多忙な経営者が、茶道や武道といった日本の稽古に打ち込んでいます。なぜ業界で活躍するような人物は稽古に励むのでしょうか? 本連載では『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』(梅澤さやか著)から、一部を抜粋して紹介します。
第1回は「人とAIの学び方はどう違うのか」です。筆者は、稽古で上達するとは「知性」を得ることだと言います。近年はChatGPTといった生成AIが、情報を収集して学び、知性として運用するようにもなりました。それでは人間とAIの学びはどのように違うのでしょうか?
人とAIの学び方はどう違うのか
稽古は「人にしかできない学び」
AIの発達により、「人間のように考えるAIができるのではないか」という疑問が生まれています。しかし、少なくとも現時点ではAIと人間の脳の学び方には大きな違いがあります。
AIはたしかに脳の働きを真似ようとしています。特に最近の生成AIは、大量の言葉のデータを学習し、新しい情報に対して答えを導き出します。これには「人工ニューラルネットワーク」という仕組みを使っています。
一方、人間の脳では、動きや考え、感情のすべてが神経細胞(ニューロン)のネットワークを通じてやり取りされます。稽古を重ねると、繰り返される刺激によって神経のつなぎ目(シナプス)が強くなります。これが、私たちが記憶し、学習する基本的な仕組みです。稽古を続けることで神経回路が強くなり、技や知識をより正確に、素早く、柔軟に使えるようになります。
この学習過程は、体を使った経験や感覚と深く結びついています。私たちの脳は、常に体からの情報を受け取り、処理しているからです。体を動かすと、筋肉や関節からの感覚、バランス、空間の認識などの情報が脳に送られます。これらの様々な感覚の入力が脳の多くの部分を活性化させて、より高度で洗練された神経のつながりをつくり出します。
さらに、体を通した経験は抽象的な概念の理解にも役立ちます。たとえば、ヘレン・ケラーの例がよく知られています。彼女は当初、「コップ」と「水」を区別できませんでしたが、井戸から汲んだ冷たい水が手に触れた瞬間、初めて「water(水)」という概念を理解しました。このように、体を使った経験や感覚は、私たちの知識や技能を単なる情報の集まり以上のものにします。
この過程を経て得られた知識や技能は、考えたり行動したりする際の強い「確信」となります。その「確信」が深まるほど、私たちはより深く考えながらも、同時に素早く、そして柔軟に行動できるようになります。
現在のAIは、人間のこの複雑な学習の過程を完全には真似できていません。特に、体を通じた経験や、稽古による神経の細やかな変化は、まだAIには難しい分野です。そのため、AIが人間に代わってすべての知識を使いこなせるわけではありません。「人間ならでは」の体を使った深い学びから生まれる確信はAIには到達できない部分なのです。
陶芸家は図面もなしにろくろで器をつくります。水と粘土の割合、手の力加減を熟知し、一連の動きで繊細な作業をこなします。これは、長年の作陶作業で脳と体に動きが刻み込まれ、神経レベルで変化が起きた結果です。コンピューターでは再現しづらい、アナログならではの細かな感覚を積み重ねてはじめて可能になる技なのです。
『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか 』(梅澤さやか 著/ クロスメディア・パブリッシング 刊)
茶道や武道の「稽古」と聞くと、敷居が高く窮屈というイメージがあるかもしれません。しかし、多くの経営者は、多忙にもかかわらず、稽古に打ち込んでいます。どうしてでしょうか。
以下のような効能が稽古にあるからでしょう。
- リフレッシュ効果がある
- 心と体の健康を整えることで、より高いパフォーマンスを発揮するための基盤となる
- 創造力や問題解決力が自然と磨かれ、ビジネスに新たなアプローチが生まれやすくなる
- 肩書きや立場を超え、ひとりの人間として出会うことで、本質的な人脈が育まれ、深いコミュニケーション力も磨かれる
稽古は、仕事と人生を豊かにする「習慣」なのです。
本書では、経営者やビジネスパーソンが実践する「稽古」の事例にふれながら、稽古の魅力と効能を解明します。さらに、そのエッセンスを日々の仕事に応用する方法もご紹介します。
稽古は、AIが持っていない「身体」と「感性」を活かして、高度な知性を発展させる方法です。それこそ現代のエグゼクティブに求められる力です。また、海外からも大きな注目を集めている日本文化の豊かな伝統が凝縮されたものです。稽古によって日本文化を体得することは、これからの時代のブランディングにとって大きな力となるでしょう。
稽古に取り組んでいる方にも、未経験の方にもたくさんの発見がある一冊です。
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