「DXのためにITツールを導入したのに、期待通りに使われていない」。そんな悩みを持つ方も多いだろう。東急コミュニティーではそうした悩みを「デジタルアダプション」の考え方に基づき、解決しようとしている。

2月27日に開催された「TECH+セミナー ビルメンテナンス 2025 Feb. デジタル化による業務効率化戦略」に東急不動産HDグループDX推進部 主幹/東急不動産 DX推進部 主幹/東急コミュニティー 経営戦略統括部グループIT推進部 主幹/日本デジタルアダプション協会 理事の柏崎正彦氏が登壇。「データとAIでITツールの費用対効果を最大化する実践的なアプローチとは」と題し、東急コミュニティーでのITツール活用の取り組みについて話した。

ITを“人任せ”にする風潮はなぜ生まれた?

柏崎氏は冒頭、「皆さんの社内ではITツールを自分で使いこなそうという文化はありますか」と聴講者に問いかけた上で、子どもの教育を例に挙げた。

子どもが宿題で出された漢字が分からないとき、いきなり漢字ドリルに答えを書いて示す保護者はいない。辞書を渡して調べさせ、自分で答えを見つけさせる。そのプロセスを経て、子どもは分からないことに対する解決法を学び、徐々に学力をつけていく。

しかしこれが、社員が仕事で必要なITツールの使い方が分からないときになると、どうだろうか。おそらくIT部門に問い合わせをし、代理で解決してもらう人が多いのではないか。問題自体はすぐに解決するが、社員は解決法を学ばず、ITリテラシーも向上しない。本来であれば、IT部門は解決のための手順書を提供し、自己解決する方法を学んでもらい、ITリテラシーを高めるべきである。

  • IT教育の理想と現実

ではなぜ、仕事道具であるITツールに対し、当事者意識が低い文化になってしまっているのか。同氏はその理由として3つを挙げた。

1つ目は状況の変化である。デジタル化が台頭してきた10~20年前、仕事で利用されるITツールは経費精算や給与計算システムのような、誰もが同じルールで操作ができ、同じ結果を出せる“工夫がいらない”システムが大半だった。しかし今使われているITツールはそれぞれの役職や業務に合わせて使う必要があるものが多い。つまり、自分たちで使い方を考え、工夫をする必要性が出てきたのだ。

前述のような状況の変化に対し、IT部門が変化していないこと。これが2つ目の理由だ。本来であれば、役職や業務内容、IT理解度に見合った教育を提供すべきだが、いまだに一律の手順書を提供するだけで済ませているIT部門もある。

3つ目は冒頭でも語られた「ITのことはサポートに任せればよい」という風潮だ。ITツールの使い方が人によってさまざまになった今、全てのことをIT部門が代理で解決するのは難しいはずだが、この風潮だけが脈々と受け継がれてしまっている。

「なぜ使われていないのか」を数値化

ここで柏崎氏は、IT活用を成功させる2つのポイントを示した。それが「IT部門に頼らないで自己解決する、自分でITを学ぶ文化をつくる」「IT教育は業務・役職・IT理解度に合った教育を提供する」だ。

同氏は後者の「IT教育は業務・役職・IT理解度に合った教育を提供する」にフォーカスし、東急コミュニティーでの事例を紹介した。

柏崎氏らがまず取り組んだのは、ITツールがなぜ使われていないのか、どうしたら使ってもらえるのかを数値化して調べることだ。

例えば、学校教育で用いられるタブレットでの学習であれば、子どもがどの問題でつまずいているか、苦手分野はどこなのかといったデータが収集され、個別のフィードバックができるようになっている。

では、企業でのIT教育はどうか。紙主体の教育からeラーニングなどへとデジタル化はされているものの、収集しているデータは閲覧数のみで、ITツールが役に立ったのか、活用が進んでいるのかを把握していない企業も多いだろう。

東急コミュニティーではこのような課題に対し、システムやソフトウエアの利用状況を可視化するプラットフォーム「Pendo」を導入。ITツールの利用状況を分析し、個別のフィードバックが可能な体制を整えた。

ここでのキーワードは「デジタルアダプション」だと同氏は言う。デジタルアダプションとは、デジタルの利活用・定着と、その実現に向けた取り組みを指す。

「デジタル庁が掲げる『誰一人取り残されないデジタル社会の実現』のためには(中略)誰にとっても使いやすいデジタルにすることが必要です。そのためには、使いづらくなる原因を見つけ、パーソナライズされた教育をしていくことが必要になります」(柏崎氏)

IT部門の当たり前は“当たり前”ではない

柏崎氏は2019年から東急コミュニティー全社に導入されているクラウドストレージ「Box」の利用状況を例に、具体的な取り組みを示した。

「Boxをもっと活用したいという課題に対し、どうなったら“活用”なのか、数値目標を定めれば、次のフェーズに進めると考え、まずは現状の数値化と目標値の設定を行いました」(柏崎氏)

