日本原子力研究開発機構(JAEA)は5月17日、陽電子線源にゲルマニウム-68を用いて世界最高クラスのスピン偏極率47%を有する陽電子ビームの開発に成功したと発表した。

成果は、日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター スピン偏極陽電子ビーム研究グループらによるもの。詳細は放射線研究に関する学術誌「Nuclear Instruments and Methods」にオンライン掲載された。

半導体技術の進歩は、主に集積回路の微細化によって支えられてきたが、今後10~20年のうちに、トランジスタサイズは原子サイズまで縮小すると考えられ、従来の半導体技術は限界を迎えつつある。そこで、これまでとはまったく異なる原理に基づいたデバイス開発によるブレークスルーが試みられている。その1つとして注目されているのが、電子の磁気的特性であるスピンを用いたスピントロニクスだ。スピントロニクスでは、上向きと下向きの2通り存在する電子のスピンを、デジタル回路で用いられる2進法の「0」「1」として利用する。スピントロニクスで注目される最先端の磁性材料は、電子デバイスへの応用を念頭に薄膜として利用されることが多いため、材料表面や異なる材料同士を接合した界面といった特定部位に存在する電子スピンの検出手法を開発することが重要視されている。これまでも、各種の中性子やイオンビーム、放射光などの量子ビームを用いた方法が開発されてきたが、測定条件や材料のさらなる多様化に対応すべく、新しい検出手法の開発が望まれていた。

電子の反粒子である陽電子は、物質中の電子と結合するとガンマ線を放出して消滅する。このガンマ線を観測することで、消滅相手の電子の運動状態を調べることができる。これは「陽電子消滅法」として、従来から材料の研究に利用されている。また、陽電子も電子と同様にスピンを持っている。放射性同位元素から発生した陽電子の場合、スピンの向きは上向きと下向きと同数ではなく、偏りを持っているため、これを利用すると陽電子のスピンの向きを一方向に揃えた陽電子ビームを作ることができる(スピン偏極)。陽電子と電子の結合の起こり易さは、互いのスピンの向きによって異なるという現象を利用すると、電子の運動状態に加えてスピンの向きも知ることができる。さらに、照射する陽電子のエネルギーを制御することで、打ち込み深さを調節できるため、材料の表面や異なる物質との接合界面に存在する電子スピンの検出が可能になる。このように、陽電子を電子スピンの研究に使えるようにするためには、陽電子のスピンがなるべく一方向に揃っている「スピン偏極陽電子ビーム」の開発が求められていた。

陽電子ビームは、放射性同位元素(一般的にはナトリウム-22が使われる)から飛び出してくる陽電子を集めて形成するが、高いスピン偏極率のスピン偏極陽電子ビームを開発するにはまだ課題が多い。強いビームをつくるためには、できるだけ多くの陽電子をスピンの向きに関係なく集める必要があるため、スピン偏極率が損なわれてしまう。逆に、スピン偏極率を向上させようとスピンの向きを選別すると、陽電子ビームの強度が減ってしまう。これまで、米国の研究グループが、陽電子ビーム強度の減少をいとわなければ、ナトリウム-22線源を用いた場合にスピン偏極率を66%まで増強することができると報告していたが、その強度は実用的なレベルには届かず、ナトリウム-22線源を用いた場合の標準的な陽電子ビームの偏極率は20%程度だった。

そこで、JAEAでは、十分なビーム強度を確保しながらも高いスピン偏極率のビームを得る方法として、もともとスピン偏極率の高い陽電子を放出する放射性同位元素を用いる方法を検討した。この中で、さまざまな核種を検討した結果、最も適当なものがゲルマニウム-68であることが判明した。これは、サイクロトロンと呼ばれる加速器によって、水素イオンビームをGaNに照射して生成することができる。Ga自体は融点の低い(29℃)金属だが、これを窒化物にすることによって照射の熱にも十分耐えるように工夫し、図1に示すようなターゲットを組み上げて照射することで、ゲルマニウム-68を生成した(図2)。これを線源として用いた結果、47%という高いスピン偏極率をもった陽電子ビームの開発に成功した。また、ゲルマニウム-68の半減期は280日と比較的長いため、水素イオンビームを照射し続けることで大量にゲルマニウム-68を蓄積させ、陽電子ビームの強度をさらに向上させることも可能となった。

図1 開発したゲルマニウム-68生成用窒化ガリウムターゲット

図2 開発したスピン偏極陽電子ビーム発生装置と、発生した陽電子ビーム像

実際に開発したスピン偏極陽電子ビームを、磁場によってスピンの向きを一方向に揃えた純鉄に打ち込み、ガンマ線を観測した(図3)。電子と陽電子は、スピンが互いに反対向き(反平行)の場合には結合して消滅し易く、逆に、互いのスピンが同じ向き(平行)のときには結合し難くなる。このように陽電子と電子のスピンの向きを変えてガンマ線の強度を調べたところ、スピンが平行な場合と反平行な場合では差が生じることを検出した。この結果は、スピン偏極陽電子ビームを用いることで、物質中にある電子のうち、磁性を担う電子からのみスピンの情報を抜き出すことが可能なことを示している。

図3 磁化した鉄のガンマ線強度を測定した結果。磁場によってスピンの方向が変わる電子は、右のグラフのオレンジ色の部分の速度成分を持っている。結合しやすいスピンの向きに磁場をかけた場合には、その部分のガンマ線強度が増大した。これは磁性に関係する電子スピンの検出量が増加したことを意味している。

加速器で合成した放射性同位元素ゲルマニウム-68を用いることで、通常の減速材を用いながらも高いスピン偏極率を持つ陽電子ビームの発生に成功した。今後、スピン偏極陽電子ビームを用いた陽電子消滅法が、スピントロニクス開発に必要な新たな評価手法となることが期待されるとコメントしている。