大阪大学 大学院医学系研究科の山下俊英教授らによる研究グループは、傷ついた視神経の再生を抑制するメカニズムを明らかにするとともに、マウスを用いた実験で視神経を再生させることに成功したことを明らかにした。同成果は、東北大学 加齢医学研究所の高井俊行教授の協力を得て行われ、2011年3月1日(英国時間)に欧州科学雑誌「The EMBO Journal」(オンライン速報版)で公開された。

脳や脊髄、視神経などの中枢神経が損傷を受けると、さまざまな神経症状が現れ、しばしば回復が困難となる。これは中枢神経回路が障害されると再生しにくいためであると考えられている。ほ乳類の中枢神経系には、神経回路の再生を抑制する機構が存在していること、また中枢神経自体の再生力が低いことなどが原因として上げられており、これら抑制機構などを明らかにすることで、損傷した中枢神経の回路を元通りに再生させる治療につながると期待されている。

これまでに中枢神経の細胞の軸索の周りを取り巻く髄鞘(ミエリン)に発現しているMAG、Nogo、OMgpという糖たんぱく質が中枢神経の軸索の再生を抑制することが示唆されており、これらは軸索再生阻害因子であると考えられているほか、これらのたんぱく質と結合する受容体がPIR-Bであることが報告されているが、PIR-Bがどのようなメカニズムで神経細胞の軸索の再生を抑制しているのかについては不明のままであった。

図1 軸索再生阻害因子は中枢神経の再生を妨げる。

a):軸索が損傷されると、神経細胞同士のつながりが破綻し、機能が障害される。
b):オリゴデンドロサイトに発現しているMAG、Nogo、OMgpが神経細胞の軸索の伸長を阻止するために、ひとたび損傷された中枢神経の軸索は再生できない

研究グループでは、神経細胞におけるPIR-Bのシグナル伝達機構を解明することで、新たな分子標的の探索を試みた。その結果、軸索再生阻害因子であるMAGがPIR-Bに結合することで、PIR-Bの細胞内ドメインにチロシン脱リン酸化酵素であるSHP-1およびSHP-2が集積すること、ならびにPIR-Bと神経成長因子BDNFの受容体であるTrkBが結合することと、SHP-1/2はTrkBを不活性化することで、TrkBによる軸索の伸展作用を抑制することを発見した。

図2 SHPを介した新しい軸索再生阻害メカニズム。

MAGがPIR-B受容体に結合すると、SHP-1/2がPIR-Bの細胞内ドメインに集積し、TrkBとPIR-Bが結合する。これによりSHP-1/2がTrkBを脱リン酸化し、不活性化する。この一連のシグナル伝達により、軸索は再生できなくなる

これらの発見を元に研究グループでは、成体マウスの視神経を損傷させ、RNA干渉薬であるSHP siRNAを眼内に投与することでSHPが働かないようにしたマウスの観察を行った。その結果、薬を投与した14日後には、通常では再生しない視神経の軸索が再生したことが確認された。この作用は、PIR-Bが持つ軸索の再生を阻害する作用をブロックするとともに、軸索を成長させる機能を持つTrkBの作用を促進させたことによってもたらされたものと考えられるという。

図3 SHPの発現抑制により視神経損傷後の軸索再生が促される。

成体マウスの視神経を損傷させた後、SHP siRNAを眼内に投与すると、網膜でのSHPの発現が抑制され、2週間後には損傷を受けた視神経の再生が認められた(右図)。通常では視神経は再生しない(左図)

図4 SHPの発現抑制は軸索伸長を促すTrkB受容体の活性化を誘導する。

左図はin vitroでの神経軸索の伸長を測定するアッセイの結果でTrkの活性が軸索の伸展に必須であることを示している。右図は、TrkBの活性を反映するアッセイの結果で、SHP-2の発現抑制によって、TrkBは通常よりも高い活性を示している

実際に、PIR-Bを欠損しているノックアウトマウスで視神経を損傷させても、再生は認められなかったが、このマウスで損傷後にTrkBを活性化させるBDNFを投与すると、視神経の再生が認められたという。

図5 TrkBの活性化が軸索再生を促す。

PIR-Bノックアウトマウスでの視神経損傷後の軸索再生を評価した結果。このマウスにBDNFを投与すると、視神経の軸索再生が認められた。このことからPIR-Bの抑制とTrkBの活性化の両者が、軸索再生に必要であることが示唆された

この結果、中枢神経の軸索を再生させるためには、軸索の再生を阻害する因子の作用を阻止するだけでは不十分で、軸索の成長を促進させる作用を持つ薬剤を併用することが必要であると考えられるとしており、今後の中枢神経の再生を誘導する治療法の開発に方向性を与えるものになると研究グループでは説明しており、将来的には失明原因となる視神経損傷や緑内障などの眼疾患の新たな分子標的治療法の開発につながるものとの期待を示しているほか、同じ中枢神経である脳や脊髄の障害による後遺症を改善させる分子標的治療薬になる可能性についても、今後の検証が待たれるとしている。