8月末に東京ビッグサイトで開催された個人投資家向け合同展示会において、東証1部に上場するヤマシンフィルタという企業が、集まった個人投資家に向けたマーケティングの一環として落語のステージを展開した。数多くの上場企業や証券会社が自社の事業や業績をアピールするなか、なぜこの企業は落語や大喜利を企画の柱に据えたのだろうか。この企業のIR活動について、マーケティング視点でその狙いを探る。

上場企業のIRマーケティングに落語、その狙いとは

落語のステージを展開していたヤマシンフィルタという企業は、建築機材、農業用機械、鉄道、船舶、航空機など様々な産業機器に使われるフィルターを開発・製造しており、1956年に創業した歴史のある会社だ。展示ブースでは、同社の事業展開に関するプレゼンテーションに加えて、プロの落語家と講談家、そして東京大学、早稲田大学、明治大学の学生落語研究会のメンバーが参加して、落語や講談のステージや大学対抗大喜利大会などを開催。集まった人たちを大いに笑わせていた。

他の多くの企業ブースには比較的年配の個人投資家が集まっている中で、ヤマシンフィルタのブースには学生落語研究会のメンバーと同年代と思われる若い参加者の姿が。同社の広報担当者によると、こうした試みの狙いは単に集まった個人投資家を楽しませたいという単純なものではなく、“大学生による落語”という企画を通じて個人投資家はもちろん、学生などの若い人たちに同社の取り組みを知ってもらうことを目的としたのだという。会場の模様はTwitterを通じて動画で配信され、大学対抗大喜利大会の優勝校を予想してもらう“ソーシャルIR”にも挑戦したのだそうだ。

イベント開催時には高齢者だけでなく学生など若い人の姿が目立った

なぜ、50年以上の歴史を持つ上場企業が若い人をターゲットにしたマーケティングにこだわるのだろうか。そこには、上場企業の株式に投資する個人投資家をめぐる高齢化問題があるのだという。

日本証券業協会がまとめた昨年度の「個人投資家の証券投資に関する意識調査」によると、個人投資家の約半数にあたる56%が60歳を超えるシニア層。次いで20%は50代で、20代から40代の若い世代の個人投資家は24%に留まる。もちろん、株式投資をするためには資金力が必要になるため、貯蓄や退職金などの自己資金を多く持つシニア層が増加するのは自然な流れだと言える。しかし、「問題はこうしたシニアの個人投資家が増加することではなく、その先にある」と、野村インベスター・リレーションズの水野義和さんは語る。

「短期的に考えれば資金力のあるシニア世代をターゲットにしたIR活動が重要になるが、そこで無視されている問題は、シニア世代が保有する株式の相続問題。現在シニアが保有している株式=資産はいずれ子どもが相続することになるが、そのときに“(相続した資産を)どこに投資したらいいのかわからない”といった理由で相続した株式の売却が進む可能性がある。そういう事態を避けるためには、若い世代に企業のことをもっと知ってもらうようなIR活動を推進していかなければならないが、実際にはほとんどの企業がそうした対策をしていないのが現状だ。IRは株式投資をしていない若い世代にまだアプローチできていない」(水野さん)。

つまり、シニア世代がその企業を応援するつもりで投資をしていても、次の世代がその企業に関心を持たなければ投資した資金を引き上げてしまうということになる。企業は投資力があるシニア世代だけでなく次の世代にも認知を広げる必要があり、IR活動は単に投資家を募りエンゲージメントを深めるだけでなく、広く企業認知を高めていく必要があるのだ。特に、ヤマシンフィルタのような消費者の目に触れることがほぼない製品を作るメーカーにとって、この課題解決は急務だと言えるだろう。

この点についてはヤマシンフィルタの山崎敦彦社長は、「個人投資家の中には60代、70代の方が多く、団塊の世代が投資家の中心であることは間違いない。このまま高齢化が進むことは将来的な企業の持続性に影響がないとは言えず、“次の世代へとシフト”は今後考えていかなければならない重要なテーマだ。業績などはIR資料を見れば誰でもわかるが、会社のことはこのような交流を通じてでなければ伝えられない。特に我々のような部品メーカーは世の中の目に触れる機会が少なく、まずは会社の存在そのものを知ってもらうことに注力している」と語っている。

「若い世代は株式投資にはあまり関心がないのかもしれないが、これが今後5年、10年でどうなるかはわからない。株式に関心を持ったときに、私たちのことを知ってもらえているかどうかは非常に重要な課題だ」(山崎社長)

ベンチャーファンドやクラウドファンディングなど若い投資家、起業家が活躍するベンチャー企業・スタートアップ企業の領域とは異なり、56%をシニア層が占める株式投資の世界では、シニア層による投資が生み出している巨大な資産を次世代にどのように引き継いでいくかが大きな課題だということがわかった。ヤマシンフィルタのように、若い人に積極的にアプローチするマーケティングを推進していくことは、将来の企業経営にとってミッションクリティカルだと言えるのだ。