Pendoを用い、Boxの利用状況を可視化したところ、機能によって利用者数に差があることが分かった。そこで同氏らは、使われている機能別に初級~上級まで利用者のレベルを分類し、レベルに応じた目標値を設定したという。

  • 利用している機能に応じて設定されたレベル分けと評価指標

さらに、「行動データだけでは分からない『気持ち』の部分も数値化した」と柏崎氏は語る。それがBoxの画面上で行われたアンケートだ。「Boxは使いやすいですか?」という設問に対し、「はい」「いいえ」から選択してもらったところ、45.4%の人が「いいえ」、つまり「使いづらい」と回答した。

「Boxは世界シェアの大きいツールなので、使いづらいはずはないのです。一方で、Boxに限らず、『ITツールが使いづらい』という声はよく聞きます。では、使いづらいとはどういうことか。それを言語化、数値化できるかに挑戦しました」(柏崎氏)

その結論はと言うと、「使いづらいイコール間違った使い方をしている、だった」という。

「“使いづらい”を解決するためには、デジタルアダプションの考えに基づいた、利活用・定着の仕組み化が必要です」(柏崎氏)

デジタルアダプションの考え方では「誰がどう間違っているのか?」「どうして間違っているのか?」を解明した上で、「どうやって伝えるか?」を導き出していく。これを仕組化するには、まず何が間違っているのかを数値によって定量的に判断する必要がある。

では、東急コミュニティーの場合、間違った使い方にどうやって数値で気付くことができたのか。そのヒントは、前述のBoxの機能別の利用者数にあった。「Boxが使いやすい」人の92%は何かしらの便利機能を頻繁に使っていたのだ。一方で、「使いづらい」人の84%がこのような便利機能を使いこなせていない、あるいは使っていなかった。そこで同氏らは、便利機能の認知度・活用度を高めればよいと考えた。

具体的に実施されたのはBoxの画面を占有するサイドバーを消すことができる機能の周知である。周知はメールやポータルへの掲示ではなく、Boxの画面上にポップアップを出すかたちとした。さらに、「サイドバーを消せます」と機能を紹介するのではなく、「ファイルをもっと見やすく」といった文面にすることでメリットを強調。その結果、「たったこれだけの教育で」(柏崎氏)サイドバーを消す機能の利用率が3カ月間で37%増加した。さらにその後の利用状況もモニタリングしたところ、継続して使い続けている人が多いというデータも得られている。

  • Boxの画面上に掲出したポップアップ

柏崎氏はこの取り組みを振り返り、「IT部門がこの状況に気付けたことが一番の利点だった」と話す。

「IT部門の社員はITの専門家なので、このような便利機能を当たり前に使っています。自分たちにとって当たり前のものなので、他部門でも当然使っているだろうと思い込み、この機能の教育に注力していませんでした。実際数値を見ると、IT部門と他の部門では利用数に4倍近い差があったのです。この差を理解していない状態でIT部門が発信していた教育情報に果たして需要はあったのか。IT部門は今、この点を反省し、次の教育につなげようと動いています」(柏崎氏)

生成AI活用のニーズは生成AIに聞け

続いて柏崎氏が示したのはBox上での生成AIの利用促進の事例である。Boxには社内ポータルでAI検索ができる「Box Hubs/Box AI for Hubs」という機能がある。会社としては生成AIを活用し、各自で業務効率化をしてほしいという思いはあるものの、役職や業務によって活用のニーズはさまざまであり、どのような学習データを用意すれば良いのかを「勘と経験でカバーするのは難しい」と同氏は言う。

そこで柏崎氏らは社員が入力したプロンプトを集計、そのデータ自体を生成AIに分析させ、何が求められているのかを把握することにした。さらにこの分析で得られたニーズをどのようなかたちで提供すべきかも生成AIで分析。「この情報であれば、このような理由でレポート形式が良い」「こちらの情報はこの理由で事例集が良い」といった具体的な提案にまで落とし込んだ。

「この分析では、数字からは見えないニーズが見えてきました。生成AIから得た提案はIT部門でディスカッションするためのネタになっています。ニーズに合わせた情報提供をすることで、社内でのAIの活用がさらに進んでいくのではないかと考えています」(柏崎氏)

デジタルアダプションでITツール活用を加速

最後に柏崎氏は改めてデジタルアダプションについて言及した。デジタルアダプションは欧米のIT分野では広く浸透している概念である。同氏は「日本でもこれから広まっていくだろう」とした上で、「ITツールを浸透させる際は、デジタルアダプションの手法である『誰が間違っている?』『どう間違っている?』『どうやって伝える?』ということを意識して伝えていただければ、より活用されやすい仕組みがつくれるのではないか」と述べ、講演を結んだ。