東京大学(東大)は、これまで有効な治療標的分子が無かったBasal-like乳がんの新規治療法開発への応用が期待される乳がん幹細胞維持機構の解明に成功したと発表した。

同成果は同大医科学研究所の山本瑞生 客員研究員、田口祐 助教、井上純一郎 教授、早稲田大学理工学術院の仙波 憲太郎 教授、沖縄科学技術大学院大学の呉羽拓 研究員、千葉大学大学院薬学研究院の山口憲孝 助教らによるもの。詳細は「Nature Communications」に掲載された。

炎症・免疫・細胞生存などに関わる転写因子「NF-κB」は、正常な細胞においては抑制因子によるネガティブフィードバック機構により、活性化が厳密に調節されているが、これまでの研究から、Bリンパ腫やATLなどの白血病細胞や乳がん、膵臓がん、脳腫瘍など様々ながん腫において活性化機構や抑制機構の異常によって恒常的に活性化し、がん細胞の生存や転移能、血管新生などを誘導してがん悪性化に寄与していることが報告されるようになってきており、研究グループでも、乳がん細胞株を用いた研究から、乳がんの中でも従来の治療標的分子であるホルモン受容体やERBB2を発現せず悪性度の高いトリプルネガティブ乳がんにおいてNF-κBが強く恒常的に活性化してがん細胞の細胞生存を誘導していることを報告している。

今回の研究では、恒常的なNF-κB活性化が乳がん幹細胞に与える影響の検討を目指し、乳がん細胞株を用いて恒常的なNF-κB活性化と乳がん幹細胞の割合の関係を調査。その結果、ホルモン受容体を発現するLuminal-like乳がんやERBB2過剰発現乳がん、トリプルネガティブ乳がんの一種であるClaudin-low乳がんではNF-κB活性化と乳がん幹細胞の割合の間に相関が見られなかったものの、強い恒常的NF-κB活性化を示しトリプルネガティブ乳がんの大多数を占めるBasal-like乳がんではNF-κB活性化と乳がん幹細胞の割合に正の相関関係があることが判明した。また、NF-κB活性化因子であるIKKβや抑制因子IκBαの過剰発現によってNF-κB活性化を調節したところ、Basal-like乳がんにおいてのみ乳がん幹細胞の割合が変化することも判明したという。

そこで、Basal-like乳がんにおけるNF-κB活性化による乳がん幹細胞の割合の調節メカニズムを調べるためにがん幹細胞と分化した非がん幹細胞とのNF-κB活性化を比較したところ、両者に大きな違いは見られなかったが、NF-κB活性化を調節した乳がん細胞とNF-κB活性化を変化させていない乳がん細胞とを10:1の細胞数比で共培養したところ、NF-κBを活性化させた乳がん細胞と共培養することでNF-κB活性化を変化させていない乳がん細胞中に含まれる乳がん幹細胞の割合が増加し、逆にNF-κBを抑制した乳がん細胞との共培養ではNF-κB活性化を変化させていない乳がん細胞中に含まれる乳がん幹細胞の割合が減少することが見出されたという。

この結果について研究グループは、周囲の乳がん細胞において恒常的NF-κB活性化が細胞外もしくは細胞膜で働く因子(リガンド)の発現を誘導し、この因子が乳がん幹細胞に働きかけてその割合を維持していることを示唆するものであると説明する。

そこでさらにNF-κB下流で発現誘導される因子に注目して解析を実施したところ、Basal-like乳がんの乳がん幹細胞画分ではNF-κB活性化は乳がん細胞画分と違いがなかったが、乳がん形成への関与が報告されているNOTCHの標的遺伝子の発現が亢進していることが判明したことから、その発現量を調べたところ、Basal-like乳がんにおいてJAG1がNF-κB活性化によって発現調節されていることが判明したという。

