名古屋大学(名大)は9月28日、動物細胞の形や運動を制御するタンパク質「セマフォリン」が、2種類の「TOR(target of rapamycin)複合体」形成の切替を通じて、細胞内のタンパク質翻訳や細胞骨格を調節することを明らかにしたことを発表した。同大学大学院理学研究科の高木新准教授と糠塚明大学院生らの研究によるもので、成果は英科学雑誌「Nature Communications」に9月27日付けで掲載された。

発生中の脊椎動物において、脳や神経系が形作られる時には神経細胞は目的の細胞に向けて「軸索」を伸ばして連絡していく。この時、セマフォリンは神経細胞に外側から働きかけて軸索繊維の伸長方向を調節する。セマフォリンやその受容体を欠損した変異体マウスでは、神経繊維の走行や脳の構造が異常になることが知られ、生体内でセマフォリンは神経系形成に必須のタンパク質であることが証明されている。

一方で、ヒトは中枢神経系が損傷を受けて神経繊維が切断されると再生できないわけだが、この場合には逆にセマフォリンが神経繊維の再生伸長を阻害する悪役の1つとなってしまっていると考えられていた。

さらに、最近の研究からはセマフォリンは神経系だけでなく、心臓・血管の形成や免疫反応の制御因子として重要であることも明らかとなってきており、ガンの転移抑制にも関係しているとも言われている。そして、セマフォリンは脊椎動物だけでなく、昆虫や線虫などの無脊椎動物にも存在しており、広く動物の身体作りを調節する基本的なシグナル分子として知られるようになってきている。

セマフォリンがどのように細胞の形や運動の変化を制御するのか、そのメカニズムを分子レベルで解明することは、生物学的に重要な課題だ。また、前述したようにセマフォリンが神経再生やガンの転移抑制に関係することから、この問題は創薬を含む臨床的な応用面からも興味が持たれている。

従来の考え方では、セマフォリンによって引き起こされた細胞内シグナルは、細胞内の「骨組み」であるタンパク質複合体「細胞骨格」の調節因子を化学的に変化させることで、その活性状態を調節して細胞の形・運動性を制御するというものが主流だった。

しかし、研究グループがこれまでの研究で得てきたところでは、セマフォリンがmRNAの翻訳を引き起こし、それによって細胞骨格調節因子が新たに合成されることが、細胞懈怠変化に必要であることが明らかになっている。

また、実際の細胞の形や運動の変化は、細胞骨格だけでなく、細胞を構成する膜の代謝、あるいは細胞の周囲の組織との接着性など、さまざまな細胞特性の変化を伴う。これまでの研究では、セマフォリン受容体である「プレキシン」の直下でさまざまな生化学的変化が起こることは確認されていたが、それがどのようにしてこのような多様な細胞特性の変化につながるのかはよくわかっていなかったのである。

そして、TORについては、細胞内代謝のカギを握るリン酸化酵素であり、ガン研究でも注目されているが、まだまだ未解明の部分が多い分子だ。TORはタンパク質「RPTOR」ともに複合体「TORC1」を形成してタンパク質翻訳などを調節し、細胞のサイズや増殖調節に関わる。その一方で、タンパク質「RICTOR」とともに複合体「TORC2」を形成して、細胞骨格や膜代謝を調節することがすでに確認済みだ。

このように、TORC1、TORC2という2つの複合体の細胞内での役割はまったく異なっていることはわかっているが、それぞれのTOR複合体形成がどのように調節されているのかはわかっていないのが、現状だった。

そこで研究グループでは、脊椎動物に比べて効率よく実験を進めることが可能なモデル動物の線虫「C.elegans」にて研究を進めた。線虫のセマフォリンは身体の表面を作る表皮細胞の形態・配置を調節しており、セマフォリン欠損変異体では表皮細胞由来の感覚器の形態が異常となってしまう。

実験では、セマフォリン欠損の感覚器形態異常を、再び正常に戻す第2の変異(抑圧変異)を探索する「サプレッサー検索」という遺伝学的手法を用いて、前述のタンパク質RICTORの遺伝子変異を同定した。RICTORはTORとともにTORC2複合体を形成し、細胞骨格や膜代謝を調節することから、セマフォリンが細胞内でTORC2の機能を抑える働きがあることが予想されたのである。

さらに検査を進めた結果、セマフォリンが細胞内でTORC1形成を増加させると同時に、TORC2形成を減少させているところを確認。さらに、TOC1の増加は経路「eIF4E」および「eIF2」を介してmRNAからのタンパク質翻訳を上昇させ、一方でTORC2の減少はリン酸化酵素の一種「PKC」の活性の低下を介して、「アクチン重合」を抑制することにより、セマフォリンによる細胞形態変化が引き起こされることを示した(画像1)。

画像1。セマフォリンによって細胞形態変化が引き起こされる模式図

これまで培養細胞を利用して薬理学的な研究から、脊椎動物の神経細胞ではセマフォリンシグナルがTORC1を活性化させることは確認されていたものの、その詳細な機構は不明だった。また、セマフォリンとTORC2の関係はこれまでまったくわかっていなかったが、実際に生体の表皮細胞中で機能の異なる2つのTOR複合体形成をセマフォリンが同時に制御する点が明らかになったことは大きな進展だ。

今後、単一のシグナル分子であるセマフォリンが、細胞形態変化に伴う多様な細胞現象に影響を与える仕組みを解明する上で、指針となると思われている。そのほか、セマフォリンシグナルがTORC複合体形成を調節する分子機構や、TORC2の調節機構の解明なども期待されている部分だ。研究チームでは、セマフォリンの多様な作用をTORとの関係から解明し、将来的には創薬などを通じて神経繊維再生やガン診断、転移抑制などに役立たせていきたいとしている。