東京大学総長・藤井輝夫「地球全体で知を共有し、共に知を生み出す。地球規模の課題を解決していきたい」

「大学は世界中のアカデミアの繋がりを活用し必要な知恵を持ち寄って、解決のために動いていくという大きな役割を担っている」─。東京大学総長の藤井輝夫氏は大学の役割をこう語る。世界規模でプラネタリーヘルス(人も含めた地球環境の健康)という考えが広がる中、産学協創で地球規模の課題の解決を果たそうと動き出した。東京大学は2024年度末開業予定のTAKANAWA GATEWAY CITYにプラネタリーヘルスをテーマにした「東京大学 GATEWAY Campus」を開設する予定だ。

世界から人が集まる場所へ

 ─ 総長に就任されて3年経ちました。国内では人口減、世界では環境問題などさまざまな課題がある中で、大学の役割や使命をどう考えますか。

 藤井 現在の世界情勢や地球環境問題は、就任時よりも、より一層厳しいものになってきました。サステイナビリティの観点からも、各国のグローバルな協力が必要だという状況です。その後ロシアによるウクライナ侵攻が起きて、エネルギーや食料の危機が取り沙汰され、イスラエル・ハマスの戦争における軍事的な動きや米中の対立が、社会経済にも大きな影響を及ぼすようなことになっています。

 これらの課題に対し、大学は即時的に解決策を出せるわけではないかもしれませんが、世界中のアカデミア同士の繋がりを活用し必要な知恵を持ち寄って、解決のために動く大きな役割を担っているのではないかと思います。

 ─ 各国からの知の提供で世界の分断を繋ぐ役割だと。

 藤井 ええ。またそれだけでなく、大学という場所やそこで生み出される学知が、人と人、あるいは組織と組織を繋いでいくことが必要です。人類全体が知を共有し、共に必要な知を生み出していくことも重要だと考えています。

 ─ その中で東京大学は2021年に「UTokyo Compass」という基本方針をつくられました。現在の進捗はいかがですか。

 藤井 「UTokyo Compass」には3つのコアバリューがあります。その1つが「対話から創造へ」です。アカデミアの繋がりだけでなく、産業界や大学外の皆さんを含めた対話を通して、組織と組織、人と人を繋ぎ、人類社会全体の課題に取り組んでいくことです。さまざまな人との対話により、学問の高みを目指すことができます。

 また、世界の課題解決に資するためには、多様な観点や見方を大事にしなければなりません。ですから、「多様性と包摂性」は極めて重要で、大学の構成員も多様になっていくべきだと考えています。「世界の誰もが来たくなる大学」をつくり、いろいろな人たちに来てもらいたい。こういったコアバリューの共有はかなり進んできたと受け止めています。

 特に「多様性と包摂性」と「世界の誰もが来たくなる大学」の観点で言うと、大きな流れとして、グローバル化とD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の推進があります。

 世界から学生に来て学んでもらうには、英語で学べる機会の充実が非常に重要で、グローバル教育センター(GlobE)を昨年4月に設立し、英語による授業科目を増やしました。昨年度は31科目から始めて、今年度は秋学期の開講予定を含めて約70科目まで増加しています。

 UTokyo Global Unit Coursesという海外の学生向けに英語で教える短期受入プログラムも実施しています。以前はオンラインでしたが、昨年から対面でも実施し、世界から学生が約300名受講しています。

 それらと並行して、2022年6月、「東京大学ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を発出し、毎年キャンペーンを実施しています。また、「UTokyo男女+協働改革#WeChange」という女性リーダー育成に向けた施策では、女性教員を6年間で約300名雇用することを目指しています。

 ─ 今現在女性教員はどれくらいの数ですか。

 藤井 2024年時点の女性教員比率は約18パーセントですが、将来的には25パーセントまで上げたいと思っています。

 今年4月には多様性包摂共創センター(IncluDE)を設立し、従来の男女共同参画とバリアフリー支援のセクションを統合して、D&Iの研究と実践を行っています。

 また、5月から「#言葉の逆風」プロジェクトを実施しています。「なぜ東大には女性が少ないのか」という問いを学内に掲出し、「言葉」から来る要因を可視化し公開することで、大学に関わるすべての人と考えるきっかけをつくりました。