また、NF-κB活性化によるJAG1発現亢進はLuminal-like乳がんやERBB2過剰発現乳がん、Claudin-low乳がんでは見られず、JAG1は乳がんのサブタイプ特異的なNF-κB標的遺伝子あることが分かったほか、RNAiによるJAG1発現抑制や、γ-secretase阻害剤によるNOTCHシグナル抑制によってNF-κB活性化による乳がん幹細胞の割合の増加が減弱することが示されたことから、乳がん細胞におけるNF-κB依存的なJAG1発現が近傍の乳がん幹細胞のNOTCHシグナル活性化を介してBasal-like乳がん幹細胞の割合を増加させていることが示唆されたという。

一方、JAG1を強制的に過剰発現させたところBasal-like乳がんではNOTCH活性化に伴って乳がん幹細胞の割合が増加したのに対して、Luminal-like乳がんやClaudin-low乳がんなどではNOTCHは活性化するものの乳がん幹細胞の割合の増加が見られなかったことから、JAG1-NOTCHシグナルによる乳がん幹細胞維持機構はBasal-like乳がんに特異的なものであることが示唆されたという。

これらの結果を受けて研究グループは、このサブタイプ特異的な乳がん幹細胞維持機構が実際の乳がんでも働いているのかどうかを確かめるため、公開されている乳がん臨床検体のマイクロアレイデータの解析を実施。その結果、トリプルネガティブ乳がんであるBasal-like乳がんとClaudin-low乳がんにおいて既知のNF-κB標的遺伝子群の高発現が見られ、またBasal-like乳がんにおいてのみJAG1がNF-κB標的遺伝子群と同様の発現パターンを示すことが判明し、細胞株で見られたNF-κBの恒常的活性化とJAG1発現誘導に関するサブタイプ特異性が実際の乳がん検体にも存在することが示唆されることを見出したほか、乳がん幹細胞は転移に重要な役割を持つと考えられていることからJAG1発現量と転移率との関係を解析したところ、Basal-like乳がんにおいてのみJAG1高発現群で有意に転移率が高いことが分かり、臨床検体においてもBasal-like乳がん特異的にJAG1-NOTCHシグナルによって乳がん幹細胞が増加している可能性が示さたとする。

ちなみに今回の研究では、正常乳腺上皮細胞や繊維芽細胞、マクロファージにおいても妊娠や炎症によってJAG1が発現誘導されることも明らかとなっており、腫瘍中で正常細胞がBasal-like乳がん幹細胞のニッチとして働く可能性も示唆されたとしている。

(a)は腫瘍細胞間における乳がん幹細胞維持機構。腫瘍中には少数のがん幹細胞とそこから分化して大多数を占める非がん幹細胞が存在する。Basal-like乳がんでは腫瘍全体の細胞で転写因子NF-κBが恒常的に活性化しJAG1の発現を誘導している。このJAG1が乳がん幹細胞のNOTCHシグナルの活性化を介して乳がん幹細胞の自己複製を誘導することが明らかとなり、腫瘍中では周囲の乳がん細胞が乳がん幹細胞のニッチとしてその維持を担っていることが示唆された。一方の(b)は、腫瘍内微小環境における正常細胞による乳がん幹細胞維持機構。JAG1は乳腺上皮細胞や繊維芽細胞、マクロファージなどの正常細胞においても妊娠・炎症などの発がんとの関連が既に報告されている時期に過剰発現することが示唆された。そのため乳がん細胞だけでなく、これら正常細胞もニッチとして乳がん幹細胞の維持に寄与する可能性が考えられる

今回の成果であるNF-κB-JAG1-NOTCHシグナルによる乳がん幹細胞維持機構は、「周囲の乳がん細胞(主に非がん幹細胞)におけるNF-κB活性化によるJAG1発現誘導」と「乳がん幹細胞におけるNOTCH活性化による乳がん幹細胞の自己複製」という2つの段階においてBasal-like乳がんに特異的な機構であることから、研究グループでは、これまで有効な治療標的分子が無かったBasal-like乳がんの新規治療法開発に向けた道が開けたとするほか、従来の治療法では完全に除去することが難しかった乳がん幹細胞を標的とした新規乳がん治療法の開発にも役立つと考えられるとしており、現在、乳がん臨床検体などを用いて腫瘍中におけるこの機構の重要性を明らかにすることを目指した検討を進めているとしている。