技術革新によってビジネスパーソンに求められるスキルが変化したことで、現在リスキリングをはじめとする”学び”が注目されている。企業はどのように従業員の学びを進め、個人はどのような視点で学ぶべきか。
5月15日~26日に開催された「TECH+ Business Conference 2023 ミライへ紡ぐ変革」の「Day 6 チーム力向上の具体策―リスキリング&コラボレーション」に、『Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」』の著者である東京大学大学院 経済学研究科教授 柳川範之が登壇。「将来の価値を生み出す学びへの投資」と題して講演を行った。
日本企業が得意としてきた「人を重視する経営」
柳川氏は最初に、学びに注目が集まる背景となる世界の構造変化についてまとめた。
「ChatGPT」に代表されるように、世界では今、技術革新が起きており、イノベーションの重要性が高まっている。イノベーションは人や、人の頭の中にある知恵によりもたらされることが改めて重要視されているという。その流れの中で、「人的資本や無形資産にスポットが当たり始めている」と柳川氏は説明する。
また、世界の構造変化のスピードは速くなっていて、年単位ないしは半年で経済環境が変わることもある。そのため、変化に迅速に対応できる人材が求められていることから「人材投資のニーズが高まっている」と同氏は指摘した。
「このような構造変化においては、企業は人材を単なる労務コストではなく、将来の価値を生み出す資本として捉え、投資する必要があるのです」(柳川氏)
実は、人を重視する経営は、そもそも日本企業が得意としてきたことでもある。しかし、バブル崩壊後、「経済環境が振るわず、激しい国際競争において人材への投資が後手に回りがちになった」と柳川氏は分析。また、当時は「人に投資する企業が明示的に投資家や従業員にそれを認知させる手段に乏しかった」と振り返った。
非財務情報である人的投資、開示の前にまず取り組むべきことは?
このところ、非財務情報として人的資本投資の開示の制度化が進んでいる。これにより、現在や将来のステークホルダーに対して、企業は「自社が人に投資している」ことを示せるのだ。
一方で、開示の前に「考えるべきことがある」と柳川氏は述べる。単に「女性幹部登用が何人」といった目立った動きを開示すれば良いという話ではなく、自社内にどのような能力を持った人材がどのぐらいいるか、経営陣や人事を筆頭に社内全体でしっかり把握する必要があるのだ。
「把握ができなければ、開示もできません。必要な追加投資もわからないのです」(柳川氏)
理想的な開示までの構造として、まず「将来に向けた経営戦略」を立てることになる。次に戦略実現するために必要な人的資本を考え(To Be)、現場の人的資本の把握をする(As Is)。To BeとAs Isの差を明らかにした上で、必要な人的資本投資を導出する。このプロセスを踏むことで、開示すべき情報が出揃うのだ。
人的資本の特徴は会社中心ではなく、個人中心
人的投資の方向性の決定は経営戦略と密接不可分である。具体的な経営戦略が決まらなければ、必要な人材も決まらない。この関係は物的資本も同じだが、人的資本と物的資本は2つの点で大きく異なると柳川氏は言う。
1つ目は、「どのぐらいの価値が出るのかはその人のモチベーションに圧倒的に左右される」という点だ。業務だけではなく、日常生活による影響も受けやすいため、人材のモチベーションコントロールが大切になる。
2つ目は、「人は辞める自由がある」という点だ。企業側は社員を囲い込めないため、「会社にいたいと思わせるような環境をつくることが重要」だと柳川氏は語った。
「人的資本は会社のためだけに存在するわけではなく、個人に帰属するものです。そのため、会社を主語にするのではなく、個人を主語にして人的資本を考える必要があります。このような状況の中で、個人にどのような人的資本の蓄積を促すのか、それが会社全体のプラスになるのかという目線がポイントになります」(柳川氏)
新たなことだけではなく、既得スキルの体系化を武器に
柳川氏はさらに、「企業と個人の関係は今後大きく変わっていくはず。会社の言う通りの仕事をして、言う通りのことを学んでいくのではなく、自律性を持ってキャリアを築くようになる」と、個人中心的な時代の到来を見据える。
では、これから個人が進めていくべき学びとはどのようなものだろうか。同氏は、プログラミングやデータサイエンスといった新しいスキルの獲得にチャレンジすることだけが学びではないとした上で、「断片的だった過去の経験を、学問を使って一般抽象化して体系付けることが今後のキャリアの大きな武器になる」と語った。
例えば、経済学や経営学を学ぶことで、自分が会社で経験したことが腑に落ちる。これが一般化や体系化につながるのだ。また、周辺分野の学問を学ぶことで自分の経験を少し広げたかたちで理解することも重要だという。
このような学びを柳川氏は、「スキルの斜め展開」と表現。学んだことを試し、学ぶための兼業・副業を積極的に考えることを推奨した。
アンラーンは日常の“クセ”を少しずつ崩すことから
講演の終盤、柳川氏は大人の学習法として「アンラーン」にも触れた。アンラーンとは「知識や経験を生かすために、これまでに身につけた思考のクセを取り除くステップ」だ。
「過去の経験は大事だが、過去のやり方や発想にこだわると柔軟性を失う」と同氏が話すように、新しい知識を得るにあたって思考のクセが邪魔にもなりかねない。
思考のクセとは、「環境に適応してパターン化しすぎた意思決定」を指す。柳川氏は「日本の企業文化は、その会社の中で上手くやっていくために、みんなでパターン化してきた」と企業文化の歴史を振り返り、「環境が変わったにも関わらず、そのパターンから抜け出せなければ、新しい環境にビジネスが追いつけなくなる」と、アンラーンの必要性を訴えた。
実際、コロナ禍は人々の環境を大きく変えた事象として記憶に新しい。リモート会議やオンライン会議は一般化できないと思われていたが、環境が変わることで発想を転換、すでに人々が働く環境はそれ以前のパターンを抜け出している。
しかし柳川氏は、コロナ禍のような外的要因に強制されるのではなく、自分の発想や考え方がパターン化していないかを改めて問い直すことが重要だと強調する。
「上手くいかないのは能力が無いからではなく、クセが原因かもしれません。そのためには少し立ち止まって、自由な発想に切り替えることも必要ではないでしょうか」(柳川氏)
最後に柳川氏は、アンラーンの第一歩として、「うちの会社ではこうするのが当然」「いつもの」といった、日常よく耳にする言葉に注意し、簡単なことからパターン化を崩してみることを勧める。
そのためのヒントになるのが、以下の3点だ。
- 当たり前に考えてきたことを切り替える
- 専門用語を使わずに説明する
- 選択の理由を説明できるようにする
「これらを意識することがアンラーンを進めるきっかけになり、それ自体が大きな学びになるのです」(柳川氏)