チャーム・ケア・コーポレーション会長兼社長・下村隆彦が語る「私が60歳で介護事業会社を起業した理由」

「私にはもう1つ、使命があるのではないかと思ったんです」と振り返るのは介護事業を手掛けるチャーム・ケア・コーポレーション会長兼社長の下村隆彦氏。30歳で祖父から建設会社を引き継ぎ、安定基盤を築いたが、60歳の時に一念発起して介護事業を開始。会社を上場にまで導いた。今や首都圏でも大手デベロッパーからの依頼を受けて有料老人ホームの運営を続ける下村氏の経営哲学とは─。

要介護にならないために認知症の予防が必要

 ─ チャーム・ケア・コーポレーションは首都圏・近畿圏で有料老人ホームを運営していますね。今回の取材はグループの中でも高品質のサービスを提供するシリーズの「チャームプレミアグラン御殿山弐番館」で行っていますが、設備が整っていますね。

 下村 当社ではお客様のニーズに合わせて「チャーム」、「チャームスイート」、「チャームプレミア」、「チャームプレミアグラン」という4つのシリーズを運営しています。

 東京・品川区で運営している「チャームプレミアグラン御殿山弐番館」は、ソニー資料館の跡地に建っています。この土地での運営については、大手不動産デベロッパーである三菱地所レジデンスさんからのお声がけによるものです。この立地で「ぜひ、やりませんか」と言っていただけたことは、当社のブランドを一段引き上げることにつながったのではないかと思います。

 ─ 伝統ある企業の土地を活用したということですね。

 下村 私自身は西日本の出身なので、この土地の持つ意味をすぐには理解できませんでした。ただ、場所を見て一瞬で「これはすごい」と体が震えましたね。いい土地でも、周辺の建物の雰囲気で評価されない場合もありますが、御殿山は周囲の建物も含めて素晴らしい立地です。

 ─ オープンが2022年11月ですから、コロナ前から準備してきたということですね。

 下村 そうです。工事は、前の建築物の解体から始めるため、2年以上かかりますからね。この施設で一番広い部屋は約80平米と余裕のある造りになっています。入居されている方の中には80代で会社を経営されていている方もおられて、毎朝ここから出社しておられます。「何かご不満はありませんか?」とお聞きしたら、「ありません。よくやってもらっています」と言っていただきました。

 ─ 高齢になっても元気に働いている方がおられるのは世の中が明るくなりますね。

 下村 最も大事なのは要介護状態にならないことです。そのためには認知症の予防が必要です。認知症になると一気に要介護状態になりますから。そのためにはまず自分の足で歩くことです。車椅子に乗るようになると、これも要介護になります。

 ですから、できるだけ長く仕事に携わり、引退してもいろいろと本を読むなど勉強をする。そしていろいろな人と会って会話をし、コミュニケーションを取ることも認知症の予防につながるとされています。

 今後、介護を受けたくても受けられない「介護難民」の時代が来る恐れがあります。回避のためにも平均寿命ではなく健康寿命を伸ばす必要があります。

 ─ 25年には高齢者のうち約5人に1人が認知症になるという予想もありますから、非常に重要な課題ですね。

 下村 ええ。やはり予防に向けて努力することが大事なのだと思います。私はもうすぐ81歳になりますが、こうやって第一線で仕事をさせてもらっていることについては、本当にありがたいと思っています。

 意識しているのは、姿形の若さではなく、考え方が若くないと駄目だということです。絶えず新しい発想を取り入れようとしています。その中で、変わらないモットーは「常不信」です。その意味は「常識を信じるな」ということです。

 いろいろな方の話をお聞きする中で、それを鵜呑みにしないこと。どこか頭の片隅で「本当かな?」と思うことが大事だと思っています。絶えず、いろいろな物事に対して疑問を抱き、頭の中で検証する。それを続けることが重要だと思うんです。

