名古屋大学(名大)は9月3日、日本とカナダで学生を対象とした研究より、ストレスの高い家庭環境で育ったと自己報告した人ほど一般的な他者への信頼が低く、また個人の遺伝的背景である「オキシトシン受容体遺伝子多型」によって、その家庭環境による信頼への影響が異なることを明らかにしたと発表した。

同成果は、名大大学院情報学研究科の石井敬子 准教授、同・鄭少鳳 博士後期課程学生、カナダ・アルバータ大学心理学部の増田貴彦 教授、愛知医科大学の松永昌宏 講師、神戸大学大学院人文学研究科の大坪庸介 教授、同・野口泰基 准教授、浜松医科大学の山末英典 教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、「Psychoneuroendocrinology」オンライン版に掲載された。

これまでの研究から、“幸せホルモン”や“愛情ホルモン”などと呼ばれる「オキシトシン」が、脳内で分泌されることで対人的なコミュニケーションを促すことが分かってきた。オキシトシンは視床下部で合成されて下垂体後葉から分泌されるペプチドホルモンで、ヒトを含めた哺乳類においては妊娠、出産、授乳に関連している。またオキシトシンには、向社会性や他者に対する信頼感を高めたり、ストレスを緩和したりする機能があり、社会行動においても重要な働きをすると考えられている。

オキシトシンの作用を受ける細胞にあるのが、タンパク質でできたオキシトシン受容体だ。中枢神経、乳腺、子宮などで発現し、オキシトシン受容体を欠損させたマウスによる実験では、社会行動に問題が生じることがあることも報告されている。このオキシトシン受容体に関するDNAは、複数の箇所で塩基配列が個人によって異なっている。こうしたDNAの一部が個人間で異なることを遺伝子多型といい、オキシトシン受容体遺伝子多型とはオキシトシン受容体に関してDNAレベルで個人的な差異があることを意味している。

その一方で、他者への信頼はその人の育った環境による影響も大きいとされる。例えば、社会経済的な地位の低い家庭環境のもとで育つと、他者への信頼は醸成されにくいことが知られている。しかし家庭環境には社会経済的な地位のみならず、その人が親から愛情を受けて育ったのか、それとも虐待を受けて育ったのか、または秩序ある家庭であったのか無秩序な家庭だったのかといったことも関係してくる。しかし、それらが他者への信頼にどう影響を与えるのかは、これまでのところよくわかっていなかった。

またオキシトシン受容体遺伝多型に関連するこれまでの研究では、こうした家庭環境による影響は考慮されてこなかったという。加えて、信頼に関するそのような環境とDNAレベルの個人差の影響、さらにはそれらが相互に作用する可能性について、これまでは比較文化的な研究は行われてこなかった。

こうしたこれまで不明だった点を明らかにするため、研究チームは今回、親の接し方や家庭内の秩序の程度といった指標によって評価された家庭環境や、オキシトシン受容体遺伝子多型の個人差、さらにはその相互作用が同信頼を与えるのかを比較研究を実施。信頼の程度が異なる日本とカナダというふたつの社会に注目して、評価が行われた(他者一般への信頼はその社会構造の性質を反映しており、日本よりも北米の人々において高いことが知られている)。

今回の研究では、203名の日本人学生と200名のカナダ人学生が対象とされた。まず家庭環境に関しての調査は、学生たちに5~15歳の子どもの頃の家庭生活を思い出してもらい、13項目の質問に対してその頻度の評定を行わせる形で実施された。13項目の内容は、「親(または同居していたほかの成人)から愛されている、支えてもらっている、大事に思われていると感じることがどれくらいの頻度であったか」、「両親が口げんかをしたり、口論をしたり、大声で言い争いをすることがどれぐらいの頻度であったか」などである。

そして他者一般への信頼に関しては、5項目の質問を設け、それぞれにどの程度賛成するか回答する形で行われた。5項目は、「ほとんどの人は基本的に正直である」、「私は人を信頼する方である」などだ。

さらに、参加者のオキシトシン受容体多型も調査され、参加者の文化や性別を統制した上で、他者一般への信頼の程度が、家庭環境やオキシトシン受容体遺伝子多型、およびそれらの相互作用によって予測されるのかという分析が行われた。すると、幼少期の家庭環境に問題があったと回答した人ほど、信頼の程度が低い結果となった。

研究チームが重要だとするのが、この関係がオキシトシン受容体遺伝子多型による影響を受けていたことである。文化に関わらず、オキシトシン受容体遺伝子の遺伝子多型「rs53576」に関して「AA」を持つ人では、幼少期の家庭環境に問題があるほど信頼の程度が低くなっていたが、「AG」や「GG」を持つ人では、そのような関係は見られなかったのだ。

今回の研究では、親からの愛情不足や虐待に代表されるような問題のある家庭環境で育ったと自己報告した人ほど他者への信頼が低く、さらにオキシトシン受容体遺伝子の遺伝子多型のAAを持つ人が特にその傾向が顕著である結果となった。その一方で、AGやGGを持つ人は、家庭環境による信頼への影響が見られなかったことから、家庭環境に問題があっても、そこから離れた場や状況、例えば友人関係や学校における経験などによって、信頼の醸成が補われる可能性を示唆しているという。

またこれらの傾向は文化にかかわらず見られたが、他者一般への信頼はカナダよりも日本で低いという、従来通りの結果となった。つまり、日本人はカナダ人よりも他者との信頼関係を結びにくい傾向にあるようだ。研究チームは、現在のグローバル化した世界において、人々のネットワークを広げていくためには、他者一般への信頼が不可欠であり、日本における信頼の醸成は喫緊の課題だとしている。

なお、今回の研究は参加した学生たちからの自己報告に基づくものだが、今後は一般の人々を対象に、客観的な指標を用いた家庭環境の評価や人々の信頼行動に着目し、知見を再確認していくことが必要としている。このような作業を通じて、信頼の醸成に対する具体的な提言が可能になるだろうとしている。

  • オキシトシン

    オキシトシン受容体遺伝子の遺伝子多型「rs53576」に関して「AA」を持つ人では、幼少時に問題のある家庭で育った人ほど他者への信頼が低いという結果が出た (出所:名古屋大学プレスリリースPDF)

  • オキシトシン

    (左)オキシトシン受容体遺伝子の遺伝子多型「rs53576」に関して「AA」を持つ人の結果。(右)同じく「AG」を持つ人の結果。どちらも家庭環境は他者への信頼は影響しないという結果だった (出所:名古屋大学プレスリリースPDF)