多忙な経営者が、茶道や武道といった日本の稽古に打ち込んでいます。なぜ業界で活躍するような人物は稽古に励むのでしょうか? 本連載では『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』(梅澤さやか著)から、一部を抜粋して紹介します。
第3回は「一流は道具を選び抜く」です。
一流は道具を選び抜く
イチロー選手は、驚異的な成績や卓越した技術で知られていますが、それと同じくらい有名なのが、彼の道具へのこだわりです。「道具を大切にすることがうまくなることにつながる」というイチロー選手の言葉は、稽古における人と道具の関係性と似通っています。
イチロー選手の道具へのこだわりは、単に物を大切にするという話にとどまりません。そこには、道具と一体となって体の感覚を高め、技を磨いていく姿勢が見て取れます。彼にとって道具は、ただ「使う」ものではなく、最高の結果を引き出すためのパートナーのようなものです。道具とのあいだに最高の相互作用を生み出そうとする姿勢は、まさに技を磨く稽古そのものです。
イチロー選手のバットへのこだわりは、素材選びから始まります。一般的にメープルやホワイトアッシュが使われる中、彼は北海道産のアオダモを好んで使用していました。硬くてもしなやかで弾力性があるため、バットが欠けにくいだけではなく使った時のフィーリングがいいからです。バットをつくる職人によると、イチロー選手が「いい」と評価するアオダモ材は、その年確保できる木材のわずか1〜2%しかないほど希少でした。のちに良質なアオダモが確保できなくなってきて、仕方なくホワイトアッシュに乗り換えたそうです。
職人の技術も重要な要素でした。材料である1メートルほどの丸棒のどの部分を使えば最高のバットになるかを見極める眼力が求められました。さらに作ったバットをチェックして、イチロー選手のもとに送るバットを選ぶ時間に最も時間をかけられたそうです。こうしてイチロー選手のために、毎年80本のバットが製作されましたが、彼が試合で使えるバットは年間40本です。職人が素材選び、削る工程、品質チェックまで、厳選し尽くした上で送られてきたバットをさらに厳選して使っていたということになります。
イチロー選手の道具へのこだわりは、特別に作られたバットの扱い方にも表れています。その徹底ぶりは驚くべきものでした。ある時期から、イチロー選手は特製のジュラルミンケースを使ってバットを持ち運ぶようになりました。このケースは単なる収納箱ではありません。なんと、乾燥剤を入れるポケットまで備えていたのです。これは、湿気によってバットの重さが変わるのを防ぐための工夫でした。
さらに興味深いのは、このケースを使う以前の習慣です。晴れた日には、バックネットでバットを天日干しすることもあったそうです。これらの行動は、木という自然素材でできたバットの特性を深く理解し、最高の状態で使おうとする姿勢の表れでしょう。
イチロー選手のバットへの愛情は、試合中の扱いにも表れていました。マリナーズ時代の練習中のこと、フリー打撃のあと、ほかの選手たちが自分のバットを芝生に投げ出す中、イチロー選手だけはバットをグラブで優しく包み、まるで眠った赤ちゃんをベッドに寝かせるように置いていたのを、当時のバットの製作者である久保田五十一(いそかず)さんが目にして驚いたというエピソードもあります。
グラブへのこだわりも負けず劣らず繊細でした。こだわって自分用に調整されて作られたグラブを、練習や試合の前後は、いつもロッカールームで時間をかけて丁寧にグラブの手入れをしていたというのは有名な話です。
イチロー選手の「手入れしたグラブを使うと、動きが丁寧になる」という言葉には、深い意味が込められています。これは単に道具を長持ちさせるという以上に、よい道具をさらに磨き上げていくことと、自身の技術や意識を高めていく姿勢を教えてくれるのです。
『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか 』(梅澤さやか 著/ クロスメディア・パブリッシング 刊)
茶道や武道の「稽古」と聞くと、敷居が高く窮屈というイメージがあるかもしれません。しかし、多くの経営者は、多忙にもかかわらず、稽古に打ち込んでいます。どうしてでしょうか。
以下のような効能が稽古にあるからでしょう。
- リフレッシュ効果がある
- 心と体の健康を整えることで、より高いパフォーマンスを発揮するための基盤となる
- 創造力や問題解決力が自然と磨かれ、ビジネスに新たなアプローチが生まれやすくなる
- 肩書きや立場を超え、ひとりの人間として出会うことで、本質的な人脈が育まれ、深いコミュニケーション力も磨かれる
稽古は、仕事と人生を豊かにする「習慣」なのです。
本書では、経営者やビジネスパーソンが実践する「稽古」の事例にふれながら、稽古の魅力と効能を解明します。さらに、そのエッセンスを日々の仕事に応用する方法もご紹介します。
稽古は、AIが持っていない「身体」と「感性」を活かして、高度な知性を発展させる方法です。それこそ現代のエグゼクティブに求められる力です。また、海外からも大きな注目を集めている日本文化の豊かな伝統が凝縮されたものです。稽古によって日本文化を体得することは、これからの時代のブランディングにとって大きな力となるでしょう。
稽古に取り組んでいる方にも、未経験の方にもたくさんの発見がある一冊です。
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