全国のコンビニやスーパーで売っている沖縄土産の定番「スッパイマン」。この乾燥梅干しのお菓子を生み出したのが、沖縄県豊見城市に本社を置く上間菓子店だ。

創業から60年、そして看板商品である「スッパイマン」誕生から45年。戦後、アメリカ統治下の沖縄から始まった同社は、いかにして全国ブランドへと成長を遂げたのか。代表取締役社長の上間幸治氏に、これまでの歩みと沖縄から「100年続く全国ブランド」を目指す理由について話をうかがった。

  • 株式会社上間菓子店代表取締役社長 上間幸治氏(左)とスッパイマン(右)

    株式会社上間菓子店代表取締役社長 上間幸治氏(左)とスッパイマン(右)

問屋から製造メーカーへの転換。「スッパイマン」誕生の背景

――創業から60周年、改めてこれまでの歩みについてお聞かせください。

60年前、私の父である創業者がお菓子の問屋を始めたのが会社の始まりです。当時は沖縄がまだアメリカの統治下にあった時代で、本土からの企業参入も少なく、二次問屋、三次問屋といった業態でも十分に商売が成り立っていました。

転機となったのは1972年の日本復帰。本土企業も続々と参入し、問屋業のままでは厳しくなるだろうということで、製造メーカーへの転換を模索し始めました。当初は梅干し以外も扱っていましたし、まだどの商品を製造するかを決めていませんでしたが、沖縄には古くから台湾や中国から輸入された干し梅を食べる習慣があったので、この路線で行こうと考えるようになっていきました。

しかし日本復帰後、輸入している梅の中に日本では認められていない甘味料が見つかり、輸入禁止になっちゃったんですよ。そこで創業者が「日本人の口に合う味付けで自社製造できないか」と試行錯誤を重ね、1981年に誕生したのが「スッパイマン」です。

  • 初代スッパイマンパッケージ

    初代スッパイマンパッケージ

――今年はスッパイマン誕生から45周年でもあります。この節目をどのように捉えていますか。

私は常に「次へ、次へ」と考えるタイプなので、正直に言えば達成感よりも、すでに次の挑戦について考えています。過去のポジティブな情報はあまり残さないようにしていて、むしろネガティブな情報こそ次のステップに必要なものだと思っています。

全国へ知れ渡るきっかけは、木村拓哉さんの一言

――スッパイマンが沖縄県外でも広く知られるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

ちょうど2000年、木村拓哉さんが音楽番組『ミュージックステーション』で、タモリさんから「夏の思い出は?」と聞かれた際に、「沖縄で食べたスッパイマン」と答えてくださったんです。

  • スッパイマン甘梅一番 17g

    スッパイマン甘梅一番 17g

当時のSMAP、特に木村さんの人気は圧倒的だったので、その発言をきっかけに今で言う“大バズり状態”になったんですよ。それまでも他のタレントさんが紹介してくださることはありましたが、あの時の反響は全く別物でした。それまで赤字覚悟で出展していた本土の展示会で、いきなり3,000万円もの注文が入るようになったんです。

――木村さんの影響力も凄まじいですが、スッパイマンという商品を真剣に作っていたからこそ、木村さんに届き、結果的にバズったのではないでしょうか。

そうですね。私は運を信じるタイプではありますが、それを形にできたのは、私たちが「やり続けたこと」と「商流に乗る準備ができていたこと」があったからだと思っています。

木村さんの発言がある前から、私たちは売れなくても本土の展示会に出展し続けていました。もし展示会に出ていなければ、メディアで話題になっても、量販店さんはどこに問い合わせればいいかわからず、ブームはすぐに冷めていたはずです。書類ひとつですぐに商売を始められる準備ができていたからこそ、熱い状態のまま市場に商品を並べることができました。

大手企業参入で売り上げは大幅減、それでも「まだブランドは死んでいない」

――全国区になった後は、そのまま順風満帆だったのでしょうか。

全然そんなことはなくて、2000年代後半くらいから大きな壁にぶつかりました。市場が大きくなると、当然ながら大手メーカーが同じような競合商品を持って参入してきます。私たちは忙しさのあまり分析が疎かになってしまい、気づけばシェアを奪われ、2010年代前半には売上が全盛期の3分の1近くまで落ち込んでしまいました。

――その危機をどのように乗り越えたのですか。

「まだこのブランドに勝算はあるか」を徹底的に観察・分析しました。工場見学を始めたり、直営店を出したりしてお客さんの熱量を直接感じる中で、「まだブランドは死んでいない」と確信したんです。

そこで打ち出したのが、横展開のブランディングです。沖縄からの営業には資金力や物流のハンデがありますが、ブランディングを強化すればそれをクリアできると考えました。

――具体的にはどのような展開をされたのでしょう。

梅干しそのものだけでなく、柿ピーやキャンディ、スナック菓子など、現会長(前社長:上間政博)を中心としたチームの営業活動よって、他社メーカーさんとのコラボやOEM、ライセンス販売を加速させていきました。「梅干しは食べられないけど柿ピーなら食べられる」といった層にアプローチしたんです。

  • スッパイマンたねぬき梅キャンディー

    スッパイマンたねぬき梅キャンディー

さらに学生とのコラボや、ハローキティ、『ONE PIECE』といったIP(キャラクター)とのコラボも進めました。最近ではポケモンやスーパーマリオ、ちいかわ、#FR2やBlackEyePatchといったストリートブランドともコラボしています。食品、IP、カルチャーの3つの軸で横に広げることで認知度を改めて獲得し、今では過去最高売上を更新し続けています。

沖縄から「100年続く全国ブランド」を目指すビジョン

――上間社長が大切にされている経営のポリシーをお聞かせください。

結局、最後は情熱やマインドだと思っています。テクニカルなマーケティング手法も活用しますが、それは時代とともに変わるものですから、最後に踏ん張れるのは「絶対に沖縄から全国ブランドを作ってやる」という意地ですね。

私の父は戦争体験者で、土地を奪われ、戦後の苦しい時代を生き抜いてきました。私も10代の頃には本土の展示会で「沖縄から売るものなんてないだろう」と言われた経験があります。そこから生まれた意地のようなものが原動力になっている気がします。

――今後の展望や目標について教えてください。

沖縄には地上戦があったため、経済が一度ほぼゼロになりました。だから、100年以上続く全国ブランドがまだ存在しないんです。なので、私たちはそこを目指していきたいと思っています。

そのための戦略は4つあって、1つめは変わらず全国への卸。会長が今でも陣頭指揮をとり、量販店の販路拡大を進めています。2つめは好調な直営ショップとECの強化。東京でのショップ展開も考えています。3つめは海外展開。日本は人口が減りますが、世界人口は増え続けますからね。そして4つめがIP戦略。スッパイマンを今まで以上にキャラクターとしても育てていきたいと思っています。

  • 2025年12月17日~28日まで渋谷PARCO6階で開催したPOP UPストア

    2025年12月17日~28日まで渋谷PARCO6階で開催したPOP UPストア

――欧米の方には梅干しの味はハードルが高いイメージがありますが、いかがですか。

以前、渋谷パルコのポップアップで欧米の方の反応を見ましたが、正直、梅干し単体では全く売れませんでした(笑)。カルチャーの違いですね。でも、それも伝え方次第だと思っています。鉄分、食物繊維、カルシウムが豊富なスーパーフードとして、アジアとは違うアプローチをすれば可能性がある。ヴィーガンを強調してもいいと思います。

凡事徹底、かつ大胆な挑戦を続けて、沖縄から全国、そして世界へ、これからもファンの方々に驚きと喜びを提供し続けていきたいですね。