「国づくりは、人材を育成し、世界で活躍できる人材育成だ」─。このように強調するのは1976年の創業以来、拠点を新潟に置き、111法人、1万2000人以上のグループ従業員を擁するNSGグループ会長の池田弘(ひろむ)氏。地方衰退に歯止めがかからない中で、経営者であり、宮司でもあるという異色な池田氏は次なる一手を打ち出す。また、日本ニュービジネス協議会連合会の会長としても地方の中堅企業とのマッチングにも注力。池田氏が考える地方創生と人づくりとは。
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若者が将来を夢見る街に
─ 2026年にグループ創立50年を迎えますが、まずはこれまでの歩みをどう振り返りますか。
池田 私どもの理念は地方新潟を活性化し、世界一の街にすることです。東京一極集中が極端に進み、地方の若者の多くが東京に行ってしまっています。若者がいなくなった街は、どうしても衰退します。では、その若者を地方に残すためにはどうすれば良いのか。やはり若者が未来を夢見るためには、新しい時代を先取りしたような分野を学べる教育施設が必要だと。それが私どもの専門学校です。
─ 今ではどのくらいの施設数になっているのですか。
池田 新潟県と福島県に34校あり、そのうち新潟県内には29校あります。学べる分野も多彩で、コンピュータや建築、福祉、簿記、スポーツなど全国で280学科です。我々はそういった職能や職業につくために必要な学びの場を提供しています。
その意味では、我々は常に先端的な知識や技術を教えられる環境を整えてきました。
そして、若者を地方に残すだけでなく、全国からも若い人を呼び込み、さらに海外からの留学生の受け皿にもなっています。新潟を国際都市にしたいという私の思いが徐々に形になってきていますね。
ですから、我々は専門学校だけでなく、医療や介護など日本がアジアをリードするであろう分野に関する「新潟医療福祉大学」も設立しました。
それまで地方でMBAを取得できる大学院がなかったのですが、2006年に新潟市内に「事業創造大学院大学」を開学し、地方で働きながらMBAが取得できるようになりました。
さらに、20年には日本初の総合専門職大学として同じく新潟市に「開志専門職大学」を開学しました。事業創造大学院大学はたくさんの優秀な留学生が学んでいます。
─ 留学生はアジアが多いのですか。
池田 ベトナムや中国、カンボジア、モンゴル、インドネシア、タイなどです。また、アジアだけでなく、イタリアやハンガリーからの留学生もいます。
大学院の留学生は約60人いますが、その内の25%は日本の国費で奨学金がもらえるほど優秀です。そういった学生の中には新潟で起業する人も出てきています。
求められる経営者育成の仕組み
─ 今後が期待されますが、地方に拠点をつくることの意義とは、どんなところにあると思いますか。
池田 まず、現在の東京一極集中は、とても危険な状況です。以前は優秀な若者は東京に集まり、官僚などとして就職していたわけですが、今は米国の金融機関やコンサルティング会社に就職しています。そうすると、日本はもぬけの殻になってしまう。
もっと「日本を元気にする」といった志や思想のある若者を育てていかなければなりません。それを各地でやっていけば、日本の国力全体が上がります。
また、各地に拠点があるということは人材が必要ということになります。人材ニーズがあれば人材を育成する機能が必要です。その際に、この国をどうするかという志の高い若者たちを育成していかなければいけません。少子化の流れは避けられないでしょう。
そうであるならば、日本人はアジアを中心とした世界のリーダーになればいいわけです。そういった人材を育てることが大事なことになります。
─ 教育者にもそういった視点が求められますね。
池田 ええ。今は国内で格差をつくっているような状況です。例えば大学でも韓国は8割は大卒、欧州も約7割が大卒ですが、日本は5割です。それで教育研究の予算を削減したりしているわけです。このままではノーベル賞受賞者も輩出できなくなってしまいます。
私は日本の国づくりは、人づくりで、世界で活躍できる人材育成だと思っています。そのためには自立し、志をもって生きることができる人材を育てなければなりません。
その一例がスポーツや音楽です。日本人がその分野で特化して努力すると、世界でも冠たる成果を出せます。
スポーツでは日本人の野球選手やサッカー選手、音楽ではピアニストやヴァイオリニストなどが世界で活躍しています。しかし、残念ながら常に遅れているのが経営者や国際機関で働く人材です。ほとんどいません。
─ ビジネス面でも世界に通用する経営者をつくると。
池田 そうです。そもそも、そういった経営者の育成をしていません。もし地方で育てた人材のうち、3分の1が経営者などのリーダーになり、3分の1がスペシャリストになれば日本は大きく変わるはずです。そういった仕組みを新潟からつくりあげたいと思っているのです。
─ では、地方で働きたいと思える環境づくりには、どのような取り組みが必要ですか。
池田 私どもは、やりたい職業を興すためにベンチャーを育成しています。新しい事業をイノベーションしているのです。それで、やりがいのある、若者が未来を見据えることができる働く場をつくっています。
