小路明善・アサヒグループホールディングス会長「大事なことは、政府も経済界も今後、どういう経済構造をつくるかを国民に示すことだと思います」

「企業価値は規模ではなく、唯一無二の技術を持っているかどうか、そういったものを生み出す人材を持っているかどうか」と小路氏。円安、原料高の厳しい環境下でデフレを脱却するには、高付加価値の商品・サービス・技術をつくり、ディマンドプル型のインフレ経済を目指すことだと小路氏は強調する。オンリーワンの商品・サービスづくりの経営とは─?

デフレ脱却後、その先の目指す社会は?

 ─ 世界は分断・分裂で混乱している世の中ですが、今後日本をどういう経済構造にしていけばいいと考えますか。

 小路 経済はデフレ完全脱却と経済界も政府も言っています。じゃあ30年続いたデフレを脱却した後に、どういう日本の経済構造をつくるのかということには全く触れていないんですね。ただ「デフレ脱却」だけでその先が抜け落ちています。

 目指すべき方向は、高付加価値循環型経済構造です。これをつくっていかなければいけないと思うんですね。

 商品やサービス、さまざまな技術といった、高い付加価値を持った商品サービス技術というものをつくって、市場に投入していくと。

 今までのGDPのボリュームを追ってきた規模の経済から、価値と質の経済に転換して、高付加価値循環型経済構造というものをつくることが、デフレ脱却のまず第一歩です。

 ─ 量から質への転換ということですね。

 小路 はい。さらに言えば、付加価値の高いものにはそれなりの値段を付けるという、ディマンドプル・インフレ経済構造へ転換する。この新付加価値の需要を増やして、その需要によってインフレを起こし収益を取るということなんですね。ですから、高付加価値循環型経済構造で、ディマンドプル・インフレを目指すということをわたしは強く申し上げたい。

 大事なことは、政府も経済界もデフレの後、どういう経済構造を日本でつくるんだと。これをやっぱり国民に示さなくてはいけません。そうすると国民も付加価値の高くて値段も高いものには対価を払うと。値段が高くても、これは自分たちの勤めている企業、あるいは自分たちの自営業、フリーランスも含めて、自分たちの生活の還元につながってくると。こういうふうに国民は理解します。

 値上げがあった後、どうなっていくかの社会の循環を見せないといけないと思うんですね。それが政府も言っているように人への投資につながってきます。

 ─ 国民一人一人に未来像を詳しくイメージさせることが大事だと。

 小路 はい。分配と成長の循環だけでは駄目だと思います。分配と成長で、どういう成長をするのか。それは高付加価値循環型の成長じゃないと駄目だと。また安いものでボリュームを追って成長していくのか。そうしてしまうとまたデフレに戻ってしまうんだと。そういう仕組みをきっちり示していかないといけないということが一つ言えると思うんですね。

 そういった経済構造をつくる転換点が今年、来年だと思っているんですね。これを逃してしまえば、また場合によってはデフレに戻るかもしれません。いま一部安い商品が出てきたり、期間限定は構わないですがそれが常態化して結局、節約志向に火を付けて高付加価値のものが見向きされなくなるというと、これではまたデフレになります。デフレになれば言うまでもなく自分たちの給与も上がらない、生活の向上もできない。そういうことを国民全体に、分かりやすく示していくということが非常に大事なことだと思います。

 ─ 日本経済は円安が長らく続いており、物価高の中で実質賃金が23カ月マイナス状態の中で、世界は分断分裂によって、政治も問題が山積みです。国民生活に根差した食品・飲食業界を牽引するアサヒグループとして、今後の日本の針路をどう見ていますか。

 小路 本来は政治が国の行く末を決める前輪で、経済が後輪であると思うんですね。前輪がしっかりしていないので経済がどっちに向かって進んでいったらいいのかある種示されていない状態が今の状況です。日本の舵取りということを考えたときに政治は非常に重要です。ビジョンを国民に示せていない今の政治に対する不信が、今の一番大きな問題だと思うんです。

 ですから6月から減税が始まりましたが、去年その減税に対してのアンケートを某メディアが取っても、6割方が評価していないという結果が出ています。足元の減税は1回切りで実質賃金がマイナスになっています。

 国民が何に不満を持っているかというと、自分たちの次の世代、例えば10代、20代の若い人、あるいは子どもを育てている世代が、今の日本が将来どうなっていくのか全く読めないということに対する不安だと思います。

 日本の将来をどうしていくのかという国家ビジョンを示せない政治への不満と不信と期待のなさ、これがわたしはいま日本で一番問題になっている点だと感じています。国家ビジョンというものを示していかなければ進む道の見通しが立たず、国民はずっと不安のままです。

 ─ 中長期的な国家としての構想がない状態が続いていますね。

 小路 そうなんです。日本人の間で所得格差は広がっていますが、貧しい人が急激に増えているわけでもない。失業率が高いわけでも、教育水準が低いわけでもない。いわゆるこのままいけば、ゆでガエル状態に日本が陥っていくということだと思うんですね。

