2月7日、「DeNA Technology Conference 2018(TechCon)」が渋谷にて開催された。キーノートには代表取締役社長兼CEOの守安功氏が登壇。「エンジニアが引っ張るDeNAの”モノづくり”」と題して講演を行った。本稿では、その模様をレポートする。

DeNAを構成する「3つの時期」

守安氏は「私自身がエンジニアとしてモノづくりにどう関わってきたかを含めて、エンジニアの視点から見たDeNAのモノ、サービスづくりについて話をしたい」と講演を切り出した。

DeNA 代表取締役社長兼CEOの守安功氏

DeNAは昨年、企業のミッションを再定義した。ミッションとして「Delight and Impact World 世界に喜びと驚きを」を、長期の経営方針として「インターネットやAIを活用し、永久ベンチャーとして世の中にデライトを届ける」を掲げた。

このミッションを実現するためにエンジニアはどんな役割を果たしているのか。守安氏は、DeNAがこれまで手がけてきた事業を3つの時期に分け、それぞれの期間におけるエンジニアの役割を振り返った。3つの時期とは、1999年から手がけてきた「Eコマース、モバイルSNS」、2009年からの「モバイルゲーム、ゲームプラットフォーム」、2013年から取り組んできた「事業多角化(現在、主力5事業)」だ。

最初の「Eコマース、モバイルSNS」については、守安氏自身のキャリアの振り返りからはじまった。守安氏は、1999年11月にシステムエンジニアとしてDeNAに入社。大学では東大大学院で航空宇宙工学を専攻し、マッハ10で飛ぶスクラムジェットエンジンの研究をしていたという。学部では、超音速風洞のなかでエンジンがどういう流体構造になるかを解析し、大学院ではその数値計算をFORTRANを使って行っていた。

「プログラミングをバリバリやっていたと思われるかもしれませんが、研究室には代々の優秀な先輩が作った秘伝のソースコードがありました。空間のいろんな行使条件を変えるだけで、実はそんなにプログラミングをやらなくてもよかったんです」(守安氏)

ITバブル真っ盛りの1998年に新卒で日本オラクルに入社し、1年半在籍し、ERPソフトの導入コンサル兼SEとして従事。ERPはまだ日本の商習慣にマッチしていない部分も多く、支払手形に対応していなかったり、月末締めの一括請求という機能もなかったりしたため、アドオン開発にも携わった。

「当時はインターネットのすごく盛り上がっている時期。新しいビジネスを立ち上げたいという思いが強まり、いてもたってもいられなくなりました。最初は起業しようとしましたが、資金的な難しさがありました。いろいろな検討しているうちにDeNAに出会い入社。社員番号は9番でした」(同氏)

オークションサイト「ビッターズ」を手がけていたころの写真を紹介しながら「ようやく動き出したサイトに顧客から良い反応があり、みんなで喜んでいた」という。

先行するヤフーと楽天をどう追いかけるか?

ただ、ビッターズは突貫工事で作ったこともあり「よく落ちる」「プロセスは上がっているのに入札できない」といった不具合があり、夜間誰かが監視をしていないとサービスできない状態だった。

「入社して2カ月くらいは夜勤してシステムを監視しながら、夜な夜なプログラムの修正に取り組むという状況でした。エンジニアとしては2年ほど実務を経験。ソースコードを書くことから、設計や要件定義、インフラ管理などまで、ひととおりの業務を担当することができました」

ビッターズは米国のインターネットオークション「eBay」に着想を得たサービスだったが、ビッターズ公開の2カ月前にローンチした「Yahoo! オークション(ヤフオク)」が、手数料無料を武器にロケットスタートし、圧倒的なシェアをとっていた。そこで、戦略として、MSNや、Lycos、Infoseekといったポータルサイトとの連携を持ちかけた。

「私は、そのアライアンスの窓口に立ちながら、ルック&フィールやデータの共有方法などでどういうシステム設計にすればポータルさんに喜んでもらえるのかを考える担当でした。アライアンスによってトラフィックはグンと上がりましたが、それでも商品点数はビッターズ1万品に対して、ヤクオクが100万品という規模です。ネットワークの外部性が効いているサービスをトラフィックの増加で追いかける難しさを痛感しました」(守安氏)

その後、ヤフオクがサービスを一時有料化したタイミングで攻勢をかけ、商品点数を100万品規模に拡大させた。当時のインフラは、サーバ上にOracle Databaseを置き、トラフィックが増えたらサーバのリソースを増強するという方法で乗り切っていた。だが、商品点数が100万品になったことで耐えられなくなった。そこで、データベースを更新系と参照系に分けるといった仕組みを整備していった。

「ビッターズはその後黒字になりましたが、ヤフオクや楽天といったサービスの存在感が高まっていました。そこで2003年にモバイル分野に勝ち筋を求め、ガラケーでのオークションサイトとしてモバオクを立ち上げました」(守安氏)

今や日本最大級のインターネットオークションサイトの1つとして運営されるモバオク。その成長の裏には、1人のエンジニアのこだわりがあったという。