30歳で建設会社社長

バブル崩壊を乗り切る

 ─ 若い頃から、そういう考えを持っていたんですか。

 下村 30歳で祖父がつくった建設会社の社長に就任してからですね。「常識」は、イコール今取り組んでいることです。「信じるな」というのは打破しようということ。

 常に「現状打破」で、今やっていることは本当にそれでいいのか、もっと違うやり方があるのではないかと考え続けています。絶えず新しい発想を持っていなければなりません。現状を追認すると現状維持につながり、現状維持はそのうち停滞、衰退につながります。衰退は会社が潰れてしまうということです。そうならないためにも「常不信」を大事にしているんです。

 ─ 建設会社の社長を経て、介護事業を始めようと考えたのは何歳の時ですか。

 下村 満60歳の時です。先ほどお話したように、私は30歳で建設会社の社長を引き継ぎました。その時は夢と希望に燃えて、会社を大きくすることばかり考えていました。

 当時は、売上高が大きい会社がいい会社という評価がありましたから、私も売上高を伸ばそうと取り組んでいました。ただ、そうすると計画に無理が出て、厳しい仕事も取ってしまい、そういう仕事が赤字になって決算の足を引っ張る。売上高は伸びるけれども利益が出ないという時期が続きました。

 祖父から引き継いだ会社ですから、潰してしまうわけにはいきません。強いプレッシャーがかかる中、一大決心をして「量から質への転換」をすることにしたのです。

 ─ 具体的には、どんなことに取り組んだんですか。

 下村 売り上げ目標を立てない、競争入札をしない、赤字工事、大型工事は絶対に取らないというルールを決めました。その中で手掛けたのが「雑工事」です。今の言葉で言えばリニューアル工事です。

 雑工事は工事費が500万円、1000万円と小さいのですが、工期は1カ月ほどです。期初に1つの工事で赤字が出ても、まだ1年近く日にちが残っていますから、損を取り戻すことができます。売り上げは小さくとも確実に利益が出る仕事だったんです。

 この事業モデルの転換で、最初の5、6年は売上高が大きく落ちました。厳しい時期が続きましたが、徐々に利益が出るようになっていきました。

 運がよかったのは、その時にスーパーゼネコンの一角、大林組さんとご縁ができたことです。大林さんが建てた建物の改修や、テナントビルの原状回復、メンテナンスの仕事ができるようになりました。

 その際、売上高は50億円、社員は50人、資本金5000万円を維持する「ゴーゴーゴー作戦」で行こうと社内に号令をかけました。

 50人の社員のうち30人ほどを大林さんに出向させました。我々が営業をしなくても、大林さんから仕事が来る仕組みをつくったのです。

 大林さんには他にも協力会社があり、月に1回は定例会議を開いていました。その際、10億円、15億円の仕事を打診されることもありましたが、全てお断りし、雑工事に専念しました。

 ─ その過程でバブル経済が訪れたと思いますが、その時もブレなかった?

 下村 はい。バブルでしたから、工事はいくらでもありました。その中ではやはり、15 億円の仕事ができないかといった打診はありましたが、頑なに拒否したんです。

 他の協力会社は売り上げを伸ばしていきました。ところが、バブルが崩壊して、一気に冬の時代が来ました。それでも私は規模の拡大を図らなかったことで、全く影響を受けなかったんです。

 新築の仕事がなくなりましたから、他社も雑工事に入ってくるだろうと予測しました。当時、売上高が40億円ほどでしたが、内部留保が20億円ありましたから、銀行から私募債の発行を勧められました。

 そこで得た資金を元手に不動産を購入したんです。おそらく、かつての評価額で100 億円から120億円の物件が30億円ほどで買えました。これによって建設業にプラス不動産賃貸業を手掛けるようになり、家賃だけで4億5000万円の売り上げとなりました。

60歳で介護事業での起業を決意した理由

 ─ 安定した経営基盤を築いたわけですね。

 下村 そうです。ただ、そうしているうちに60歳、還暦を迎えました。普通であれば人生のソフトランディングを考える時期です。ふと、それまでの人生を振り返ってみて、何か物足りなさを感じたんです。

