オンライン百科事典の「Wikipedia」は、インターネットを通じて人々の知を結集することが可能であることを実証した野心的なプロジェクトだ。Wikipediaを創始したJimmy Wales氏(Wikimedia Foundationの名誉理事長)はその後、完成することのないWikipediaに甘んじることなくWikiサイトホスティングサービス「Wikia」にも乗り出している。
Wales氏は2009年10月、英ロンドンで開かれたSymbian Foundationのイベント「Symbian Exchange and Exposition 2009」にて、WikipediaとWikiaの2つのプロジェクトから得たもの、コミュニティを信じる自身の信念などを語った。
Wales氏はまず、社会トレンドとして「文化がスマートになっている」と述べる。TV番組やゲームは、以前のわかりやすくシンプルなものから、複雑なものが好まれる傾向にある。同時に「我々ユーザーもスマートになっている」とWales氏。Webにより、瞬時にさまざまな情報に(多くの場合は無料で)アクセスできる。これまでは障害が多かった知識の共有や交換が、信じられないほど容易に実現している。
Wikipediaはその代表例だ。Wales氏はWikipediaを「世界中の人が誰でもフリーでアクセスできる百科事典」と定義する。この定義はそもそも、インターネット発展の土台となっているものだ。
"フリー"はスタート地点であり、重要な部分だ。Wikipediaプロジェクト立ち上げのきっかけについてWales氏は、「オープンソースソフトウェア動向を注視していた。ボランティアから企業までさまざまな人が集まり、フリーライセンスの下で共有する - 素晴らしいことが起こっていると気が付いた」と説明する。オープンソースを支えるライセンス構造は、参加のカベをなくす。Wikipediaはフリーライセンスの精神と同じく、「自由(フリーダム)のためにある。無償(フリー)でアクセスでき、自由に改変し、配布できる。商用でも非商用でも利用できる」(Wales氏)
Wales氏はまた、フリーライセンスの別の長所として、「プロジェクトが何らかの理由で失敗したとしても、コードは残る」とも述べる。これは、オープンソースを進めるSymbian Foundationにもいえることだが、「幸い、(オープンソースコミュニティの)ソーシャルな仕組みにより(プロジェクトの消滅は)ほぼ不可能だが」とWales氏、「これは非常に興味深い現象だ」と続ける。なお、Symbianをはじめモバイルでオープンソースが台頭していることについては、「(モバイルでは)1社が独占するモノポリー状態が起きないのではないか。オープンなエコシステムができると期待している」とコメントした。
Wikipediaに関して、Wales氏はいくつかの統計を紹介してくれた。まずは、どれぐらいグローバルか。ダントツの英語版は現在、300万以上の記事を有する。次はドイツ語で、もうすぐ100万件に達するという。そのほか、フランス語、ポーランド語、日本語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語が50万件を超えている。だが、2億8,000万人が話すといわれるヒンズー語はわずか5万レベルという。
このように、欧州言語が主流であることについてWales氏は、PCとブロードバンドなど環境の差、識字率などの教育レベルの差を指摘する。Wales氏は今後の課題の1つとして、今後オンライン化が進む途上国で最初にアクセスする端末となるモバイルへの対応を挙げた。また余談としながら、オランダ語、フィンランド語など人口に比べて記事数が多い言語を紹介し、「天気が良くないと室内で過ごすことが増えるからだろうかと推測している」とも述べた。
人気度については、アクセス数別でドイツで第5位のWebサイトとなったほか、米国で6位、日本とインドで第9位などの成績を紹介する。イランでも14位という。comScoreの収集した月間リーチ数では3億3,000万人程度だが、comScoreは途上国を対象にしていないので、「実際はもっと高いだろう」とのこと。
各国で共通して人気があるWikipediaだが、内容に文化の違いは現れているようだ。世界の人々はどのような情報を求めているのだろうか? 言語別に各カテゴリの記事数をみると、たとえば日本では「ポップカルチャー」が占める比率が高い。フランス、ドイツ、ロシアでは「地理」が多いが、英語や日本はそれほどではない。Wales氏はさらに、「セックス」はロシアでは多いがフランスとスペインではゼロ、と指摘しながら、「スペインとフランスは実際に(セックスを)しているということだろうか」と会場を笑わせた。
Wales氏とWikimedia Foundationにとって、もう1つの重要なプロジェクトがWikiaだ。フリーでアクセスできる膨大なリソースの構築を目指すWales氏が、Wikipediaの成功の後に何ができるかを考えてたどり着いたプロジェクトとなる。「図書館にたとえると、Wikipediaは百科事典。だが図書館はもっと大きい」と続ける。Wikiaは、百科事典には属さない情報のためのプロジェクトとなる。
Wikiaでは、Wikipediaよりシンプルなエディタを用意した。Wikipediaの編集ツールは「ちょっとギーク向け」とWales氏。これには一長一短あり、とっつきにくいという短所はあるが、Wikipediaの一貫性に貢献している。これは、百科事典であるWikipediaの情報の専門性の高さと利用者を考えると、適当な判断といえそうだ。一方のWikiaは敷居を低くすることで、利用者が大幅に増えたという。現在、6秒に1つのWikiが生まれているとのことだ。
Wikipediaがブリタニカ百科事典に肩を並べているように、Wikiaも既存のメディアと比較できるレベルになっている。Wales氏はNew York Times紙のページビューとWikiaが同レベルに達していること、『Gourmet Magazine』の廃刊とWikiaのレシピサイト人気などに触れ、「人々はWikiaを訪問し、膨大かつ深いコンテンツを参照している」と述べる。「消費者はほんとうに得たい情報、より深い情報を探してWebにアクセスしている」とWales氏。『Gourmet Magazine』廃刊が示すように、「雑誌はこのニーズに応えらない」という見解を示した。
Wikiaはこのように、既存メディアを置き換え、インパクトを与えているだけではない。21世紀のコミュニティの形も示している。一例としてWales氏が紹介したのが、キヤノンカメラのファームウェアのハッキング情報「CHDK」だ。キヤノンカメラに興味がある世界中の人が参加してコツや情報を自由に交換する場で、「熱烈なファンコミュニティが出来上がっている」という。「数年前なら知り会えなかったような人が集まり、お互いに影響を与えあっている」(Wales氏) - インターネットはこのような「マイクロコミュニティ」の結成を可能にした。これは、「広告などの新しいチャンスにつながる」とWales氏は述べる。
Wales氏やWikimedia Foundationは、自分たちのビジョンに楽観している。「実験としてのWikipediaを実証し、ビジネスとしてWikiaの価値を実証できた」とWales氏、直近の四半期では、わずかではあったが初めて黒字を計上できたという。だが、重要なのはWikiaやWikipediaが時代を変えていることだ。「Wikiaを受け入れる次の世代が誕生した。われわれはさまざまなことを実証したが、最も大切なことはここだ」と述べた。