるべきことは、日本人が古来持っていた品格をもう一度取り戻すことではないでしょうか。

『わたしの「対話人生」』国際社会経済研究所(IISE)理事長・藤沢久美「扉は開いている」