「今は変化の激しい時代であり、どんな企業も自ら能動的にイノベーションを起こさなければ生き残れない。そのイノベーションのために不可欠なのがDX」だと話すのは、早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール 教授の入山章栄氏だ。
2月18日~20日に開催された「TECH+ EXPO 2025 Winter for データ活用 データを知恵へと昇華させるために」に同氏が登壇。データを活用してDXを進め、イノベーションを起こすために必要な考え方について、事例を交えて解説した。
イノベーションの第一歩は既存の知を組み合わせること
講演冒頭で入山氏は、「イノベーションの第一歩となる新たなアイデアは、既存の知と、別の既存の知を組み合わせることで生み出される」と話した。これは90年以上も前にオーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが「新結合」と表現していることであり、今も変わらずイノベーションの本質とされている。しかし人間はどうしても目の前のものばかり組み合わせてしまうため、それではイノベーションにはつながらない。イノベーションのためには、「知の探索が必要」だと同氏は指摘する。遠くにある知を幅広く見て持ち帰り、自分の持つ知と組み合わせることが重要なのだ。
例えば、エンジニアの大野耐一氏がアメリカのスーパーマーケットの仕組みを持ち帰って組み合わせたのがトヨタ生産方式であるし、TSUTAYA 創業者の増田宗昭氏は消費者金融の仕組みを学んでCDレンタルのビジネスモデルをつくった。
「遠くを見て組み合わせることがイノベーションの基本です」(入山氏)
知の探索でさまざまな組み合わせを見つけたら、その中から上手くいきそうなところを徹底的に深堀りして収益につなげていく。それが「知の深化」だ。この探索と深化が高いレベルでバランスよくできれば、イノベーションを起こせる確率が高くなる。そしてそれを表す言葉が、入山氏が名付けた「両利きの経営」である。
探索と深化はバランスが重要だが、企業や組織はどうしても深化に偏る傾向がある。遠くのものを幅広く見る必要がある探索は、時間も人手もお金もかかるうえ、新たな知を組み合わせるため、失敗も多い。それゆえ、効率的に見える知の深化ばかりやってしまうのだ。
「多くの日本企業で中長期的なイノベーションが枯渇しているのは、探索をなおざりにした結果です」(入山氏)
例えばゴーゴーカレー 創業者の宮森宏和氏は、「発想力は移動距離に比例する」を座右の銘として世界中を移動し、知の探索を行っているそうだ。知の探索とは自分の狭い認知を飛び越えていくことであり、そのためには自分自身を遠くに移動させることが重要なのだ。
「会議室からは何も生まれません。いろいろなところに行っていろいろな現場を見ていろいろな人に会う。これがとても重要な知の探索行為なのです」(入山氏)
AIに知の深化を任せ、人間の労力は知の探索に使う
イノベーションを起こし、両利きの経営を加速させるために不可欠なのが、デジタルを活用することだ。入山氏は「重要なのはデジタルによって知の探索を促し、知の深化を徹底させること」だと言う。
同氏が知の探索にデジタルを活用している例として挙げたのが三井化学だ。化学メーカーである同社は基礎研究が重要であり、R&D部門は世界中の論文を数多く読む必要がある。そこで、デジタル化されている論文や特許情報、化学関連のSNSの情報まで自社の生成AIであるLLMにインプットして解析している。さらにRAGも活用し、情報を検索すると社内外の知見から最適な回答を導き出せるようにしているという。
一方、無駄を省いて繰り返し深掘りするという知の深化はAIの得意分野だ。AIに任せれば知の深化を徹底でき、その分の人間の労力を知の探索にかけることができる。前述のように知の探索にはもちろんAIも有効ではあるが、世の中にはデジタル化されていない情報もある。それゆえ人間は知の探索に労力をかけ、遠くに行って人間関係を築き、そこでしか得られない情報を獲得することが重要なのだ。
DXでも重要なのは人
