慶應義塾大学 商学部 准教授の岩尾俊兵氏は、「DXの目的は価値創造であり、そのヒントは過去の日本式経営にある」と話す。過去の日本式経営にはどのように優れた点があり、それをどう活かすべきなのだろうか。

11月26日~27日に開催されたウェビナー「ビジネス・フォーラム事務局×TECH+ EXPO 2024 Nov. for Leaders DX FRONTLINE いま何を変革するのか」に同氏が登壇。DXを進めるにあたって経営者と従業員の両方に求められる価値創造思考について解説した。

重要なのは、利益と価値創造につなげること

講演冒頭で岩尾氏は、DXの前に考えるべきこととして、格闘ゲームと体操競技を例に挙げた。

同氏曰く、対戦格闘ゲーム「鉄拳」の世界において、「世界最強国の1つはパキスタン」だそうだが、パキスタンのゲーマーのほとんどは最新のゲームPCなどは使っておらず、昔ながらのゲームセンターでその技を競い合っているという。高速インターネットがあまり普及していないため、オンラインゲームではなく、物理的に集まって戦い、ワザを盗み合うような練習ができたことが、その強さにつながっていると岩尾氏は説明する。

また、オリンピックの男子体操競技においてパリオリンピック開催前までの集計では、「金銀銅を合わせた獲得メダル数の最多国は日本」だと示したうえで、同氏は「かつての日本では、設備の貧弱な体育館で練習をし、技を盗み合って強くなったのだ」と述べた。一方で、旧ソ連や中国では幼少期からナショナルセンターでエリート教育をしてきたが、そこでは皆がライバルなので技を教え合ったりしない。日本のやり方であれば、他の選手は皆仲間であり同好の士であるため、積極的に教え合うのだ。

これは経営でも同じで、ボロボロの工場でも中身が整理され、業務が単純化された超高効率の現場になっていることはあるし、逆に先端のシステムを導入していても、実は業務が複雑化しているだけということも多々ある。

「重要なのは先端的なシステムを使うことではなく、本当に利益につながり、価値創造につながるようにすることです。仕事をまず整理整頓し、その上でさらに人間の限界を超えるためにDXを使うべきなのです」(岩尾氏)

海外で日本式のKaizen(改善)が注目されているように、過去の日本のやり方には優れた点があるのは事実だ。しかし、だからといって過去の日本に戻ろうとするのが正しいわけではない。

「時代は徒競走から借り物競争に変わっているからです」(岩尾氏)

高度成長期の日本は、欧米という明確なゴールを目指してひたすら走る徒競走型だったが、今はゴールも見えないし、そこにたどり着くまでのお題も分からない、いわば借り物競争の時代なのだ。そうなったのは、日本が先進国に仲間入りしたためである。したがって、日本は目指すべき未来を自分たちでつくっていかなければならない。

経営者、従業員に必要な価値創造思考とは

岩尾氏は、DXを進めるためには価値創造思考が必要だと話す。そのためには、経営者は事業創造段階では人間的制約に着目し、収益化段階では収益化の死角に着目することが欠かせない。一方で、従業員であれば、全員が経営者の視線を持ち、AIを部下として育成・活用することが必要になる。

  • 価値創造思考において、経営者と従業員に求められること

経営者が着目すべき人間的制約とは、「人間だからできなかったこと」という意味だ。例えば人間は24時間働けないがAIならできる。また、レンタルビデオ店に行かずともインターネットにつながったテレビでDVDが見られるというNetflixのサービスもこれにあたる。同社の場合、作品に関わる全ての権利者にサインをもらうという契約に必要な業務をAIに任せたことで、このサービスの実現にこぎつけたのだと岩尾氏は説明する。このような人間がやるのが難しいことを事業創造段階で見つけておくことが、経営者にとって価値創造思考につながるのだ。

収益化の死角とは、一般的に考えられる顧客以外の部分だ。そこに喜んでお金を支払う人がいる。例えばテスラのEVはCO2排出量がゼロであるため、他メーカーにその排出権を売るビジネスを展開し、トヨタやフォード、GMなど競争相手を顧客にした。またテレビメーカーは、テレビのリモコンにNetflixやHulu、U-NEXTなどのボタンを配置して見られるようにしたことで、従来はライバルだった動画配信サービスを顧客にして利益を上げている。

