
「あるべき選挙制度を議論していきたい」。1月23日の施政方針演説で、首相の石破茂は1994年に導入された衆院の小選挙区制に見直しが必要ではないかと与野党に投げかけた。石破が意識するのは中選挙区復活だ。世界を見れば左右両極の伸張が著しく、国内の選挙でも兵庫県知事選などで逸脱行為を連発する勢力の存在を無視できなくなってきた。自民、立憲民主など国内の主要中道政党に有利な中選挙区復活が、参院選後の時限的な大連立で実現する可能性は否定できない。一方で2期目のトランプ政権の嵐は確実に日本にも迫っている。内外ともに石破内閣は困難な舵取りを迫られている。
小選挙区を「反省」
中選挙区について石破自身、2024年8月に触れている。翌9月の自民党総裁選への立候補を表明した記者会見でだ。
「私の反省は、選挙制度を(小選挙区に)変えればうまくいくと思い込んだところにあった。『この人もいいが、あの人もいいな』という有権者の視点から見た選挙制度を考えていくべきだ。中選挙区連記制も1つの選択肢だと思っています」
施政方針演説でも、石破は衆院本会議場を埋める「多数野党」の議員たちにこう呼びかけた。
「選挙活動でこれまで想定されなかったことが起きており、それを踏まえた議論も求められている。重要なことは有権者に判断材料が正しく提供され、より幅広い世代のより多くの民意が政治に適切に反映されることだ。今の選挙制度がそれにふさわしいものなのか、約30年の歴史を踏まえ、改めて党派を超えた検証を行い、あるべき選挙制度を議論していきたい」
1月6日に伊勢神宮であった年頭記者会見でも、ほぼ同様に語っていた。年末年始を挟み、石破が求める活路が中選挙区復活を議論する選挙制度改革なのが浮き彫りになった。
そもそも選挙や政治資金の制度、憲法改正といったテーマは立法府で議論するものであり、行政府の長たる首相は、立法府での議論進展を「期待」するのが通例。今回の石破のように「議論していきたい」と踏み込むのは異例だ。石破の思惑は、政局の焦点をずらすことにある。23年末から続く「裏金問題」から、中選挙区復活にシフトさせようとしている。
その意図を解説するには1994年に遡る必要がある。政治資金規正法が現在の内容に改正され、同時に衆院に小選挙区を導入する改正も行われた。
この改革は、リクルート事件や東京佐川急便事件などで自民党中枢が金権まみれになっていたことへの世論の憤激が頂点に達した結果、起きたものだ。政治家個人向けの企業・団体献金の禁止や、公開基準の引き下げが実現した。今回、焦点となっているのは政党や政党支部向けの企業団体献金の是非だ。
小選挙区制導入の根拠は次のような論理だ。
「中選挙区の選挙でカネがかかりすぎるのが腐敗の原因だ。同じ政党の候補者同士も競い合うから有権者へのサービス合戦でカネがかかり、派閥の支援も必要になる。小選挙区制なら各党1人の候補で政党中心の選挙となり、政権交代の緊張感もある清潔な政治になる」
連記制の「道」は極細
石破が復活を意識する中選挙区は、過去と同一ではない。それでは金権政治復活との批判に耐えられない。マイナーチェンジを加えた「中選挙区連記制」をイメージしている。投票の際に有権者が複数の候補者名を「連記」して投票できるようにする。これによって同一政党の候補者同士の「サービス合戦」や、派閥支援による系列化を抑止できるとされる。
30年前の議論に石破も参画している。1986年に初当選した石破は、90年、93年と3回、中選挙区を経験した。石破はしばしばこう語る。「田中(角栄)先生には『握った手の数しか票は出てこない』と教えられた」。中選挙区の自民公認は複数いる。政党の名前で一定の票を期待できる小選挙区ではなく、「石破」の名前で勝ち続けてきた自負が、石破には強い。
石破自身も当時の政界を席巻した「改革」の奔流に乗り、93年夏の宮沢内閣不信任案に賛成した。だがこの時はまだ自民を離党せず、最後の中選挙区選に無所属で臨み、鳥取全県区でトップ当選を果たす。離党したのは93年末。翌94年に小沢一郎率いる新生党に入党し、自民復党は97年だった。96年秋にあった初の小選挙区での衆院選に、無所属で当選した後のことだ。
ただ、中選挙区を具体的にどう復活さるか、極めて細い道しかない。石破が見据えているのは7月の参院選後だ。参院選を石破がどうにか乗り切れた場合、次の国政選挙は2028年7月の参院選。衆院の任期満了もその後の28年10月で、丸々3年間、国政選挙の予定がない可能性がある。ここで野党に中選挙区復活を呼びかけ、時限的な大連立に近い態勢で議論が始まる可能性は「なくはない」(野党議員)レベルではあるが、残っている。
問題は参院選前のハードルだ。大きく分けて3つある。1つは党内からの「石破おろし」を乗り切ること。2つ目は対米関係。返り咲いたトランプ新大統領との関係を安定させられるかどうか。そして最大の難関は、来年度予算案を無事に成立させることだ。
まずは「石破おろし」。前号で詳述した通り、現職宰相を引きずり下ろすことのハードルがそもそも高い。残り2つの方がはるかに予測困難だ。
対トランプリスク大
