今や上場企業の7割が生成AIを自社のシステムと連携させて使っているが、思うように成果に結びつけられていない場合も多い。そう語るのは博報堂DYホールディングス 執行役員/Chief AI Officerで、同社が設立したHuman-Centered AI Instituteの代表でもある森正弥氏だ。同氏はこのような現状を「人間中心のAIという考え方が抜けているからではないか」と指摘する。

8月22~23日に開催された「TECH+EXPO 2024 Summer for データ活用」に同氏が登壇。これまでのAI技術のトレンドの振り返りから、この先の予想までを同社の事例を交えて紹介し、人間中心のAIに求められることについて解説した。

  • 博報堂DYホールディングス 執行役員/Chief AI Officer、Human-Centered AI Institute 代表の森正弥氏

人間中心のAIに求められるものとは

講演冒頭で森氏は、人間中心のAIとは、従来のAI活用やAIガバナンスのアプローチに人間を中心として使う考え方を導入したものだと説明した。従来のアプローチには、透明性や説明責任、アウトプットの公平性、信頼性のほか、人間参加型開発であることや、データガバナンスが整備されていることが求められてきた。人間中心のAIではこれらに加え、AIを自動化の道具とするのではなく人間がやりたいことを高めることを目的とする人間中心の設計、ユーザーインタフェイスなどの人間とAIのインタラクション、さらにはAIの利用者やその先の生活者も含めた社会がAIの開発、管理、活用に参画するというステークホルダーエンゲージメントも考慮していく必要があるという。

「これらを含めることで、人間中心のAIという概念が成立します」(森氏)

  • 人間中心のAIの考え方

AI技術のトレンドの変遷

AI技術には、実践的であるものと、長期的な研究であるアカデミア的なものがあり、これらは相互に影響し合って発展が進んでいる。例えば研究から生まれた生成AIについては、現場での実践を通して、その活用法であるプロンプトエンジニアリングやRAG(Retrieval-augmented Generation)が発見され、アカデミアにその手法がフィードバックされ、研究がさらに進展している。

その一方で、プロセス志向からエクスペリエンス志向へのシフトという動きが出てきているという見方もできる。情報の処理や業務の効率化などにAIを使おうというのがプロセス志向である。これに対し、AIを用いた際の体験をどう豊かにしていくかというのがエクスペリエンス志向だ。具体的には、生成AIに音声合成やメタバースのアバター技術を組み合わせてデジタルヒューマンをつくり、顧客支援に使うといったように、他の技術と組み合わせることでAIを次の次元に持っていこうという試みが行われている。

これを踏まえてAI技術のトレンドを見ると、研究と実践が相互に影響しながら、新たな体験の創出への道筋を模索しながら進んできている。まずアカデミア的でプロセス志向の領域で、ディープラーニングとビッグデータを掛け合わせた「Generative AI」が誕生し、次により実践的な「Enterprise AI」の活用が進んだ。現在はさらに実践的でエクスペリエンス志向も併せ持つ「Trustworthy AI」が中心で、そこからアカデミア的な方向へシフトする「Human-AI Interaction」の領域にも入りつつある。さらにその先には、新しいAI技術のブレークスルーが期待される「New World」領域がある。

  • AIの5つの領域

Enterprise AI成功のカギは人間中心のアプローチ

すでに多くの企業が取り組んでいるのが、Generative AIを少し実践的な方向に進めたEnterprise AIだ。RAGの活用が進んでいる企業も多い。RAGではLLMに送った質問に対し、AIが関連のある文書を検索してその内容を追加し、プロンプトを拡張してからLLMに送ることで、精度の高い回答が得られる。さらにさまざまなシステムと生成AIを連携したポータルの開発も進んでいる。例えば複数の業務システムをAPIで疎結合し、それを生成AIがエージェントのような振る舞いで使えるようにするのがその一例で、これにより総務の職員でも労務や人事などに業務の幅を広げることができる。さらにRPAや他システムと組み合わせて、多様な業務プロセスをここからスタートさせるようにすることも可能だ。