国もスタートアップの育成を政策のテーマに据えていますが、新しい事業を地方で興すのは本当に難しい。人的ネットワークや信用もありません。これを変えるには、地方の中核企業がその気にならないと始まりません。
ところが国の施策は、中小企業対策はありましたが、これまで中堅企業に焦点を当てた対策は行われてきませんでした。大企業対策は盛んですが、地方の中堅企業に関しては、ほとんど施策が行われていなかったのです。そうすると、皆が保守的になってしまいます。これを変えなければなりません。
─ 他ではあまり議論されていない視点での指摘ですね。
池田 ええ。中小企業向けの施策では、中規模と小規模が一括りで、倒産しないようにする施策しかありませんでした。一方で、地方で自立して立派に経営している中堅企業はたくさんあるにもかかわらず、中堅企業に特化した税制優遇などの施策がなかったのは事実です。
「アドベンチャー」と言われて
─ 池田さんが1976年に起業したときは、そういった支援はなかったのですか。
池田 一切ありませんでした。銀行からも「池田さんのやっていることはアドベンチャー(冒険)だ」と言われましたからね(笑)。地方銀行には全て断られ、信用組合にお願いしたのですが、宮司をやっていた父の個人保証を担保に何とかお金を借りることができました。
当時はまだ専門学校や学習塾、進学塾などは新しい事業だったのです。新潟には進学塾も各種の学校もほとんどありませんでした。銀行へのプレゼンテーションでは、それを訴えたのですが、担当者もよく分からなかったのでしょう。
その頃、「ベンチャー」という言葉が出始めていましたから、銀行からも「これはベンチャーではなくアドベンチャーですね」と言われて断られたのです。
─ 池田さんは、そのように揶揄されて、どう思ったのですか。
池田 もうアドベンチャーでいいと(笑)。とにかく私はやりたいことをやりたかった。それで金融機関を回り、最後に信用組合に辿り着いたのです。
ただ、その支店長も業態を理解したというよりは、父の土地や預金などで担保を取り、信組が絶対に損をしない形での融資でしたね。
─ 当時は何歳でしたか。
池田 27歳です。私はお宮の息子でしたので、このときはお宮の境内地に救われました。古い舞殿という踊りを舞う建物があり、その建物を壊して最初の校舎を作ったのです。土地があったからこそできました。
ただ、プレッシャーは大きかったですね。もし事業に失敗すればお宮の土地が取られてしまうわけですからね。土地が取られれば、お宮の後継ぎもできなくなってしまいます。父も一生懸命、節約をしながら、質素な生活を送り、お宮を残してきたわけですからね。そういう意味では、いくつかの危機はありましたが、それを乗り越える力にはなっていると思います。
─ 学習塾にはどのくらいの生徒が通っていたのですか。
池田 50人ぐらいですかね。最初は近所の氏子さんのお子さんたちでした。それでも、その中から後ほど東大に合格した生徒もいました。それだけ、やる気のある優秀な子が来てくれて慕ってくれたということです。
JNBとアルビレックスの役割
─ 人との縁があったということですね。さて、池田さんが会長を務めている日本ニュービジネス協議会連合会(JNB)の現状を聞かせてください。
池田 各地のニュービジネス協議会の会員数は順調に増えています。コロナ禍でも会員を増やすことができました。それだけ全国にニーズがあるということでしょう。
47都道府県にニュービジネス協議会はありますが、その中でも東京は会員拡大に成功し、全国で4400社になりました。一方で、やはり地方都市では「今のままではダメだ」という危機意識が強いです。そこで地方の中堅企業が会員になり、ベンチャーとのニュービジネスを興そうという動きが出てきています。
─ 地方の中堅企業がニュービジネス協議会に入ると。
池田 はい。各社が問題意識を持っているのです。デジタルトランスフォーメ―ションを含めたイノベーションを起こさないと生き残れません。そのためには、イノベーションを起こす人材を首都圏から戻さなければなりません。ですから、自分たちもイノベーションに取り組んでいると発信するのです。
一方で中堅企業がベンチャーを支援すれば、ベンチャーに人的ネットワークや事業のネットワークができます。信用も与えることができるでしょう。地方の伝統的な中堅企業が入ることで、新しい取り組みができると感じているところです。
─ 昨年、Jリーグ「アルビレックス新潟」がJ1に復帰しました。スポーツの可能性をどう感じますか。
池田 新潟が活性化するために、新潟をいかに若者がいてくれる街にするか。そのためには地方が魅力を持たなければなりません。その中でスポーツは絶対、若者の心に刺さる存在です。おらが町のチームがあることは、その地域住民に対してのポイントになります。皆が燃えます。
そして、地方のチームが成功するためには、地方の中核企業などをはじめ、地域の皆さんから支援してもらう必要があります。もちろん、それは住民の皆さんも含まれます。そうした支援を少しずつ集めることができれば、熱狂が起こるのです。
新潟県の人口は約210万人ですが、徐々に人口は減り続けています。お宮をつくる際、必ず真ん中にお社をつくり、そこに気持ちを集めます。同じように、ビジネスでも地域の心を地域の中心に集め、その地域全体を発展させていく。NSGグループは今後もそういった取り組みを続けていきます。