人間がすべきことは他にもある。知の探索や情報整理はAIでもある程度できるが、いくつか出てきた案のうちどれを選択するかを決めるのは人間だ。意思決定して実行し、その責任をとることができるのは人間だけである。
製造業では「スマイルカーブ」と呼ばれる考えがある。これは冨山和彦氏が著書『ホワイトカラー消滅: 私たちは働き方をどう変えるべきか』(発行:NHK出版新書)で提示したもので、上流の素材、下流のアフターサービスに比べ、今後は中流の加工の価値が下がるという考え方だが、「他の仕事でも同様」だと入山氏は話す。中流である情報の伝達や整理の仕事はAIに奪われ、方針決定する上流の経営と下流の現場だけが残る。つまり上流と下流に人材をシフトさせていく必要があるのだ。
「DXでも重要なのは人です。人のトランスフォーメーションができないと意味がありません。だからカギになるのは人事です」(入山氏)
DXのためには、まず経路依存性から脱却する
では、データを整備してDXを進めるためにはどうすべきか。まず重要になるのが、さまざまな要因が複雑に絡んでいてどこか1つだけを変えるのは難しいという、企業の経路依存性から脱却することだ。例えばダイバーシティ経営をしようとしても、新卒一括採用、終身雇用といった体制のままでは上手くいくはずがない。DXも同じで、会社全体を変革する必要があるのだ。
それを解決する方法は、トップダウンで実行すること、そして役員を兼任させることだと入山氏は提案する。役員が複数部署を兼任していれば、部署間の反発で意思決定できなくなる事態を避けられる。とくにDXにおいては最初の壁になるのが人事であることが多いため、デジタル部門と人事部門を兼任させることが重要だという。
同氏がその例として挙げたのはワークマンだ。専務の土屋哲雄氏がDXの取りかかりに実施したのはデジタル化ではなく、社員の給料を平均100万円アップすることだった。これで現場の士気を上げたうえでExcel経営を導入し、現場作業を標準化してデータクレンジングも行うようにした。現場の負担が増えたのに不満が出なかったのは、士気が上がっていたためだ。これは土屋氏が人事権を持っていたからこそ、実現できたことだろう。
「これが経路依存性を変えた例です。現場に権限を移譲して徹底的に標準化を進めたことが重要なのです」(入山氏)
地道な取り組みを怠らず、全員がデジタルを使える環境を整える
ペーパーレスなど地道な取り組みも重要だ。入山氏が「地方銀行でもっともDXが進んでいる」と言う北國銀行では、DXのはるか以前からペーパーレスに取り組んできた。それゆえデータが整備されており、フルバンキングシステムのクラウド化をスムースに実現できたそうだ。
「データ経営は意外と地味なものです。標準化する、ペーパーレスにする。そういうところがデータ経営につながるのです」(入山氏)
社員全員がデジタルを使える状態にすることも重要だ。デジタルに苦手意識を持つ抵抗勢力もあるが、神奈川の温泉旅館・陣屋では、まず勤怠管理をデジタル化することでそれを解決した。高齢の従業員も多くいたが、デジタルを使わなければ給料が出ないと分かると、全員が積極的に使うようになったという。
このほかに昨今のポイントとして、業界に特化したシステムが登場していることも挙げられる。例えば魚屋では、商品を数える単位が種類によって匹、尾、杯など複数あるうえ、出世魚のように名前が変わるものもあるため、データ化するのが難しい。そこで東京・杉並の東信水産では、自分たちで魚屋に特化したシステムを開発した。また前述の陣屋でも温泉旅館特化型のシステムをつくっている。このように、日本の現場特有のデータを活用できるシステムが増えていることは知っておくべきだろう。
最後に入山氏は、両利きの経営でイノベーションを起こすためにはデータ経営が不可欠であると改めて強調した。
「日本は現場が強いため、ここにデジタルが入っていくのは大きなチャンスにつながります。人口減少の今は、デジタルが入ってきても人が余って失業するという問題も少ないでしょう。だからこそ、日本の企業にはデータ経営を積極的に取り入れていただきたいのです」(入山氏)