大学の経営力を磨く

 ─ これまでの変革に手応えは感じていますか。

 藤井 今申し上げたD&Iの方向性についてはかなり具体的に進んできたと思います。このほかに「経営力の確立」を軸として変革を進めています。大学が自ら推進したい事業を展開できるようにし、自ら学問の裾野を広げていく力を持つ。現在の補助金事業に頼る財務構造ではそれが難しいのです。

 ご存じのように補助金による事業は数年で消費し、その後は自走が求められます。

 そもそも国から措置される基盤的経費である運営費交付金が増えない中で、新しい事業を始めても長期継続することができず、補助金は単年度会計の縛りがあり、突発的な事象への対応が難しいという難点があります。

 例えば、新型コロナウイルス感染症が広がり、ワクチンをすぐ作りたいと思っても、即座の対応はできませんでした。しかし世界を見ると、自力で事業を展開できるだけの資金を有する大学はすぐに挑戦できたわけです。

 ワクチンを開発するには数十億円を用意しないと臨床試験には到底至りません。その規模の初期投資を自力でできる力と、長期的に人員と資金を確保してプロジェクトを継続する力の両方を持つ必要があります。

 機動的な大学経営を実現するためには大学独自の基金が必要ですし、その基金の元本を使ってしまうのではなく運用して、その運用益を実際の事業の基盤にしなければ続かないのです。

 欧米の有力大学のほとんどはこの仕組みになっていますが、日本ではなかなかエンダウメント(独自基金)型の経営が確立できていません。本学は従来の補助金型の経営からエンダウメント型の経営への移行を目指しています。

 ─ 今、基金、運用益はどれくらいありますか。

 藤井 高度運用の額は今400億円で、次年度は500億円くらいになります。もともとは110億円くらいあったところからこれだけ増えています。

 そもそも国立大学は、積極的な運用が認められておらず、国債等を買うくらいしか認められていませんでした。数年前に指定国立大学法人というカテゴリーの認定を受けると運用して良いということになりました。個別株以外は買えるということになりましたので、その高度運用を始めました。

 今は高度運用の枠を広げ運用に回す金額を増やしています。

 ─ ここには産業界からの寄付も含まれますか。

 藤井 はい。最初は三井不動産様からエンダウメント型の寄付をいただきました。去年は松本大さん(マネックスグループ取締役会議長兼代表執行役会長)からのご寄付をもとに、東京大学初となるエンダウメント型研究組織として応用資本市場研究センターを設置しました。

知とスタートアップ企業のタッグを強化

 ─ 日本再生に起業家の役割も大事ですが、東京大学はスタートアップへの支援にも力を入れていますね。

 藤井 約20年前から支援に力を入れてきました。ただ改めて感じるのは、日本のスタートアップ企業は全体を見渡してもグローバル展開が弱い。よく日本はユニコーン企業が少ないと言われますが、やはり世界と比較するとスケール感が小さい。

 この課題を解決していくために3つの機能を強化したいと考えています。1つ目は、グローバルに進出し大きなマーケットを相手にすることです。日本国内のグロースフェーズの出資が少ないので、東京大学が持っているスタートアップエコシステムを、アメリカあるいは東南アジア、ヨーロッパなどのエコシステムに繋いでいくことも重要だと考えています。いわばスタートアップのグローバル化です。

 具体的には例えば、2023年5月には米国ケンブリッジ・イノベーション・センターに出向き、子会社である東京大学協創プラットフォーム開発と共にピッチイベントを開催しました。

