東京工業大学(東工大)と横浜市立大学(横市大)の両者は9月15日、ラップのように脳を優しく密に覆えて、脳表で生じる電位記録と電気刺激が可能な厚さ約8μmの「硬膜下電極」を開発したことを共同で発表した。
同成果は、東工大 生命理工学院 生命理工学系の藤枝俊宣准教授、同・宮下英三准教授、同・今井綾乃大学院生(研究当時)、横市大 医学群 脳神経外科学教室の園田真樹助教、同・大学 麻酔科学教室の宮崎智之教授(研究・産学連携推進センター兼務)らの共同研究チームによるもの。詳細は、基礎研究と産業の間を埋める新材料の応用研究に関する全般を扱う学術誌「Advanced Materials Technologies」に掲載された。
慢性の脳疾患であるてんかんに対し、適切とされる抗てんかん薬を処方しても発作を抑制できない場合は「難治てんかん」と呼ばれ、その患者数は日本国内では約30万人と推定されている。そうした難治てんかん患者に対し、外科治療を行う際に発作の原因となる脳部位を明らかにするため、硬膜下電極を用いて脳表から直接電位を記録するのが「脳表脳波記録」だ。しかし従来の硬膜下電極には、電極と脳組織の力学的なミスマッチにより、記録中に電極の位置がずれることや、留置に伴う脳圧が亢進してしまうなど、解決すべき課題があった。
一方、近年注目されているのが、電気刺激により脳機能活動を調節する「ニューロモデュレーション」だ。てんかん患者に対しては、発作を検知したら、即座に異常神経活動を呈する脳部位を電気刺激して発作を抑制する「発作反応型脳刺激療法」が開発され、米国で臨床応用されている。同療法は、脳組織を切除する外科手術と異なり、脳機能を温存できることが優れた点だが、従来の電極の性能では電極留置範囲が限定されてしまっていた。それに対し、ハイドロゲルやポリイミドフィルムなどを用いた柔軟な電極も開発されているが、長期間安定して脳表脳波記録や電気刺激できるものはまだ開発されていない。
そこで研究チームは今回、脳表に密着可能な硬膜下電極を開発することで、これらの課題を解決することを目指すことにしたとする。具体的には、ゴムのような弾性を持つ高分子材料の「エラストマー」薄膜上に導電性を有する金ナノインクをインクジェット印刷した上で、電気・力学物性評価を通じて電極構造を最適化し、多点で脳表脳波記録と電気刺激が可能な薄膜電極を開発することが計画された。
まず「スチレン-ブタジエン-スチレンブロック共重合体」からなるエラストマー製薄膜(厚さ約4μm)を基材層として、その表面に金ナノインクがインクジェット印刷され、導電配線と多点状の電極パターンが形成された。次にその多点電極の表面に、もう1枚のエラストマー薄膜が絶縁層として重ね貼りされ、薄膜電極が作製された。得られた薄膜電極の厚さは約8μmと、市販の硬膜下電極と比べて12分の1の薄さであり、ヒトの脳を模倣した脳組織モデルの表面の起伏を密に覆うことに成功したという。
次に、ラットの「バレル皮質」(げっ歯類の大脳の一部)表面に貼付した薄膜電極を用いて、ヒゲの機械的な刺激に伴う誘発電位の記録が試みられた。すると、全電極において誘発電位を記録することに成功したとする。この時、記録された電位をフーリエ変換にてスペクトル解析すると、特定の大脳皮質部位に電位が局在しており、今回の薄膜電極は十分な空間分解能を有することが示されたとした。
続いて、「GABA」(主に脳幹よりも吻側(ふんそく)の中枢神経系の抑制性シナプス伝達を担うアミノ酸)の抑制剤「ビククリン」を投与した薬剤誘発型てんかんモデルラットのバレル皮質に薄膜電極が貼付された。すると、てんかん様の脳波の計測に成功したという。さらに、薄膜電極に搭載された微小電極のうち、1極から1.6mAの刺激電流が印加されたところ、電気刺激により誘発されたヒゲの動きを、1本のヒゲの根本の筋電位を記録することで確認できたとする。最後に、薄膜電極を6週間脳内に埋め込んだ後の病理組織を観察したところ、電極の留置に伴う重篤な繊維組織の形成は認められなかったとした。
今回の薄膜電極は脳表への追従性に優れるため、てんかん手術に向けて頭蓋内電極留置が必要な患者の負担や合併症を軽減できる電極素材として期待されるという。また、従来の硬膜下電極の課題を解決するだけでなく、今後の難治てんかんの診断治療デバイスの概念を大きく変える可能性があるとした。
研究チームでは今後、日本医療研究開発機構や科学技術振興機構の支援のもと、医療機器ベンチャーと連携して、今回の薄膜電極を接続可能な埋め込み型無線給電デバイスとする開発にも着手しており、将来的な完全埋め込み型診断治療一体型デバイスの実現を目指すとしている。