富士通は8月26日、クロスインダストリーで社会課題解決を目指す事業ブランド「Fujitsu Uvance」の「Healthy Living」において、ドラッグ・ロスの課題解決に向けた取り組みを開始することを発表した。同社は製薬企業や医療機関などと共に治験領域で医療データを活用した新たなエコシステムを構築することで、国際共同治験を日本へ誘致する取り組みを開始する。

2023年3月時点で、欧米では承認されているものの日本では承認されていない医薬品が143品目に上る。このうち国内での開発が未着手の医薬品は86品目あり、そもそも製薬企業が開発しない、ドラッグ・ロスの問題が深刻化している。

富士通執行役員EVPの大塚尚子氏は「新薬へのアクセスが断たれた患者は、新薬を選ぶかどうかすら選択できない。これはどれだけ不合理なことだろうか。当社はこの問題にデータインテリジェンスでアプローチする。医療データの収集や加工を標準化し、治療プロセスをデジタル化することで治験環境を整備し、日本で実施される国際共同治験数を何倍にも増やしたい。今回立ち上げる新事業によって、新薬上市の短期化と治療オプションの多様化を目指していく」と強く訴えかけた。

  • 富士通 執行役員 EVP グローバルソリューション(ソーシャルソリューション&テクノロジーサービス)大塚尚子氏

    富士通 執行役員 EVP グローバルソリューション(ソーシャルソリューション&テクノロジーサービス)大塚尚子氏

ドラッグ・ロスの発生要因

新薬の開発は、基礎研究や非臨床試験から治験を経て製造承認へとプロセスが進められる。特に世界複数カ国で実施される治験は国際共同治験と呼ばれ、日本で速やかに医薬品製造承認を取得するためには、国内での治験実施が求められる。

しかし、日本の薬価抑制策や、日本特有の地理的な医療環境から、治験計画に必要な症例収集にコストや時間を要するため、国際共同治験の対象地域から日本が除外される例が増えている。その結果として、日本で実施される国際共同治験数は他国と比較して23位、アジアでも6位となっている。

治験のプロセスは、計画と実施にそれぞれ分類できる。このうち、同社は計画段階を効率化するソリューションを展開する。具体的には、治験領域のデジタルプラットフォームの提供と、治験関連文書作成の支援を行う。

Paradigmとのパートナーシップにより治験プラットフォームを展開

富士通は2024年7月に、治験プラットフォームを展開する米国スタートアップのParadigm Health(以下、Paradigm、パラダイム)と戦略的パートナーシップ契約を締結した。富士通の医療データ利活用基盤「Healthy Living Platform」およびAIサービス「Fujitsu Kozuchi」とParadigmの治験プラットフォームを連携し、治験計画業務の効率化を図る。

治験計画の作成に関わる従来の手順は以下の通りとなる。まず、製薬企業が治験計画を作成し、これに基づいてCRO(Contract Research Organization:医薬品開発業務受託機関)が条件に適した医療機関を選定する。その後、医療機関が患者を募集して治験を開始する。

しかし、こうした一方通行の仕組みでは製薬企業は医療機関側の患者募集の状況などを詳細に把握できないため、うまく条件に適した患者が見つからない場合には、治験計画の見直しなど、手戻りが発生する要因となる。

  • 従来の治験実施までの流れ

    従来の治験実施までの流れ

これに対し、Paradigmが提供する治験プラットフォームは、医療機関のデータを収集して治験計画の策定にも活用するなど、一方通行ではない実現可能性の高い計画の策定に貢献する。

富士通がHealthy Living Platformを通じて各医療機関から収集した診療データや臨床データをLLM(Large Language Models:大規模言語モデル)によって加工し、Paradigmに提供する。Paradigmは治験プラットフォーム上でこれらのデータを分析して治験の実施に必要なインサイトを製薬企業に提供することで、治験計画の効率的な策定が見込めるとのことだ。