一方、従業員についてはAIを部下として考えることが重要だ。例えば将棋の藤井聡太氏は、AIを2つ駆使しながら将棋の研究を行っていると言われており、自分と2つのAIというチームで戦っているからこそ、「より強くなる」と岩尾氏は言う。つまり、従業員もさまざまなAIとチームを組み、文章作成や翻訳など、用途に合わせてAIを選びながら部下としてうまく使っていくことが重要になるのだ。

AIは多様な場面で活用されるだろうが、それでも人間にしかできないことがある。それは複数のAIを利用する契約を結ぶこと、最終的な意思決定の責任をとることだ。そしてもう1つ、AIに対してルールを定めることも人間にしかできないことだ。このほか、仕事の大枠を決める、複数のAIと人間のチームを組む、仕事の成果を人間の視点から評価するといったこともAIは不得意だ。とくに今後は従業員にも経営者の考え方が必要になるため、「人間視点からの評価をすることが全ての人に求められる」と岩尾氏は話した。

これらを踏まえて、DXにあたって求められる思考法とは以下のようになる。

まずAIもDXも手段であって目的ではないことを認識したうえで、既存の仕事から必要不可欠な部分を抽出して仕事を整理する。次に、人間的制約を特定し、それをAIで克服した場合に得られる価値を試算する。最後にプログラマブルに翻訳して自動化するということだ。

価値創造教育は「多人数に浅く」

これからの時代のDXは、誰もが経営者であり、誰もがAIを部下に持っているという発想で取り組む必要があるが、そのためには全員が価値創造の思考を持つことが重要になる。つまり、価値創造教育を多人数に浅く行っていくことが不可欠だ。しかし現在の日本では、「この価値創造の意識が広まっていない」と岩尾氏は指摘する。

それを示すのが、人口1000万人あたりのユニコーン企業数のデータだ。1位はイスラエルで、日本は先進国の中でかなり下位に位置する。さらにイスラエルの貿易金額のうち、1位に該当する“商品”はスタートアップ企業だという。しかし、起業しやすいかどうかを示す起業促進の社会制度・風土の調査結果を見ると、イスラエルは日本と並んで最下位にいる。では日本とイスラエルはどこが違うのか。それは日本が「社会文化規範」が低いのに対し、イスラエルは高いことだと岩尾氏は力を込めた。

  • 起業促進の社会制度・風土の調査における、日本とイスラエルの結果

「イスラエルでは誰もが経営に関わっており、経営は金儲けではなく価値創造だという意識が根付いているのです」(岩尾氏)

同氏によると、過去の日本は広く薄い経営教育が得意だったという。誰もが経営者人材であるとして価値創造教育を広めた結果、改善やQCサークルといった活動も生まれたし、主役は全員だという前提で価値創造からの報酬を比較的平等に配分した。これに対しアメリカは、ビジネススクールや大学院で一部のエリートを育成するという正反対のことを行っていた。岩尾氏は、この根本には価値有限と価値無限の2つのパラダイムがあったと説明する。

価値有限の考え方では、世の中にある価値は有限であるため誰かから奪うしかない。したがって経営者、従業員、株主、顧客、政府等は価値を奪い合う敵同士となる。一方、敗戦後の日本は資源も土地もなかったが、価値無限の考え方によって20年ほどで世界第2位の経済大国になった。

問題はその後だ。80年代以降のアメリカは、日本式経営を学んだ企業などを表彰するマルコム・ボールドリッジ国家品質賞を創設したり、ボストンコンサルティンググループやマッキンゼーが日本式経営を商材として世界に売り出したりするなど、過去の日本の方式に多くを学んでいる。しかし日本は強みであったはずの「価値創造の民主化」を捨て、金儲けに走った。このことを認識して、もう一度価値無限の考え方に戻り、価値創造の意識を広めるべきだと岩尾氏は話した。

最後に同氏は、DXは価値創造が目的であることを改めて強調し、そのヒントになるのが日本式の広く浅い価値創造教育であると語った。

「これからは、品質管理だけではなく価値創造思考が重要になります。経営者でも従業員でも、DX時代、AI時代にはこうした思考法が必要になるのです」(岩尾氏)