東京大学(東大)は7月10日、新規の赤外分光法「赤外多角入射分解分光法」(以下、新規分光法)を用いて、絶対温度20K(-253℃)という低温な氷表面における「ダングリングOH」(以下、DOH)の光吸収効率を明らかにし、3種類のH2OのDOH(2配位、3配位、一酸化炭素(CO)が吸着)による吸収線について、その光吸収効率を測定したところ、その値は「氷内部の4配位のH2O」よりも「孤立したH2O一分子」の光吸収効率の値に近いことを解明したと発表した。

  • 氷表面に存在する3種類のDOHの模式図

    氷表面に存在する3種類のDOHの模式図(出所:東大Webサイト)

同成果は、東大大学院 総合文化研究科・教養学部の羽馬哲也准教授、同・長谷川健大学院生、同・柳澤広登学部生(現・東大大学院 理学系研究科、兼 東大 宇宙線研究所 大学院生)、同・長澤拓海大学院生(現・東大大学院 総合文化研究科、兼 グルノーブル・アルプ大学 大学院生)、同・佐藤玲央大学院生、同・沼舘直樹特任助教(現・筑波大学 数理物質系化学域 助教)らの研究チームによるもの。詳細は、米天体物理学専門誌「The Astrophysical Journal」に掲載された。

惑星系形成時の材料物質の1つに、氷の微粒子(氷星間塵)がある。また星間分子の多くは、その氷星間塵の表面で起こる化学反応を介して生成されている。そのため、氷星間塵の表面構造を理解することは、惑星形成の素過程である氷星間塵同士の凝集や、氷星間塵の表面で起こる化学反応の理解に重要とされている。

氷星間塵の構造は、主に赤外線による観測で研究が進められており、およそ3600~3000cm-1あたりに氷内で水素結合ネットワークを形成した4配位のH2Oに由来する吸収線(ピーク)が観測される。一方、実験室で氷の赤外スペクトルを測定すると、3720cm-1と3696cm-1あたりにも非常に弱いピークがある。このピークはDOHに由来するものであり、これまでの研究から3696cm-1と3720cm-1のピークはそれぞれ2配位と3配位のH2OのDOHに起因することが解明されていた。この2つのDOHのピークは、氷の構造や物性(空孔率など)を鋭敏に反映する非常に有用なピークであるといい、またDOHのピーク波数から、どのような分子がDOHに吸着しているのかを調べることも可能だ。

  • 氷の赤外スペクトル

    氷の赤外スペクトル。(上段左)3720cm-1と3696cm-1に存在する微弱なDOHに由来するピーク。3720cm-1のピークは2配位のH2OのDOH、3696cm-1のピークは3配位のH2OのDOHに起因する。(上段右)3600-3000cm-1にわたり幅広く存在する氷内部で、4配位の水素合ネットワークを形成したH2Oに由来するピーク(出所:東大Webサイト)

2023年、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)によって氷星間塵の赤外スペクトルが測定され、3664cm-1にDOHによるピークが観測された。赤外線天文学では、観測から得られた「氷の赤外スペクトルの吸光度」と実験や理論で得られた「氷の赤外光に対する光吸収効率」から、“氷の存在量”を求めることが一般的だ。氷内部の4配位のH2Oに由来する幅広いピーク(3600~3000cm-1)の光吸収効率についてはこれまで多くの研究があるが、氷表面のDOHについては、光吸収を議論する上で重要な「ランベルト=ベール則」が成立せず、その光吸収効率を測定することは困難だったとのこと。そのため、JWSTによって氷星間塵のDOHが観測されたにも関わらず、その存在量を定量することは不可能だったという。そこで研究チームは今回、新規分光法を用いて、20Kという氷星間塵の温度環境に近い条件でDOHの赤外光吸収効率の定量を試みたとする。

  • 今回開発された新規分光法の実験装置

    今回開発された新規分光法の実験装置。(左)実験装置の概観写真。(中)実験装置内に組み込まれているシリコン基板。この基板表面に氷を作製する。(右)面内振動と面外振動のイメージ(出所:東大Webサイト)

新規分光法は、赤外分光法と多変量解析とを組み合わせたもので、試料内の分子の面内振動(基板に平行な振動)と面外振動(基板に垂直な振動)の赤外吸収スペクトルを定量的に得ることができる。DOHの光吸収効率を調べるためには、DOHの存在量を定量する必要がある。そこで今回の研究では、COを蒸着してDOHに吸着させ、2配位と3配位のH2OのDOHのピークが消えるCO蒸着量からDOHの存在量を定量し、光吸収効率が明らかにされた。

その結果として、2配位、3配位、COが吸着、という3種類のH2OのDOHの光吸収効率は、どれも氷内部のH2O(4配位)の光吸収効率の1/10以下であり、むしろ「孤立したH2O一分子」の光吸収効率に近いことが明らかにされた。この結果は、氷表面と氷内部において水分子の性質が劇的に異なることが示されているとする。

  • 新規分光法によるDOHの面外・面内振動スペクトル

    新規分光法によるDOHの面外・面内振動スペクトル。(A)20Kの氷のDOHの面外・面内振動スペクトル。CO蒸着前には、2配位の3配位それぞれのH2OのDOHに起因する2つのピークが観測される。CO蒸着後はそれらのピークが消失し、3680~3620cm-1に「COが吸着したDOH」に起因する幅広いピークが新たに現れる。(B)(A)で示したCO蒸着後と蒸着前のスペクトルの差分。(C)COが吸着したDOHのイメージ。破線はJWSTにより観測された氷星間塵のDOHのピーク波数(3664cm-1)(出所:東大Webサイト)

今回の研究で氷表面のDOHの光吸収効率が解明され、DOHの存在量を赤外スペクトルから定量することが可能になった。特に、COが吸着したH2OのDOHの吸収線のピーク波数(3680~3620cm-1)は、最近のJWSTによる観測で報告されている宇宙の氷星間塵のDOHのピーク波数(3664cm-1)と一致しており、氷星間塵のDOHはCOなどの分子が吸着していることが強く示唆されるという。研究チームは今回の研究で得られた光吸収効率から、宇宙の氷星間塵のDOHの存在数を定量することで、氷星間塵表面の化学反応メカニズムや惑星系の形成について、理解が大きく進むことが期待されるとしている。

  • 氷の赤外光の吸収断面積のまとめ

    氷の赤外光の吸収断面積のまとめ(アモルファス氷内部を1として規格化されたもの)(出所:東大Webサイト)