  • 治験プラットフォームを活用した流れの例

    治験プラットフォームを活用した流れの例

ParadigmのCEOを務めるKent Thoelke(ケント・トールケ)氏は「富士通と当社のパートナーシップによって、治験を実施するためのデータを収集するプロセス効率を最大化し、試験の実施に必要な労力を最小限に抑えられる。これにより、日本の医師や医療機関はコストや労力を増やすことなく、より多くの臨床試験に参加できるようになるだろう。日本全国の医療機関に治験プラットフォームを展開し、日本におけるドラッグ・ロス解消に貢献したい。単なるプラットフォームの展開だけでなく、日本の患者の健康と福祉の向上に資する新たなソリューションを共同で開発できることを嬉しく思う」と、富士通との協業について語った。

  • Paradigm Health CEO Kent Thoelke氏

    Paradigm Health CEO Kent Thoelke氏

国がん東病院 後藤先生「個別化医療への貢献にも期待」

国立がん研究センター東病院(以下、国がん東)は早期から富士通の取り組みに賛同し、協力しているという。副院長で呼吸器内科長の後藤功一氏の主導の下で、肺がん領域において産学連携でのがんゲノムスクリーニングプロジェクト(LC-SCRUM-Asia)に取り組んでいる。今後、富士通とParadigmによるソリューションを導入し、さらなる医療機関の効率化を図る予定だ。

後藤氏は専門分野である肺がんを例に、治験と個別化医療の重要性について説明した。以前の肺がんの治療選択は、がんの組織型による病理診断が基本とされていた。小細胞肺がんまたは非小細胞肺がんによって使用する薬剤が異なるといった具合だ。

  • 以前の治療選択のイメージ

    以前の治療選択のイメージ

しかし最近は、治療の選択肢が増えた。非小細胞肺がんにおいては複数の原因遺伝子が同定され、それに適した分子標的治療薬が選択できるようになった。しかし、各遺伝子変異が見られる割合は低く、それぞれ3%以下だ。そこで約10年前に立ち上がったのが「LC-SCRUM-Asia」である。同プロジェクトは、患者に無償で遺伝子スクリーニングの機会を提供し、希少がんをスクリーニングしている。

  • 個別化医療のイメージ

    個別化医療のイメージ

  • それぞれの変異に該当するのはわずか

    それぞれの変異に該当するのはわずか

これまでに、約2万例の患者がこの取り組みに登録した。これにより、希少がんの患者と治験のマッチングに成功し、国際共同治験の国内実施に結び付けてきた。直近では、RET融合遺伝子陽性やROS1融合遺伝子陽性肺がんの国際共同治験を実施している。いずれも肺がんの約1~2%とされる。

後藤氏は「日本というアジアの極東の小さな国がこれらの国際共同治験に参加できたのは、LC-SCRUM-Asiaという基盤があったからこそ。従来の個別化医療では遺伝子解析の結果に基づいたレポーティングを研究事務局が手作業で実施していた。しかし今後は、遺伝子解析の結果を富士通およびParadigmのソリューションによってシステム化できるようになる。個別化医療の開発を進めるために、両者と連携しながらLC-SCRUMの基盤を拡大していきたい」と期待を述べていた。

  • 国立がん研究センター東病院 副院長 後藤功一氏

    国立がん研究センター東病院 副院長 後藤功一氏

治験特化LLM搭載の新オファリング「Patient-centric Clinical Trials」

治験文書の作成においては、現在も手作業で作成や管理がされている場合が多い。しかし、製薬企業が新薬開発のために作成する文書は数百にも及び、治験開始までに必要なドキュメントの作成期間は約6カ月とされる。

これに対し同社は、治験業務に特化したLLMを活用して、法令規制に則った表記と形式でドキュメントを自動作成可能な新オファリングを、Fujitsu UvanceのHealthy LivingからPatient-centric Clinical Trialsとして提供する。

先行して導入した検証の結果、文書作成の約80%の自動化に成功したという。これにより、富士通は文書作成の作業時間全体を50%削減できると試算している。新オファリングはこれまで熟練者が実施していた情報の検索や要約、法規制に則った表記や翻訳といった業務を支援する。

  • 記者説明会

    記者説明会の様子