 また、東京医科歯科大学、京都大学、東京大学協創プラットフォーム開発などと共に、「WE AT」(WELL-BEING ECONOMY ACCELERATOR TOKYO)という一般社団法人を設立しました。シンガポールのVertex GroupやTemasek Foundationと連携して、社会課題の解決に資する技術を持ったスタートアップの発掘やピッチイベントを行う予定です。

 2つ目は、東京大学が持つ最先端のテクノロジーを使った、ディープテックの起業支援の強化です。

 3つ目は社会起業家の育成です。例えば、2023年12月には一般社団法人Soilと社会起業ワークショップと助成プログラムの最終ピッチを共催し、30名ほど参加したうちの6件(7名)が支援金100万円と3カ月間のメンタリングの提供を受けました。

 ─ 東大の学生も起業を目指す人が増えていますね。

 藤井 そうですね。それはもう相当増えています。

 ヨーロッパとの連携では、感染症研究で有名なフランスのパスツール研究所とも連携協力を進めています。パスツール研究所が設置予定の日本拠点の傘下に「Planetary Health Innovation Center」を設け、グローバルヘルス、ライフサイエンスなどの幅広い分野で国際共同研究などを行います。さらにはそれをイノベーションに繋げ、スタートアップを生み出す機能を合わせ持つ場を作る準備を今進めています。

プラネタリーヘルスを!

 ─ 今後産学協創はどういう考えで進めていきますか。

 藤井 今、申し上げたプラネタリーヘルスというテーマで言いますと、昨年JR東日本様と100年間の産学協創協定を結びました。2024年度末開業予定のTAKANAWA GATEWAY CITYに「東京大学GATEWAY Campus」を開設し、プラネタリーヘルスの創出を目的とした協創プロジェクト「Planetary Health Design Laboratory」を立ち上げます。先ほど紹介したパスツール研究所との連携とも連動します。

「プラネタリーヘルス」とは、人の経済活動が、健康や都市環境、地球上の生物・自然に与える影響を分析し、「人・街・地球」のすべてがバランスよく良好に保たれるようなくらしづくりを目指す考えです。

 2022年に開かれた「Stockholm+50」という国際環境会議でも、プラネタリーヘルスが議題になりました。人間が住んでいる環境だけでなく、人も含めた地球環境全体の健康を考える必要があるという理解が広がってきていると思います。

 プラネタリーヘルスを皆で推進しようと言っている時でも、紛争の問題が起こると、結局立場の弱い国や地域にしわ寄せが生じます。例えばグローバルサウスの国々で環境問題が放置されることもありますし、経済制裁が毎年なされれば、食料やエネルギーが行き渡らない問題も発生します。それからパンデミックに対するケア、例えばワクチンの供給が行き渡らない事態も考えられます。そういったことをなくしていくように人類全体として動いていかなければいけません。

 ─ 具体的な取り組みは?

 藤井 JR東日本様とのTAKANAWA GATEWAY CITYでの活動に、魚食のリデザイン、個々人のコンディションに合わせた食のパーソナル化というテーマでマルハニチロ様にも参加していただくことになりました。

 それから金融業界でも、三菱UFJフィナンシャル・グループや大和証券グループ本社との間でそれぞれパートナーシップ協定を締結しています。

 ─ 日本の産業界との繋がりを基盤に地球規模の課題解決に繋げていくと。

 藤井 そうですね。課題解決に向けて次の打ち手としてどんなことをやっていくかを、各企業様と一緒に考えましょうという発想です。

 ─ 最後に、日本の潜在力はまだまだあると思いますか。

 藤井 もちろんあると私は思っています。しかし失われた30年といわれている中で、これまで変えなければいけないと考えられてきた旧来のシステムを、変えられていない。男女共同参画など多様性の課題や、新卒一括採用・長期雇用や年功賃金の雇用慣行により、雇用の流動性やキャリアの柔軟性が生じにくいという問題もあります。

 日本の人的なポテンシャルを最大限に活かすために、個々人が自分のキャリアを自分で作り上げられる社会を、企業の方も含めて一緒に考えていかなければならないと思っています。