 やり残したことがあるのではないかと。私にはもう1つ、使命があるのではないかと思ったんです。残された人生で、社会貢献ができ、もうひと頑張りができる仕事はないかと思った03年に、当時参加していた異業種交流会で介護事業のコンサルタントの方のお話を聞く機会がありました。 

 そこで2000年に介護保険法が改正され、民間企業も介護事業に参入できるようになったという話を聞きました。その時に「これだ!」と感じました。介護は社会貢献ができると同時に、高齢化で需要が増える。事業で何が一番大事かというと需要があるかどうかですから。

 ─ それで60歳での起業を決意したわけですね。

 下村 そうです。第1号ホームは05年に奈良県の大和郡山市で立ち上げました。最初はコンサルタントと設計事務所の手違いがあって大変でしたが、何とかうまくいきました。

 また、「下村建設の介護事業部で有料老人ホームをやります」と行政に申請を出した際、担当者が「建設会社でやるんですか?」といい顔をしてくれなかったのです。そこで、コンサルタントが持っていた訪問介護の会社を買うことにしました。

 ─ その後、事業を拡大していく考えでしたか?

 下村 最初はその1つのホームだけと思っていました。ただ、今の当社で役員をしている2人が、そのコンサルティング会社に在籍していたのですが経営不振で、彼らが「雇って欲しい」と言ってきました。

 2人とも知識がありましたから、ぜひ一緒にやろうと。彼らがチャーム・ケアの社員番号1 号、2号です。この2 人が来てくれたので本格的に手掛けようということで、下村建設とは別に介護事業会社を立ち上げました。これが現在のチャーム・ケアです。

ヒューリック社との縁で首都圏に進出

 ─ 人との出会いで生まれた事業だったと。

 下村 私は運がいいと思っていますが、その運というのは人との縁です。これが一番大事だと思っています。例えば、東京に進出した時にも、ヒューリック会長の西浦三郎さんとのご縁がありました。

 12年頃、関西で実績を積んだことで、一般社団法人全国介護付きホーム協会の理事に推薦していただき、就任しました。理事会などで東京を訪問して、業界の方々と話をする中で、首都圏に出なければ認知されないという思いを強く持ちました。

 そこで、土地を貸してくれるオーナーさんを見つけようと、みずほ銀行さんに相談したところ、紹介していただいたのがヒューリックさんでした。

 ─ そこで西浦さんにお会いをしに行かれたと。

 下村 ええ。ヒューリックさんはその時、3件の介護施設の開発予定地を持っておられました。私が西浦さんにお会いしたのは運営事業者決定の半月ほど前ですから、ギリギリの段階です。

 そうして西浦さんにお会いしたところ、首都圏では実績のない当社に「やってみませんか」と言っていただけたんです。結果、その時に3件のうち2件を当社に任せてくれました。

 ─ 西浦さんと下村さんの波長が合ったのでしょうね。

 下村 そうかもしれません。ヒューリックさんの仕事を手掛けたことは、首都圏におけるチャーム・ケアの信用につながりました。経営で大事なことは信用・信頼。そのためには言ったこと、やろうとしていることを必ず実現しなければなりません。そして経営者は成果を出さなければ、どんなにいいことを言っても駄目です。

 ヒューリックさんとのお仕事以降、首都圏では三菱地所レジデンスさん、京王電鉄さんなど大手と仕事ができるようになりました。

 ─ 社員に対してはどんなメッセージを出していますか。

 下村 ホームなどでは、やはり入居者様、そのご家族に信頼していただくことがベースです。そして「逃げない、嘘をつかない、ごまかさない」という3つを繰り返し伝えています。

 ─ 挑戦し続けることが大事だということですね。

 下村 妻からは「困ったことだ」と言われています(笑)。年齢を重ねて体力は落ちていますが、モチベーションは全く落ちていません。