ただし、業務プロセスの中のある部分を生成AIで自動化する試みは、ほとんどの企業でうまくいっていないと森氏は言う。その大きな理由は、機械学習ベースである現代のAIは確率統計での処理が前提となっており、100パーセントの正解を出すわけではないためだ。

「そもそも業務の一部分をAIで自動化しようというのが間違っています。業務領域を広げる、生産性を向上させるなど、人間のやりたいことを広げるために使わなければならない。これこそが人間中心のアプローチです」(森氏)

そういった考えや発想は博報堂DYグループの「生活者発想」から自然に導かれるところでもあり、同グループではさまざまな開発が人間中心のアプローチで進められることが多いという。例として森氏が挙げたのは、博報堂テクノロジーズが開発している「マルチエージェントブレストAI」である。物流や広報、製造など商品開発の各フェーズに必要な知識をAIに与えて仮想専門家とし、商品企画やディスカッションをレビューさせたり、ブレストに参加させたりすることで、GOTOマーケットのプロセスを高品質化しようという試みだ。専門家AIを議論に参加させることで、人間の発想や企画もより具体的に詳細を検討でき、商品開発での差し戻しを削減でき、市場投入までのリードタイムも短縮可能になる。

技術開発が進むHuman-AI Interaction

Human-AI Interactionは、今まさに技術開発が進んでいる領域だ。例えばAIとVR/XRとの掛け合わせや、AIによるデジタルヒューマンなど、人間とAIの新しいインタラクションを模索する取り組みが進められている。

この領域で同社が取り組んでいるのが「バーチャル生活者調査」である。過去数十年に渡る生活者調査で取得してきた膨大なデータから、基本プロフィール、価値観、生活行動、消費行動などの情報を生成AIに読み込ませて構築した、7000タイプのバーチャル生活者に対して調査を行うものだ。例えば商品企画、キャンペーンについてバーチャル生活者にインタビューすれば、リアルな生活者に聞く前に検討することができるし、ペルソナ同士のディスカッションを見れば生活者の考えもより深く理解できるという。

この領域はBtoBにおいても可能性が広がっている。企業システムとAIの連携はEnterprise AIで実現しているが、そこに音声やアバターを使ったコミュニケーションを追加して業務を効果的なものにすることもできる。例えば製造業における機器メンテナンスでは、現状ではフィールドワーカーが機器の履歴やトラブルシューティングを電話でスタッフに確認しているが、これは生成AIが肩代わりできる。そしてそのやり取りはデジタル化されているため、作業日報を手作業で書く必要がないし、設備のデジタルツインも自動的に更新できる。フィールドワーカーはメンテナンス業務により専念したり、現場でのコミュニケーションにより多くの時間を割いたりすることが可能になる。

「このような未来が見えているのが、Human-AI Interactionの領域です」(森氏)

LLMに人間の知恵を反映させることが人間中心のAIにつながる

さらにその先に来るとされているのがNew Worldで、世界モデル(World Models)の研究が進んでいる。これは簡単に言えばAIに想像力を持たせる技術のことで、AIが何手か先を読むことができるようになる。インプットに対してそのレスポンスならどうなるかを考え、それを踏まえてどんなレスポンスが適正なのかまで考えて回答する。

「先を読んだアウトプットやオプションが提示されれば、それに呼応して人間もその先を読んだ指示をAIに与えるようになる。つまり、人間の能力、創造性も高められることにつながります」(森氏)

最後に森氏は、現在の主流であるTrustworthy AIについて、信用できるAIをどうつくるかが課題だと話した。それを解決するには、AIをブラックボックスからホワイトボックス化するとともに、確率的プログラミング(Probabilistic Programming)の活用などによって人間の考えや洞察を反映させることが重要になる。そうすれば、今のLLMにできないことも可能になるだろう。

「こうしたことを組み合わせてLLMを進化させていけば、人間中心のAIが誕生することになると考えています」(森氏)