「対トランプ」。24年12月、故・安倍晋三の妻・昭恵が渡米してトランプ夫妻との会食に臨んだ。仕掛けたのは元副総理の麻生太郎。側近の元議員を介してトランプ側と渡りを付けた。トランプはその後の記者会見で、大統領就任前でも石破と会うと言明した。
仰天したのが外務省だ。就任前の会談では、石破に陪席させられるのは通訳ともう1人程度。会談の成果のアウトプットも難しい上、予測不能なトランプに何を要求されるかも分からない。リスクが大きすぎる。外務省の猛反対の中、石破は就任前の会談を見送った。麻生に近い議員は「せっかく麻生さんがお膳立てしたのに。だから駄目なんだ」と敵意を強める。
もっともトランプ新政権から日本への圧力は、1月末の段階ではほとんど生じていない。1月20日の就任から矢継ぎ早にトランプは大量の大統領令に署名。多様性への配慮を否定する「バックラッシュ」に邁進し、貿易や移民で対立する各国に関税を誇示した圧力をかけ続けているにもかかわらず、だ。
外務省幹部は「それだけ日本との関係が安定しているということだ」と胸を張るが、トランプというリスクは常に日本の上にぶら下がり続ける。2月中と目されている石破とトランプの初会談の結果は、政権の命運を大きく左右する。
最後のハードルが予算成立。与党は24年末の臨時国会で補正予算を成立させたパターンの再現を狙っている。国民民主党とは「103万円の壁」の再協議でパイプを保ち、日本維新の会とは高校無償化の協議を深め、それぞれ本予算案への賛成に誘導しようとしている。立憲民主党にも災害対策や各種基金の縮小などのテーマで成果を挙げさせた形にすれば、賛成まではしないものの、採決を容認すると与党執行部はみている。
臨時国会の野党の体たらくを皮肉ったのが維新創設者の橋下徹だ。「野党が横同士でちょっと情報共有して戦術を立てれば高得点を取れた」「他党が手柄を取ることを恐れて」いると批判。「笑ってしまうほど典型的な囚人のジレンマだ」と喝破した。「囚人のジレンマ」とは、複数の共犯者を別々に取り調べられることで疑心暗鬼に陥り、結果として捜査側が有利になる状況のことだ。
野田、前原に「秋波」
「ジレンマ」強化を意図してか、石破は立憲代表の野田佳彦、維新共同代表の前原誠司に公然と秋波を送り始めた。
まずは昨年12月26日にあった読売国際経済懇話会。石破が防衛庁長官を務めていた03年に成立した有事法制について「参院本会議で反対されたのは日本共産党、社会民主党の方々ほかわずかで、当時の民主党を含む多くの賛成で法案が通った時の感激は、一生忘れることがございません」と話した。その前段で「特別委員会の野党の筆頭理事は前原誠司議員でした」とわざわざ触れてみせた。
元日放送の文化放送の番組ではこうだ。「前原さん、野田さんはやっぱり中道政治を目指すっていう意味では相通ずるものがありますよね。長い友人でもあるし、政治的立場は違うんだけど、人として信頼できる。裏切られたことが一度もない。そういう信頼関係はあります」
野田も微妙に石破に感応する。1月27日の衆院代表質問では、石破の選挙制度改革の呼びかけについて「議論には順番というものがある。今は政治資金規正法の再改正に集中し、議論の拡散は避けるべき」と批判した。だがその前段では「中選挙区制を経験している人は限られたメンバー。議論を落ち着いた環境ですることは否定するものではありません」との前置きはしていた。
実は定数3~5の中選挙区復活は既成政党にとって、そう悪いものではない。小選挙区は政権党である自民党にはリスクが大きい。公明党の支援と、小泉純一郎や安倍晋三といった選挙の争点設定の巧者が小選挙区のレバレッジを効かせて政権を維持してきたのであり、議員個人にとっては党本部の顔色をうかがわなければならない度合いが少なくなる分、中選挙区の方が心地よい。維新や国民、共産や公明も議席獲得や候補者擁立のハードルが低くなる。
また、比例が廃止されることに伴って、左右の両極やポピュリズム的な中小政党が衆院で一定の議席を確保することが難しくなる効果も見逃せない。
「単一政党による政権交代」をまだ諦めていない体の立憲のみが小選挙区にこだわる姿勢を見せるが、参院選で大きく勝ちきらない場合、中選挙区に呼応する声が立憲内からも出てきかねないのが実情だ。
その立憲幹部が「中選挙区復活派がつどっている」と指摘するのが、超党派議連「石橋湛山研究会」だ。湛山は戦前に言論人として平和外交や自由貿易を中心とする「小日本主義」を唱え、戦後は在任わずか65日間ながらも首相に上り詰めた。
研究会の共同代表は外相の岩屋毅、国民民主党代表代行の古川元久、立憲の元副農水相・篠原孝の3人。石破自身もメンバーで、臨時国会の所信表明演説、今国会の施政方針演説と2回連続で湛山の言葉を引用するほど惚れ込んでいる。
石破は「少数与党では法案も予算も押し切れない」と繰り返す。1月23日の施政方針演説は最後近くで「与党、野党ともに、責任ある立場で熟議し、国民の納得と共感を得るよう努めることが必要です」と「野党の責任」に言及した上で、「この場に集う全国民を代表される国会議員の皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます」と締めくくった。
湛山思想を軸に野党の「共感」を得て、内外の難局を突破する大胆さが、石破に求められる。(敬称略)