 ですから日本の行く末を、経済面含めて日本をどういう国にしていきたいのか。それから日本社会はどういう社会を目指していくのか。政治はどういう方向を目指していくのか。

 さらに人々の生活は2040年問題というのがいま出ていますけども、例えば15年後に向けてどういう国民生活をしていくのか。昔、池田内閣が所得倍増といったように、そこまでは言えないにしても、それに代わるようなことで言えるようなことはあると思うんですよ。

 社会保障にしても今のままでいったら破綻してしまいます。そういうことに対しても何も示していないと。そういったことを考えていかないといけないと思います。

企業価値は規模ではなく唯一無二であるかどうか

 ─ 数で言えば日本は中小企業が99%を占めるわけですが、ここの生産性向上はどう考えていけばいいですか。

 小路 中小企業も一つは、人材から生み出す技術とそれからデジタル化、AI活用などによって、オンリーワンの技術をどうつくっていくかを本気で考えなければいけないと思うんですね。このオンリーワンの技術というのは、企業規模の大小はあまり関係ありません。中小企業でも光る技術を持っているところはたくさんありますよね。

 ですから業界の中で何番目になるかということよりも、いかにして世界と日本で唯一無二の技術をつくるかというところにやはり目を向けていかないと。そのためには、さっき申し上げたAI活用とかデジタル化だとか、それから人への投資、これを研究開発投資も含めてどうしていくかということを、多少時間をかけてやっていかないと、規模が大きいところが生き残って、規模の小さいところは生き残らないと。こういう規模の経済に引き続きなってしまうんです。

 ─ 厳しい中で生き抜くには得意技が必要ということですね。それから賃上げについてはどう見ていますか。

 小路 やはり中小企業の労働分配率は80パーセント近くで、賃上げ分の支払能力は低いのが実態です。今年の賃上げは人手集めのために無理して出しているという状況が大半かと思います。まずはその支払能力を得るための利益を、会社としてどう確保するかということになってくると思います。

 企業価値は規模ではなく、高付加価値で光るもの、唯一無二のものを持っているかどうか。その状態に持っていくためには、そういったものを生み出す人材や技術をどうつくっていくか。そこに目を向けた中小企業が生き残っていくし、目を向けなかった会社は、大企業でもすぐに淘汰されていくと思っています。

 人口減少が激しくなっていく中で、生産労働人口も減っています。70歳まで定年延長する企業も出てきていますし、それから70歳になっても健康で働きたい人は働きたいというニーズが高まってきていますよね。仮に70歳を過ぎても、いろいろな学びを持っていると、例えば子どもたちに教える先生というものは年関係なくできます。

 茨城県の教育委員会では、民間の校長をどんどん採用して、中高一貫校をつくったりしているんですね。その中高一貫校の校長は民間から募集をすると、倍率が300倍に近い応募があるんです。

 実はこの間、その民間出身の、電通や花王のDX戦略部長を辞めて校長になった方にわたしは会ってきたんですが、やはり素晴らしい方々でした。その方たちはまだ40代から50代ですが、教えるということは年関係なく自分の経験と生涯学習で学んできたことを、そのまま子どもたちに教えることができます。

 ─ 社会で経験してきたことを伝えることで役に立てると。

 小路 はい。それが自分自身の成長にもなります。これからの日本はイノベーションで社会や経済をつくりあげていかないといけないとなると、未完成でもいいから大きな器の人間をつくっていかないといけません。

 これはドイツ語学者の橋本文夫さんという方が話していた言葉なのですが、「教育というのは、小さな完成された器の人間をつくることではなく、大きな器の未完成の人間をつくることである」と。その大きな器の人間がたくさん競い合うことで、そこからイノベーションが生まれる多様性のある社会ができていくと思うんですね。

 オーストリアの経済学者シュンペーターが言うように、イノベーションというのは新結合ということなので、大きな器の人間が議論し合ってぶつかり合って、意見を出し合って、そして新しいものをつくり出していくということ。そういう日本社会になっていけば日本の器も大きくなると思います。

エンゲージメントは居心地の良さではない

 ─ 企業の価値を高めるためにはエンゲージメントが大事だということもよく言われます。これはどう考えますか。

 小路 このエンゲージメントもアジアの国々は非常に高くなっていますね。やっぱり自分たちの生活がよくなる、国の発展が自分たちの生活がよくなることにつながると。

 それから海外からも自分たちの国が注目されて、投資もされていくと。そうするとこのエンゲージメントが高くなり、エンゲージメントというのは先ほど言った自発的貢献意欲が高くなり、その自発的貢献意欲、何かに貢献しようという意欲が高くなる。自分の企業とか自分の国に貢献していこうという意欲が、国の発展とか企業の発展につながっていくんですね。

 ところがよく言う従業員満足度というのはそうではなくて、居心地のよさなんですよね。これは実は誤解してしまうのですが、従業員満足度が高いとエンゲージメントが高いと思ってしまうんです。従業員満足度というのは、居心地のよさ、人間関係があまりぎくしゃくせず、あまり厳しい意見交換がない状態だと思うんです。だから人間関係もなあなあな状態。これが従業員満足度です。

 従業員満足度が高いというのは、業績アップ、国の成長に貢献しません。厳しい言い方かもしれませんが、これは事実です。大事なのは従業員満足度よりエンゲージメントが高いかどうかです。

 個人の成長が企業の成長につながり、企業の成長が国の成長につながるということです。